ヒース・後
初めての回収は意外にも、滞りなく行われた。
当初「ヒースは真面目過ぎる」と娼館主の決定に反対も出ていた。皆、彼の複雑な気持ちを慮る一方で、巫女に対する対応を懸念してもいたのだ。
だがヒースは結局、何も特別な行動はとらなかった。
アレッタの時と違い雪は降っていなかった。特に邪魔が入ることもなく……巫女は籠に入れたまま、直接娼館まで送り届けることとなった。
馬車の中──蓋を開けて逃がそうと思えば幾らでも機会はある。だがヒースにそんな気持ちはなかった。
ヒースの姉は、所在どころか生死もわからぬまま。考え難いが、逆側から逃げたのならば『聖域』とされる森よりも、もっと深く続く森……生きている可能性は低い。
だが、ふたりは町にはいなかった。
(……俺がなにもしなければ)
──少なくとも、生きてはいた。
その一方で、未だに受け入れ難い現実を思うと……なにが正しいのかなんて、彼にはもうわからなかった。
それに、知りたかった。
巫女の選択を。
(蓋を開けて、出てきてしまえばいい)
自分ができなかったその選択をしてくれたなら……完全に村から解き放たれる、そんな気がして。
しかし巫女の判断は、ヒースに村との結び付きをより強く意識させることとなった。
『銀猫』に着き、蓋が開かれ……諸々の説明を受けた巫女の少女が動揺したのは、初めだけ。彼女は気丈にも微笑み、すぐに決断した。
「村がそれで助かるのなら……神に捧ぐも同義でございます。ならばこれも神の御導きなのでしょう」
たがこれは彼女が特別強かった訳ではない。
最初の籠の巫女への説明は、ヒースがアレッタにしたものとは大きく違っていた上、なによりも……同性であり、元・巫女の娼婦が行っていた。
なにも彼女は嘘を吐いた訳ではない。当初の自分を振り返って、安心感を与えながら、穏やかに諭しただけだ。それに、彼女は娼婦以外の仕事を知らないし、今の生活にそれなりに満足していた。
余談だが、ヒースがアレッタにした説明は若干の嘘を混ぜている。彼にしてみれば、そうせざるを得なかったのだが。
やんわりとした都合のいい、元・巫女の説得を欺瞞だと思えど……それもまた言い換えれば優しさだと、ヒースは既に理解してしまっていた。
一番目の少女はヒースの3つ下。名をティナという。……見知った娘だった。
もっともティナの方は、変わってしまったヒースには気付いてない様子だったが。
それから数年が経ち、また巫女は捧げられた。
二番目の少女からは、ヒース一人の役目。それはアレッタの時より更に、雪の強い日のことだった。
仕方なくヒースは森小屋へ籠ごと巫女を連れていった。
だが蓋を開けた後は、説明どころではなかった。
いきなり知らない場所に知らない男──
まずそれらと、自らが生きていることに動転した彼女は、逃げ出した。
閂を下ろしていないのが災いし、外へ出た彼女を待っていたのは深い雪。当然ヒースは簡単に彼女を保護できる筈だったが、運悪く彼女は傾斜から足を滑らせた。
積もった雪と絶え間なく降り注ぐ雪の中……落ちた位置がよくわからない状態でヒースは姿の見えない少女を探し、必死で雪を掻く。幸い、比較的早くに見つかった。
だが箱の中にいた時間もあり、指先に軽度の凍傷──処置はしたが、それ以上はもうどうにもならない。痛みと恐怖にただ泣く彼女に、何も説明などできやしなかった。
ただそのお陰か、雪が弱くなり娼館に向かうときには、素直に従ってくれたのだが。
ヒースが説明をしたのは『銀猫』に着いた後……娼館主に、だ。
勿論、事の経緯と、説明できなかった旨を。
主はヒースを責めなかったが、責めない代わりにこう告げた。
「お前が話して、決めろ。彼女の行く道を」
