アレッタ・前
エッセイで読んだ方、前半変えてないんでサラッとで大丈夫です。
ちなみにエッセイは差し替えました。
雪が降っている。
静かに降り積もるそれを眺めながら、アレッタは温かいスープを頂く。
鹿の干し肉は、滅多に食べられないご馳走。アレッタは泣きながらそれを食べた。
──こんなときでも、それはとても美味しい。
いや、こんなときだからこそ、だろうか。
温かい食事の後は、温かい布団に横になる。
羽根が沢山詰まった布団は軽くて本当に温かい。アレッタには初めての感触で……逆に眠れなかった。
降り積もる白い雪のせいか、ぼんやりと薄明かりに照らされる、小さな部屋。
布団と小さなテーブル以外、何もないその壁に掛けられた……美しい装飾の衣装。
アレッタは明日、これを着て嫁ぐ。
相手は──神。
山間の小さな村。
日照りが厳しく続いた今年、秋になっても作物はあまりとれなかった。川の水は少なくなり、魚は減った。
昔ながらの生活を続けているこの小さな閉じられた村には、特産品よりもまず、取引相手がいない。
村から出ないし、他からは遠く離れている。人が訪れることはごく稀で……また、村人はそれを喜ばなかった。
村人を村に繋ぐものは信仰。
偉大なる神から分け与えられた日々の糧に感謝し、生き……そして土に還る。
神には祈りと感謝を捧げるだけ。
願ってはいけない。
願うなんて、畏れ多く、身の程を知らない愚かなこと。
それでも願わなければならない時、それが今だった。
アレッタはその身を捧げ、村の為に願う……神の花嫁、巫女。
翌朝早く、アレッタは美しい衣装を身に纏い、駕籠に乗る。
雪の降る中をザクザクと音を立て、駕籠は村よりも上方の、森の中へと運ばれる。
アレッタを乗せた駕籠が置かれたのは、森の入口から少し歩いた、比較的開けた地。
なにぶん雪が多いし、冬とはいえ、森に棲息する獣の全てが眠るわけではない。駕籠を運び終えると直ぐ、村の男は帰ってしまった。
──このまま雪の中に沈んでいくのか。
それとも獣に襲われるのか。
それとも──
雪が全ての音を吸うように静かな森。
時折聞こえてくるのは、バサリ、と雪の塊が下に落ちる音ぐらい……
駕籠の中で小さくなりながら、アレッタは自分の死のことを考えていた。
──苦しいのだろうか……
それは一瞬だろうか。
ゆっくりと穏やかに、消えるようなのだろうか。
それとも激しく燃え盛り、突然尽きるのだろうか。
それとも──
(……いけない)
自分は巫女なのだ。
皆の為に祈り、そして願わなければ。
──どうか、村の民がこれ以上飢えませんように。
どうか、来年は豊かに作物が実りますように。
どうか、この雪が早く溶け、厳しい冬が長く続きませんように。
どうか──
願いは尽きない。
果たして自分の身に、どれ程の価値があるというのか。
フトそう思ったアレッタは、願うのを止めた。
(神様は私をどれくらいの価値で迎えてくれるのかしら)
小さなアレッタが身を捧げたところで、村はどれだけの恩恵を受けるというのか──
神には祈りと感謝を捧げるだけ。
願ってはいけない。
願うなんて、畏れ多く、身の程を知らない愚かなこと。
アレッタは今よりも小さく幼い頃から、そう教わってきた。
身の程を考えると、これ以上願うのは恐ろしかった。
狭い駕籠の中なのに、編み目の隙間からは冷たい空気が入る。なかなか途切れることのない自分の意識──
小刻みに全身を震わせ、なんとか体温を上げようとする自身の肉体とはうらはらに、アレッタはできれば早く死んでしまいたかった。
──苦しいのは……これ以上寒くて、辛いのは嫌だ。
どれくらいの時が経っただろうか。
寒さと恐怖で縮こまっているアレッタの耳に、ザクザクと雪を踏み締める足音が近づいてきた。
ぼそぼそと、喋る声。内容はわからない。
(神様……?)
