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厨二病

作者: 吉田淑子

癇の虫だよ、この子は。と、母や祖母や担任の教師に言われたので、私は虫なのだと思った。

どうせなら姿も虫であったらよかったのに。私は別にこの世に生まれたくなかった。生まれるならせめて、すぐに死ぬ虫にでも生んでくれればよかった。あの蝶のような母親からは、きっと虫だって生まれる。


私は本当にろくでもない。頭も悪いしかっこも悪い。所有していて自慢になるようなことはひとつもない。早く死んでしまいたい。思考として明確に「死」というを意識していたわけではないのだけど、この世にいなかったら、消えてしまえたら、とは漠然といつも思っていた。特に学校が終わると。学校は好き。人と話せるから。だって家には誰もいない。家に連れて来るような友人もいない。狭い団地の片隅で、いつだって他愛ない妄想ばかりしていた。その空想ばかりが私の親友だった。

「寂しくないの?」母は言った。「友達もいなくて、学校の他は家でゴロゴロしてばかりで」私は何も言い返さなかった。「誰がひとりに慣れさせたの。私の小さい頃からお留守番させたのはママでしょ」言い返さなかった。別に言ってどうなるものでもない。母は帰ってくると大抵怒る。それは私がだらしなく部屋を散らかしているせいなのだが、片付ける気はなぜかさらさらない。反抗ではなく、単純に面倒なのと、やり方がわからないからだ。

私は何もわからない。顔の洗い方すら知らなかった。以前、珍しく母と風呂に入ったとき、「顔は洗わないの」と聞かれ、なぜか怒られると思った私は、慌てて「洗うよ」と言い、洗顔料のCMをまね石鹸を泡立てて頬をなでた。母は呆れて、「それはCMだけのやり方じゃない。顔全体を洗わなきゃ意味ないでしょ。馬鹿なの?」と言った。「わたし教わったことないよ」、と言うのが恥ずかしくて泣いた。顔を洗うなんて当たり前のことが出来ない私。

泣いていることに母は気付いただろうか。シャワーの音と水で、気付かなければいいなと思うけれど、気付いてないはずもないだろう。どうせ母には私が泣いた理由を察せないので、「また癇の虫か」と思うだけだ。


私には父親がいない。昔はいたような気がするのだけど、とりあえず今はいない。だから母は働いていて、家に寄りつかない。暮らし向きは裕福とは言えない。私は取り柄もないし、ちょうどいい。取り柄があったら習い事をしたくなるからお金が足りなくなるでしょ。絵を描くことや、歌を歌うことは好きだったけれど、どれも褒められたことがないので下手なのだろう。飽きっぽいし。本を読むことが唯一褒められた趣味だった。とはいえ、私の読む本なんて、決して褒められたものじゃない漫画みたいなものだ。単に周りが本を読まないだけだ。勉強や友達や家族とのお喋りに忙しくて。その点私は暇が有り余っていたから本くらい読むだろう。

私は中学生になっていた。頭は悪くて見た目も冴えず運動もできない。こんな私にもとりあえず学校で話してくれる、いわゆる友人みたいのはいた。もっとも、学校を出れば遊びもしないくらいの関係だったけれど、私にはそれでも嬉しかった。


