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07 ツバメが飛ぶころ(一)


 五月に入ると、聖なろう学園の校庭に、ツバメが飛び交うようになり、校舎の軒下に多くの巣が作られた。


 八重やえは、あの日以来、毎日のように一二三ひふみと二人で、居残り練習を続けた。

 その甲斐あって、二人はメキメキと実力を伸ばしたが、特に八重の成長は化け物じみていた。コーチから三十年に一度の逸材と言わしめるほどに。


 もともと、一二三目当てで入部した八重ではあったが、今はレスリングが純粋に楽しかった。

 特に一二三相手のスパーリングは、胸が躍って仕方がない。


 マットの上で、一二三が八重を組み伏せようと、その長身で蓋い被さると、八重は彼女の存在を、文字通りのゼロ距離で感じることが出来た。


 一二三が振り撒く体温と、汗の匂いに、八重は陶然と酔いしれた。


 だが、八重にとって、一二三とのスパーリングの最上の悦びは、一二三の動きと一体になれることだった。


 八重は一二三と組むと、彼女の動きが、手に取るように分かるのだ。


 一二三が右足に力を入れれば、次に左腕を引くことが分かった。


 人の身体には操り人形の糸のような筋がたくさんあって、どこかの筋が緊張すると、それに繋がるどこかの筋が呼応する。


 八重はその筋の動きの連なりを、明瞭に頭の中に描くことが出来るのだった。

 特別な訓練なんて、これまで一度もしたことがないというのに。

  

 一二三の動きに合わせ、八重はマットの上を踊るように、音楽を奏でるように舞った。

 一二三の身体と八重の身体がぶつかり合うと、二人の肌は、吸い付くようにピタリと貼り付く。

 それは、他の部員相手だと、感じられない感触だった。


 そんな一二三先輩とのことが、鍵と鍵穴のような特別な関係に思え──いつしか八重は、彼女のことを運命的な存在として、絶対視するようになっていた。


 


 一方の一二三は焦っていた。

 初めてスパーリングをした時は、比較的簡単に八重からフォールを奪えたが、それが最初で最後だった。


 二回目の勝負では、激しく八重を攻め立てたものの、八重からフォールを取ることは出来ず──。

 三回目の勝負は対等で──。

 四回目以降は、明らかに一二三が劣勢だった。

 まだ負けたことはないが、それも時間の問題に思われた。

 八重が余裕を残していることは、誰の眼にも明らかだったからだ。


 そして、そのことは一二三自身が、一番よく理解していた……。






 ──五月三十一日(金)


 一二三はいつもどおり、五時半に目を覚ますと、お手伝いさんが作ってくれた朝食を摂り、いつもどおり、六時半に家を出た。

 ドアを開けると、初夏の雄々しい朝陽が、津波のように視界を飲み込み、一二三は思わず目をすがめた。



 部活漬けの毎日で、気が付かなかったけど、知らないうちに、随分と夏の色が濃くなったものだ。

 でも、あと一週間もすれば、梅雨かぁ……。



 そんな取り留めのないことを考えながら、いつものように学校へと向かう。


 途中、朝練に向かうのであろう、近所の中学生たちの姿をちらほら見かける。

 話したこともないし、もちろん名前すら知らないけれど、毎朝見かける顔ばかりだ。

 彼女らとすれ違うたび、頑張れ! と思う。

 そう思いつつ、己を鼓舞する。私も頑張れ!


 何も変わらない、いつもの朝だ。


 だが、一二三は今日という日が──己の人生の大きな転換点になることを、この時はまだ、知る由もなかった……。

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