籠の外のアレッタ
「アレッタ、これ買ってきて」
「はい!」
あれから2年、アレッタは14になっていた。
ヒースの手伝いもあり、簡単な計算と読み書きはすぐに修得したアレッタは、もう町の娘と然したる変わりはない。
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ヒースはあの時幾つかの嘘を吐いた。
もっとも嘘、というのも正しい言葉ではないのだが。
ひとつは、彼女が何処で働こうとも、『村の取り分』なんてものは初めから存在していないということ。
町は村を信仰していて、村は尊い存在である。巫女を捧げる状況になった時……必要な分は狩りを主として得ていた金の分の、物資によって宛がわれている。
つまり、彼女が働くことは村への対価ではない。
巫女の回収は、同時に保護でもあった。
その職が娼婦なのにも、ヒースが語った以外の理由がある。……ただしこれは意図してのことではないが。
保護とは言えど、本来は神に捧げる巫女……それを奪う行為であることには変わりがない。
なので巫女は堕ちる必要があるとされていた。
故に教えに背く存在──娼婦となる。
もともとはそうだったその理由が、年月を経て曖昧になっていったこと。娼婦として働く事を拒んだ巫女が時折いたこと……町が村について多くを語ることをよしとしない事など、様々な要因からハッキリとそのことを知るものは、少なくなっていた。
そして、『売られた』という言葉。
これもまた上記の理由から間違いになる。
『銀猫』に来たばかりのヒースがそう思っていたのは確かだが……『狩人』として独り立ちする際に、娼館主はきつく彼に言った。
「捧げられた巫女に『売られた』とは絶対に言うな。彼女等の心情の問題もあるが、そもそも事実じゃねぇ」
そこで初めてヒースは、身代わりだった男の自分でも村が救われた理由を知った。働き手として買われた対価などではなく、巫女が捧げられた時点で決まっていた事なのだと。
神に捧げられなかった巫女の願いは、当然神には届かない。
だから、神の代わりに聞き届ける。
……そういう構図だという。
だが、納得はいかなかった。
(詭弁だ)
ヒース自身が『売られた』と感じたのだ。
──神なんか、いない。
ヒースはそれを、真実にしたかった。
誰の中でのことではなく、自身の中で。
だが、彼の中での自身は、あまりに胡乱な存在過ぎた。
既にどちらの立場にも立っている彼は、否定をしながらも、それらを受け入れている。そんな自分を許せないまま。
だからこそ、巫女の答えを知りたかった。
確かにヒースはその点に於いて、巫女を利用したと言えなくもないが……決してそれだけではない。いつだって彼は、葛藤と矛盾の中で彼女等のことを気遣っていたのだから。
そしていつだって悔やんでいた。
無力な自分を責めて。
正しいことなど見つからない……嘘はそれ故生まれ、それをまた悔やむ……それは今も、まるで贖罪のように続く。
ティナにはなにもできなかった。
マギーの気持ちには応えられないまま、気付かないフリをした。
少女の言葉になにか気の利いたことを返せたなら、結末は違ったかもしれなかった。
それは激しく降り積もる雪の様に、静かに重味を増していき、ヒースの視界を狭くした。
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買い物籠に沢山の物を入れ、よたよたと歩いているアレッタは、唐突に荷物を奪われた。
「!!…………ヒースさん!いつ帰ってきてたの?!」
驚き、怒りと不安、また驚き、喜び。
アレッタの表情がくるくると変わる。
無表情なヒースも、これには目を細め、小さく吹き出した。
ヒースはあの日も、今までで一際幼いアレッタには、特に気を割いた。
慎重に様子を見て、彼女が落ち着くのを待ち……どう説明すべきか迷いながら、紡いだ言葉には、嘘と事実が混じった。なにが彼女とって辛い思いか、判断出来ずに。
娼婦とて簡単な仕事ではないのだが、男で真面目なヒースには「他の仕事より大変ではない」という気持ちは拭えない。
それに、例え町で公認されてても、後ろ暗い仕事であることには間違いなかった。それは、『狩人』も同じこと。
辛いと知った上で、できれば娼婦以外の道を選んで欲しかったのだ。自分の救いと……彼女自身のために。
アレッタには努力し、自らの力で日のあたる場所を歩いてほしい。
自分や巫女が選べなかった道を。
──それが勝手な感傷であることはわかっていた。
だが、アレッタもそれを望み、応えるように努力をした。
それはほんの少しだけ……ヒースの中の雪を解かす。
狩人の役目をやめるなんて選択肢は、ない。
迷いながらでも、続けると決めている。
ヒースが『銀猫』に戻って来ると、アレッタはとても喜ぶ。以前「ベンの様な尻尾がみえるくらいだ」と皆から言われ、からかわれていた程。
何処からおちたのか雪解け水が、キラキラと空から輝いて落ちた。
春の匂いを運ぶように。
最近とみに女の子らしくなってきたアレッタを、ヒースは眩しく、面映ゆい気持ちで眺めて、微笑んだ。
いずれ大人になり、ここを羽ばたいていく……アレッタの、そんな姿を想像して。