「え……」
「あの娘は『神の御許に行きそびれた』と。ただ泣くばかりで誰の言うことも聞きやしない。だがヒース、お前の言うことなら聞くだろう」
「ですが……」
「ヒース」
名を呼んだ『銀猫』の主の口調は変わらなかったが、口答えを許さない響き。身を強張らせたヒースに、彼はゆっくりと近付いてこう続けた。
「お前が決めるんだ」
数秒の沈黙の後で、背中をばんばんと叩き、「どうとでもしてやるから」と笑って言った主。
ヒースは知らない。
自分が部屋から出た後で「主はヒースに甘い」と、皆笑っていたことを。
二番目の少女は、マギー。
「女は純潔でなければ」と言うマギーには、他の仕事を紹介した。マギーは切なげに瞳を潤ませ黙ったが、やがて「貴方がそう言うなら」と了承した。
マギーも懸命に仕事に努めたが……冬になると凍傷になった部分が痛み、なにをするにも厳しかった。
やがてマギーが町にも慣れた頃、少し垢抜けた彼女は、自らの意思で娼婦になった。
既に彼女は、純潔を失っていた。
三番目の少女は、名前すら知ることはなかった。
「私は売られたのね」
たったひとつ発した、彼女の言葉。
ヒースは否定も肯定もできないまま、食事を出し、ベッドをあてがった。
──窓の割れる音。
急いで部屋の扉を開けるも、彼女は既に居らず……開いた窓から入った雪が降り注ぐ。マギーの時を思い出し、外へと走ったが、結末は違っていた。
彼女は土に還るつもりで、外に出たのだ。
硝子の刃を持つ手は迷いなく、ヒースの目の前で首を切った。
「──どうすればいいってんだ!どうすれば……っ」
叫びながら、もう助からない少女から勢いよく噴き出した血を、必死で止める。
だがそれはあまりにも、無意味な行為だった。
「…………」
「!」
「……」
最後に彼女が口にした言葉……もう声は出ていない。
か み さ ま 。
「くそッ……!」
そう吐きながら、息をしなくなった彼女の小さな身体と……周辺の血を掻き集めて毛布で纏め、いつかの男達の死体と同じ様に処理した。
無慈悲なようだが、村の弔いも実は大差がない事を思い出す。
遺体は花と共に布に包み、森に棄てる。その人の生命が生まれたとされる方角へ向けて放るのが習わしだ。
(神なんていない。だけど)
「……還れると、いいな」
虚ろに目を向けてヒースはそう呟いた。
そこがせめて、彼女の生命が生まれた方角であるように、と祈りながら。
そしてまた数年の時が流れた。
もともとお喋りな方ではなかったヒースだが、『狩人』となってからはより寡黙になっていた。
答えはずっと、見つけられない。未だにそんなものをさがしているのか、とあまりのくだらなさに自嘲すら漏れる。
ある日、娼婦達が妙にはしゃいでいた。
商人の客から珍しい異国の鳥を貰ったという。
「……あっ!ヒース、それ捕まえて!!」
籠から逃げた一羽。
それはアッサリ捕まった。
風切り羽根を切られた鳥。
空を知ったところで、そう遠くまで飛べやしない。獣にやられるか、安全な籠に戻るか──
(まるで自分達の様じゃないのか?)
はい、と渡すと女達は甚だしく適当に、ヒースを持ち上げた。その安い言葉に彼も笑う。
あまりにも普通で平和だ。
これが不幸だなんて、誰が言えるというのか。
(グズグズといつまでも悩んでいるのは、きっと俺だけなのだろう)
──それでも。
外に出ると、青空が広がっていた。
雲の流れが速い。
今年の夏は厳しく、長かった。
冬はどうだろうか。
これからヒースは森へ行く。
『銀猫』の、狩人として。
ヒースは丁寧にしまうように、気持ちにそっと蓋をし……空気銃を手に取った。
ヒース編では、アレッタのとのやりとりは描かないことにしました。




