-傷痕-
廊下の曲がり角の先で誰かの話し声が聞こえる。聞こえた言葉にナスカの名前が入っていて、ユアンは思わず立ち止まってしまった。
「それで昨日、王妃様に思いっきり……」
「またなの?」
「ええ、頬に血が滲んでいたのを見たわ」
「お可哀想に……まだ10歳でしょう?あんなに厳しくしなくても」
短い会話で、誰が誰に何をされたのか一瞬で理解が出来た。ナスカは母親であるプレアに厳しい体罰を受けている。ユアンは拳を力一杯握って、想像するだけで嫌な汗が出るような出来事に息が詰まった。
「私たちも王妃様に言われて治療もさせてもらえないし、きっとまだあのままね」
「はぁ。何とかならないかしら」
「軟禁状態がもう3年よ?私達の精神が持たないわ……」
侍女たちの話し声はだんだんと遠のいて行って、いつしか聞こえなくなったためユアンも角を曲がり歩き出す。
そんな……あの温厚で優しいプレア様が軟禁に体罰まで?私がいた頃には何も聞かされていなかったが、その後何かあったのだろうか。"あの子を頼んだぞ"というのは、こういう事だったのか?城の様子がおかしい。陛下の言葉、王妃殿下の人柄、騎士のレベル。何もかもが以前とは別物のように感じる。
気持ちを落ち着かせるように目を閉じながら、過去の出来事を振り返った。それでも現状と結びつく事件は何もなかった。
ユアンは自分の部屋についてからすぐバッグを手に取り、握り締めたままの拳でナスカの部屋の扉をノックする。返事がないのでもう一度ノックすると、やっと声が返ってくる。
「……誰」
心なしか弱々しい声に、感情を抑えながら答えた。
「王国の第四の星に謁見申し上げます。ユアン・ロベルトです」
ナスカは来訪者に驚いたようで一瞬黙ると、ため息混じりに冷たく返す。
「何の用?」
「お話ししたいことがあって来ました。中へ入ってもよろしいでしょうか」
「……好きにして」
中へ入ると、相変わらずベッドに腰掛けているナスカ。はやり頬は赤く腫れ上がっていた。
「なに?」
「近くへ行ってもいいですか?」
無言を肯定と受け取り近くに寄る。跪き、バッグからポーションを取り出して持っていたガーゼに含ませ、頬に当てた。
「いたっ……!」
「少しだけ耐えてください」
涙目になるナスカに心を鬼にしてガーゼを当てていると、みるみるうちに傷が癒えていき、元の美しい肌へと治った。
「よかった」
手を離し微笑むユアンに、ナスカは痛みに耐えて溜めた涙を一つだけ零す。
「なん、で」
「侍女の方の噂話を聞いてしまって。先程は気が付かず申し訳ありませんでした」
開けたままのポーションに蓋をして鞄にしまい、立ち上がって出て行こうとしたが、それは叶わない。何故ならユアンの袖をナスカが引っ張っているからだ。勇気を振り絞ったその手は、小刻みにフルフルと震えている。
「ナスカ様?」
名を呼んでも何も答えないナスカをジッと見つめると、よく見れば身体のあちこちに古傷がある。それに、少し長めの髪が片側だけ極端に短く切られていて明らかに不自然だった。震えるナスカにもう一度優しく声をかける。
「ここに居ますよ」
その言葉を聞き暫くしてからゆっくり顔を上げ、彼は縋るような目で小さく小さく声を出した。
「ありがとう……」
「当然です。私は殿下の騎士ですから、何でもおっしゃって下さい」
袖を掴まれたまま立ち尽くして10分、落ち着いたのかやっと手を放し震えも止まった。
「大丈夫ですか?」
その問いにナスカ小さく頷いて、ユアンの顔を見据える。空の碧を宿した瞳は吸い込まれるほど美しい。
「聞いてほしい事があるんだ、お母様のことで」
先ほどよりも幾分かはっきりとした声で、ユアンの気になっていた話が出てくる。ナスカに向き直り姿勢を正した。
「……ユアンは元騎士なんだよね?」
「はい、そうです。4年前のお話ですが」
「その頃ならきっと知ってると思うけど、お母様はもっと優しい方だったんだ。でも急に怖くなって……僕だけをこの部屋に閉じ込めるようになった。僕を見ると怒りだして、叩かれる」
頬を抑えるナスカ。今は治っていても叩かれた感触が消えないのだ。
「兄さんたちは何もされないのに僕だけで、理由はわからない」
「……その前に、王妃様に何か変わった所はありましたか?」
「あっ、病気をしてた」
「病気?」
「うん、そのころはずっとベッドにいたよ」
「その病気って何だかわかりますか?」
無言で首を振るナスカ。
「少し引っ掛かりはするので、私のほうで病気のことを調べてみます」
「何か関係あるの?」
「それを明らかにするために調べるのですよ」
ナスカを救いたいのももちろんだったが、王妃はユアンにとっても大切な存在で、何か原因があるなら突き止めて治したいとも思っていた。
「僕も図書室で調べてみるよ」
「部屋からは出られるのですか?」
「お母様が出かける時間だけは大丈夫。真夜中だけど」
「わかりました。その際は私も一緒に行きます。」
そうして2人は王妃が急変した理由を、目立たぬよう調べることにした。