神の花嫁巫女であるアレッタが、自ら駕籠の蓋を開けることは許されない。不安な気持ちで隙間から外を見ようとしても……雪が張り付いている。
「!」
駕籠が持ち上がる感覚。
アレッタの胸も持ち上がるように跳ねた。
おそらくは、二人。
駕籠を運ぶザクザクとした雪を踏む足音からアレッタはそれを察する。
──ドクドクドクドク……
心臓が強く、速く打つ。
(これから神の御許へ行くのかしら)
…………怖い。
為す術なくアレッタはただ籠の中で震えるだけ。
──パァン!
突如、銃声、そして怒声。
「ッ!!?」
激しい衝撃がアレッタの身体を襲う。
籠が落とされた、とアレッタは理解したがどうすることもできないし、また、どうしたらいいかもわからなかった。
もう何時間も籠の中でひたすら蹲っていたアレッタの身体は、寒さと恐怖以外でも固まっている。もっとも、動けたところでどうにもならないが。
アレッタは自らこの籠の外へ出ることはできないのだから。
(神様神様神様……)
浮かんでくるのはそれだけ。
願うでも、祈るでもなく……ただ慈悲を求めるように。懇願するように。
喧騒が止んで暫く──アレッタの上から光。
蓋が開かれたのだ。
光とは言ってもただただ、白。
雪や水が入らないよう加工された蓋が取られて、アレッタの身体に冷たいモノが触れる。
「──出なさい」
「…………かみさま?」
恐る恐る顔を上げたアレッタの質問に返事はない。巫女のケープが邪魔をして見えない……後ろ側にいる『誰か』は、アレッタの固まった両腕を引っ張ると、間に自身の両腕を滑り込ませ、彼女を引き上げた。
「……立てるか?」
(…………ひと、だ)
わからないけど、そんな気がする。
だが、安堵した。
他にはなにも、出てこない。
『誰か』は腕を離さない 。……確かに足に力は入らなかった。
頭が真っ白なままアレッタは『誰か』の指示に従い、ゆっくり足踏みをする。
──生きている。それに、人。
少しだけ状況を理解したアレッタの目に涙が浮かび、溢れた。
(生きている……どうしよう、嬉しい)
喜びと罪深さに涙が止まらない。
嗚咽を漏らしながら、足を踏み……止めた。
「立てるか?」
再び尋ねた『誰か』に頷きで応じると、『誰か』はゆっくりと腕を離す。
しゃくりながらアレッタが振り返るも、まだ身体がついていかないのかバランスを崩し、再び『誰か』の腕に支えられた。
だが、今度は姿が見える。
齢12のアレッタからは、遥か年上に見える……男性。
事実彼はアレッタの二回り程上である。
端正な顔をしているが、風貌は野生的でボサボサの髪に無精髭……毛皮の付いた防寒着は薄汚れている。背には猟銃。
彼は見るからに狩人なのだが、外界との接触のないアレッタに、それはわからない。
「あなたは誰?」
「…………少なくとも、神様じゃない」
何故だか非常に辛そうな顔で、彼はそう言った。
「ここは冷える。家に来なさい」
「……でも」
アレッタは蓋の開けられた籠を眺め、後ずさった。
悪い人とも思えないが、村の教えでは外の人間とは接触してはいけないことになっている。既に巫女の役目に背き、籠から出てしまった負い目もあった。
「──巫女は蓋が開けられるまで外に出てはいけない……そうだね?」
「!」
狩人はアレッタの気持ちを読んだかの様に、村の『教え』を口にする。何故知っているのか──動揺するアレッタに向けて彼は、含むようにゆっくりと続けた。
「蓋は開いた。巫女の役目はここまでだ。儀式を続けたいなら、それもいい……だがまず俺の話を聞く気はないか?」
「…………」
教えに背く事になるとはわかっている。
だが……アレッタの身体は冷えきっていた。村への帰り道もわからない。
──本能が『生きたい』と告げている。
選択肢はないようなものだった。
暫くしてアレッタが頷くと、狩人は銃のベルトを前後逆に巻き、背中を彼女に向けてしゃがんだ。
「乗りなさい。巫女の衣装じゃ家につく前に凍傷になる」
「……」
そう言われては素直に従うよりない。
おずおずと、アレッタは狩人の背に身体を預けた。
アレッタを背負って狩人はザクザクと雪を掻くように、迷いなく進む。
アレッタには同じ景色が続いているようにしか見えなかった。
神ではない、知らない、外の人間。
不安はないわけではない。
──また、涙が出た。
だが不安からではなく……彼の背の温かさに。