ヒース・前
娼館『銀猫』には『狩人』という特殊な職業がある。
狩人本来の仕事である、狩りもするが……一番の仕事は無論『巫女の回収』──
何代目かの狩人、それが、ヒースである。
ヒースは、元々アレッタと同じ村の民だった男だ。
彼が村にいたときも、数年に一度、長期に渡る悪天候は起こった。その度村は危機を迎えたが大概なんとかなった。
──否、なんとかしてきたのだ。
だが、どうにもならなかったある年……今回と同じように儀式は執り行われた。
それはヒースが齢14になったばかりのこと。
巫女として選ばれたのは、ヒースのひとつ上の姉……彼女は春になったら嫁ぐ予定の娘だった。
儀式の日の深夜──姉を慕っていたヒースは婚約者と共に姉を説得し、こっそり身代わりになった。姉と婚約者は儀式の最中村から逃げる手筈で。
幸い当時のヒースは小さく、ケープで顔は見えない。成り代わりは意外にも容易く成功した。
そう、彼が『逃げた』と語った巫女こそ……姉。
籠の中で蹲っていたヒースの気持ちは、アレッタとそう変わりはしなかった。
むしろアレッタよりも強い罪悪感に苛まれる中……籠は運ばれ、ある場所についた。
途中、馬車の様なモノに乗せられて運ばれた先──それは山のふもとの町の、娼館『銀猫』。
ふもととは言っても、村とは逆側にあたる。村のある側には深い森が広がっており、そこは逆側ではあるが村にとって、最も近い町でもあった。
ヒースは驚いたが、驚いたのは彼だけではない。娼館の者も当然驚いた。
だが幸いなことに、村の『教え』とは違って皆人道的であり、支払いの代価としてヒースが働く事でその場は収められた。男娼は扱っていないので、ただの働き手として。
ただし、これが元で次回の儀式からは巫女の確認をすることになったようだが。
後にヒースが知ったところによると、村から逃げ出した者が町に流れていたようだ。
それを聞いてヒースは姉を探したが町には居らず……ふたりのその後はわからないままである。
勿論人々が皆善良というわけでもなかったが、それは村も町も本質はそう変わらない……そうヒースは感じた。
少なくとも、『教え』とは何もかもが違っていた。
ヒースの仕事は厳しい雑務だったが、その合間に字を覚え計算も学んだ。
食事は粗末なものだったが、村と違って常に一定の量を摂ることができたし、娼婦等からおこぼれを貰うこともあった。
小さかったヒースの体格はみるみる大きくなっていった。
新しい生活にただ必死なだけだった最初の頃とは違い、身に付いていく知識と共に思索の時間も増えた。
姉のこと。
神のこと。
村の教え。
納得のいかないあれこれ──
(全て、村のせいだ)
じわりと滲み寄る、やり場のない怒り。
次第に村を憎むようになっていく彼を、何故か周囲は一様に嗜めるも、多くは語ってくれなかった。
(……そもそも、おかしい)
自分の処遇にしてもそうだが、町の人間は村に対して優しすぎる。
なのに、村のことになると曖昧に濁すばかり。
異国の常識やルールがわからないように、新しい生活の全てに必死だったヒースが、ようやくその不自然さに気付いた頃……彼は18になっていた。
それから暫くの間、彼は頻繁に村について尋ねるようになる。立場上、強く尋ねるのは憚られたが……一度、良くしてくれる先輩はこう答えた。
『あそこは不可侵なんだ。もう忘れろ』
誰かに聞くのを諦めた彼は、休みの度、図書館に足繁く通った。
読むことには大分慣れたが、速度は遅い。何をどう調べたら良いかもよくわからない。
それでも徐々に、見えてくるモノはあった。
その年の夏は、厳しい日照りが続いた。
そんなある夜──娼館の主はヒースを呼び出し、彼に猟銃を差し出した。
「弾は入ってねぇ。使い方と整備、まずそれを覚えろ。わからねぇ事はバーニーに聞け」
「……っはい!」
(銃……!初めて触る!!)
役目の事など知らないヒースは、主の命に少年らしい関心から胸を弾ませた。
他の者たちが主に向けた、複雑な視線には気付かずに。
渡されたのは空気銃。
言われた通りに使い方と整備を覚えたあとは、初老の狩人、バーニーの指導のもと、旧型の空気銃で射撃練習を行う。
秋になる頃には実践に入った。
秋とは言ってもまだ暑い。
厳しい夏は、なかなか終わってくれず、茹だるような暑さの中──連れていかれたのは、森の中の、小さな家。
バーニーは「暫くはここで生活をする」と言う。
村でも町でも散々やってきた雑務は、思いの外役立った。新しく覚えることは、周辺の地形や、そういったこと。
特に、「少なくとも家から500メートルまでは、どこからでも……たとえ目を瞑ってようとも、確実に帰れるように覚えておけ」と何度も念を押された。
バーニーは寡黙で、非常に真面目な男だ。
ヒースは何故彼が『銀猫』にいるのかわからなかったが……
(考えてみればいるって言っても、いつも『銀猫』にいるわけじゃない)
ひと度狩りに出れば、暫く戻っては来ないのだ。
一人で狩人として過ごし、獲物の皮やら肉やらを売るよりも……普段は別の事をして、指示された時だけ狩人になる方が、都合が良いのだろう。
(なんとなく、狡いな)
そんな気持ちの反面、バーニーとの日々は何処か懐かしく、心地好ささえ感じられる。
ヒースは、その気持ちの中にあるモノを打ち消しながら過ごした。
最初はひと月、それからは二週に一度は町へ戻る。ひと月目の暖かいうちに、周辺の地形と昨年の獣の巣穴、獣の巣穴になりそうな場所を確認しておく。
狩りもするが大物は狙わない。
獣も秋口は動きが活発になるため注意が必要だ。特に熊は、冬眠前。
ふた月目からはその周辺を避けながら狩りを行う。狙うのは兎や鳥などやはり小物が多いが、練習にはうってつけでもあった。それに、捌き方には馴れている。
時折猪や鹿等の大物も仕留めることもあった。村では小物と魚がメインのたんぱく源だったため、バーニーに教わりながら捌く。
肉は加工して備蓄に回し、皮や羽根は売るために剥ぎ、洗浄やなめしなど必要な処理を行ってから町に戻った後で売った。
町へ戻るのはそれらを売るためと、冬への備えの為。
まだなにも知らないまま、ヒースは狩人としての技術や過ごし方を身に付けていき……季節は冬を迎えた。
もしかしたら前中後になるかもしれない予感。