ヒース・中
夏の暑さが厳しい年のうち何回かは、冬の寒さも厳しい。
その年の冬も厳しく、短い秋を抜けるとすぐに降りだした雪は、あっという間に辺りを白く埋め尽くした。
雪が降り出してからは毎朝定刻に、巡回する。
「ルートは毎回違うが、全て覚えろ」
「はい!」
ヒースは当初、狩りの為だと思っていたが、そうではない。バーニーのいう通り、ルートは毎回違うが……家から出て必ず通る場所が一箇所だけあることに気付く。
その場所を、ヒースは見たことがない。
だが、知っていた。
何度目かの巡回中、ヒースはとうとうそれを口にした。
「……バーニーさん」
「なんだ」
「『狩人』って……なんなんですか」
「……」
「バーニーさん!」
一度表に出してしまったら、もう抑えられない。答えないバーニーに、ヒースは掴みかかった。
「答えろっ……!」
もう初老と言える年齢のバーニーだが、その身体はたくましく……太い腕で容易くヒースを払い除ける。だらしなく雪に身体を埋めたヒースの方が、今度はバーニーに襟首を掴まれた。
「──ヒース、お前は半端者だ」
「!」
「村を憎んでるんじゃなかったのか?」
「だけどっ…………」
それ以上出る言葉もなく、ヒースは項垂れる。バーニーは手を離すと大きく白い息を吐き、皺に弛んだ細い目を彼から背けた。
「…………ガキが」
小さく舌打ちをし、バーニーは歩き出す。ヒースは泣きながらそれに続いた。
巫女を回収するのが『狩人』の役目──ようやくヒースは、それに気付く。
言い様のない、悲しみ。
何故泣いているのか、よくわからない。
町に来て、自分は村を憎いと思った。
村をおかしいと思った。
ならば、この役目を誇ってすらいいはずだ。
町に来たばかりの時の動揺……売られたと知ったときの絶望が、こんな気持ちにさせるのだろうか。
あのまま村にいたとして……姉が神に嫁いだことにしていたら。
もしも自分が女で、潔癖なまま、娼婦にされていたら。
村にいた頃には穢らわしいと教えられていた殺戮の道具に触れ、高揚していたことや、新しいことを知ることへの喜び──
沸き上がる罪悪感と、どうにもならない過去への『たられば』がぐるぐる回る。
(俺は、半端者だ)
町の人間でも、村の人間でも、ない。
憎む事で否定しようとしても、村での日々や教えの全て……それも含めて自分。無くすことなどできやしなかった。
不意に、バーニーの足が止まった。
「……隠れろ」
「え……」
そう言うとバーニーは、ヒースを引っ張って陰へと身を隠す。
やって来たのは──ふたりの人間だった。……どうやら猟師のようだ。
「ひでぇタイミングだが……」
呟いて、バーニーは続ける。
初老の狩人の瞳は前方を捉え、既に身体は銃を背中から引き抜き、態勢を整えていた。
「あれも獲物だ、イケるな?」
「……獲物って……ヒトですよ……」
「殺らなきゃ殺られる、そう思え」
小声だが、ハッキリした口調。
反論を許さない圧にヒースも状況を理解し得ぬまま銃を構える。
「俺が撃ったらあっちに走れ、いいな」
バーニーはそう言うと即座に銃を撃つ。
マスケットより軽い銃声が響き、一人の鮮血が白の中に舞う。
同時に走り出すヒース。
「?!くそッ!」
もう一人がヒースに銃口を向けるより先にバーニーの空気銃は男を倒した。
あまりにも鮮やかで、意味のわからない殺戮。
バーニーは男に近寄ると先ず銃を回収する。動揺しながらそれを眺めるヒースに目を向けないまま、バーニーは強い口調で彼を呼んだ。
「殺れ」
「!」
一人はまだ辛うじて生きていた。
「お前がとどめを刺すんだ」
ヒースが請うようにバーニーに目を向けると、彼もこちらを見ている。
向けられた強い圧に、決して拒否することは許されないと察したヒースは……震える手で強く銃を握り、指に力を込めた。
その日の食事は、なかなか喉を通らなかった。
バーニーに尋ねたいことは、沢山あるが……口を開くのすら、重い。
あのあとバーニーは、「手筈を覚えておけ」と一言告げ、猟師の身ぐるみを剥いだ。
腰に巻いた荷袋の中から出した匂袋と共に、血を落とした金目のものを風呂敷で包み、木に括りつける。
死体は板切れで作ったソリにのせ、ルートから離れたところの傾斜へ、ソリごと放った。
最後に笛を吹く。
特に鷹やなにかが現れる訳ではないが、これでいいらしい。
押し黙ったまま、ただ無意味に匙を回すヒースに、バーニーは静かにこう告げた。
「……これで、この冬は巫女が来なくて済むかもしれない」
「──どういう……ことですか」
「この森は村の一部……村は町にとって、聖域なんだ」
ヒースはそう聞いても、意味がわからなかった。ただ、目眩のような感覚が身体を襲う。
静かな口調のまま、バーニーの嗄れた声が頭に響く。
聖域に入ることができるのは、許された一部の人間。
それ以外は、神の村への供物。
神の村と町を繋ぐ者──それが狩人。
(ああ…………)
朧気に感じていたなにかが、ハッキリと見えた気がした。
よくわからないまま、漁った書物。
過分な迄の、自分の扱い。
村のことを、話さない皆。
『不可侵』という言葉。
巫女として選ばれた少女だけでなく、
神を信仰し、昔ながらの生活を守り生きる、村の民もまた神子……
村は、町の信仰の対象だったのだ。
「……バーニーさん……」
「なんだ」
「信仰って……神って、なんですかね……」
「…………お前はどう思う」
「俺は……」
暫く黙ったあと、ヒースは言った。
「──神なんか、いやしない」
信仰の底にあるもの……依る心。
それはきっと、どこまでも人間の都合でできているのだ。
ならばヒースは、そんなもの、要らなかった。
死んだ男達がどこの者か、わかることはない。
死体は獣と雪が消してしまうだろうし、町の人間が彼等の存在を語ることは、決してないのだから。
──それから数日後の朝。
「……ベン?!」
巡回するヒースの元へ、嬉しそうに駆けてきたのは『銀猫』の犬、ベン。
バーニーがあの日吹いたのは、彼曰く『おそらく鷹笛』……バーニー自身もよくわかっていないという。それを合図とし、『銀猫』に渡りがつくのならばどうでもいいらしかった。
渡りがつくと、ベンが雪道の中、なにも入っていない袋を携えてやってくる。
だが男達の荷は、先日こうしてやってきたベンに、既に渡していた。
ヒースはバーニーに促され、自分の荷袋の中から干し肉を出し、ご褒美として与える。
尻尾を強く振りそれを食む、ベンの頭をヒースが優しく撫でる中……バーニーはベンが携えている袋をまさぐった。
筒上の容器──『銀猫』からの手紙。
バーニーが眉根を寄せたことで、ヒースはそれがなにか、わかった気がした。
これは……!
あと1話で……終わるのかっ……?!