「八島さん」

私はそう呼ばれていた。単なる名字だ。私は私の名前が大嫌いだからよかった。

放課後のちょっとした時間、たまにお喋りをするグループがいた。私の他には三人。

「知ってる?一組の永田くんと中島さんって付き合ってるんだって」

「そうなんだ」

「私も手をつないでるとこ見ちゃった。すごいよねー」

私はうなずいた。「すごい」、としか思えない。男の子と付き合うってどんなこと?なにか楽しいことなのだろうか。私は男の子は嫌い。

「八島さんは好きな人いないの?」

「え?」

「私はね、川本くんが好きなんだ。八島さんは?」

周りも、きゃいきゃいと囃立てる。私はここで何かを言わないといけないと思った。

「……橋場くん」

出た名前がそれだった。

「えー、うちのクラスの?」

「そう」

橋場くんは私のクラスの、明るい男の子だ。彼を好きな女の子はたくさんいるし、別に言っても構わないだろうと思ったのだ。さして好きなわけでもない。

「でも、言わないでね」

「どうして?言わないとダメだよ。告白しなきゃ伝わらないんだから」

「いいの。とにかく黙っててね」

その時、たまたま男子の集団が通り掛かって、その中に橋場くんがいた。

「はっしー!」

はっしーというのは彼のあだ名だ。

「なんだよ」

「あのねー、八島さんがはっしーのこと好きだって!」

私はゾッとした。どうして言うの。何も言えなかった。

やがて、男子のグループから笑いが沸いた。

「ほら、好きだってさ」

「うわ〜。はっしーかわいそー」

「キモいんだけど」

それを聞いて友人がなぜか、「ごめんね〜」と男子に謝った。

私は取り立てて衝撃でもなかった。どうせそう言われる事は知っていた。ただ、友人の「気にする事ないよ」という言葉にまた癇の虫が泣いた。

言っておくが、この男子の中傷は、マンガや小説での、「好きだからからかう」のようなものではない。男の子らしい、明らかな侮蔑と嫌悪でしかない。私は母からすら中傷されて育ったので、そういう事には敏感だった。敏感だからこそ、他人のちょっとした不機嫌も感じ、怯えてしまう。それがかえって相手を不快にさせる。

こんな私は間違いなくかわいそうだと思う。貧乏に生まれ取り柄もなく醜い。しかし体にハンデがあるわけではない。私はこれが最下層だと思っている。醜く頭が悪い、これだけで糾弾されるには十二分なのだ。一応五体満足ではあるから遠慮もいらない。かわいそうだ。わけても、幼い道徳心のせいで、私がこの不条理に気付かなかった事がいちばんかわいそうだ。私はこの中傷にも糾弾にもすっかり慣れきって、取り立てて改善の努力も行わなかった。


家に帰っていつものようにマンガを読む。今日発売の少女誌。その中の読み切りマンガにこう書かれていた。『女の子はきれいになるよ』。主人公の女の子に、貴族のようなきれいな男の人が言ったセリフだ。なんて残酷なんだろう。『きれいになるよ』だなんて。残酷だ。あるはずのない夢を見せる事は。『年頃の女の子はみんなきれいになる』?ああばからしいなあ!不細工はあがいても不細工なのだ。私はなんだか愛していたマンガにすら裏切られた気がして、ビリビリ破って捨てた。お気に入りのマンガまで破ってしまった。まあいい。電話が掛かってきた。母だ。

「今コンビニなんだけど、ご飯何がいい?おにぎり?お弁当?」

「いらない」

「どうしたの」

「とにかくいらない!!」

「あっそ。はいはい」

電話が切れた。私はなんだかひどくイライラしてしまった。私は買ってもらったばかりの自転車をこいで、どこか遠くへ行こうと思った。若くきれいな母には私はいらないし、友人にも私はいらないし、男子にだって私はいらないのだ。ここにいてなんの意味がある?でも行く当てもないけど。

私はとにかく水辺へ向かった。波の音や川のせせらぎを聞くと、妙にすっとした気分になることを思い出したのだ。辺りは一面真っ暗で私は楽しくなってきた。この暗闇では誰も私を気にすまい!私はいつでも見られているような気がしていた。家に監視カメラがついている気がしたし、帰り道も誰かがつけている気がした。そして私の滑稽な姿を見てゲラゲラ笑っているのだ。しかしその視線もこの暗闇ならば通用しない。私はいよいよ激しく自転車をこいだ。行き着いたのは暗い暗い夜の海。私はいったいどうしたいのだろう。死体になってもきっと私は醜いだろう。いっそ泡になって消えてしまいたい。カサカサと何かが動いた。恐らく小さな蟹だろう。

「私あんたになりたかったなあ」

呟いた。その野生の生き物はとっくに姿を消していた。虫になりたかった。蟹になりたかった。私以外だったらなんにだってなりたかった。「私だって私がいやだよ。だから仲間にいれてよ」これはクラスの誰かに向けた言葉。「これから誰も好きにならないし、何も好きにならない」好かれていないのだから当然だ。

思うに、もらえる愛情はジュースみたいなもので、人によってそれを受け入れるコップの大きさは違うのだろう。そしてそのコップは子供の頃いかに親に愛されたかで変わってくるのだ。私のコップはせいぜいがアーモンド大だ。それ以上の愛情は注ぐ必要がないということを、世間はわかっている。

海は生命の母だそうだ。この大きすぎるほどの彼女ならば私の命すらも軽く受け流すことだろう。

じゃぶじゃぶと中に入っていく。冷たい。

ママへ。ママはきれいだからまたいい相手見つけて再婚してください。私のことは忘れてください。(言うまでもないか)

パパへ。パパは責任を持たなかったから嫌いです。

クラスメイトの皆さんへ。ごめんなさい。ちっとも溶け込めなくて。でも、ちょっとだけ死ね。くたばれ。最期だから包み隠さず言っときます。死ね。


中学生の、まして女の私から世間に対して言えることはこの程度だ。私の世間は狭い。狭いまま死ぬ。ゴボゴボ。ゴボゴボ……




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