12 向日葵が咲く頃ころ(二)
「……ごめん……」
俯いた一二三の口から、そんな言葉が小さく聞こえた。
「……」
みるみるうちに、八重の瞳に涙が溢れる。
大学生らしいカップルが、二人の前を軽やかに弾んで、流れていった。
明るい夏の日の公園の──池の畔は、真夏の日差しに相応しい笑顔をした人々で溢れ、賑やかな会話を周囲に振り撒いていた。
彼らが発するその喧騒が、一瞬で遠のく。
八重は滲んだ視界のまま、五秒前に戻りたい、なにもかもを有耶無耶にしたい、そう思いながら涙が零れないように、必死で目の周りに力を込めた。
少し白みがかった薄く霞んだ青い空。
その下には、積み上げられたように、高く聳える夏の雲。
その遥か下の空間は、どこかで鳴き続ける蝉たちの声で満ちていた。
──その蝉たちの一匹一匹の声が聞き分けられるような──そんな時間の中に八重はいた。
蝉の声が鮮明さを増せば増すほど、眼の前に昏がりが広がり、その影が色濃いものへと変わりゆく。
救いのない時空が、永遠に続くようだった。
そんな絶望の果て。
一二三は八重の腰に手を回し、優しく彼女を引き寄せた。
突然のことにバランスを崩した八重が、つんのめるようにして、おでこを一二三の胸に埋めた。
蝉の音で満ちた昏がりの中で感じる、一二三の身体は──妙に無機質で固く冷たかった。
ほんの数週間前まで八重が感じていた、一二三の“特別”はどこにもなかった。
世界は蝉の音で溢れ、代わりに、熱と色が失われていた。
自分の心が死んだみたいだった。
そんな冷たい灰色の世界の果て。
一二三の言葉が、上の方から降ってきた。
「ごめん……こんなこと、君から言わせて……僕の方から切り出すべき話なのに…………すまない」
「ぇっ……」
一瞬、意味が分からず、昏い視界のまま、一二三を見上げた。
死んだ瞳は何も映さず。
「改めて言わせてくれ。僕は八重のことが好きだ」
好きだ、と聞こえた。
これまで耳の奥で鳴り響いていた蝉の声が、突然、薙ぎ払われたように、消え失せた。
そこに生まれたスペースに、続く一二三の言葉が侵入し、八重の脳を激しく満たす。
「居残り練習で、スパーリングをするようになって……いつの頃からか……気がつけば君のことばかりを考えるようになっていた。君といる時間がなによりも尊い。八重……僕と付き合ってくれ!」
「…………」
数瞬の放心。
直後、勿論こう答える。
「……はいっ!」
と同時に、一二三の背中に手を回し、ぎゅっと強く締め上げた。
自身の顔を、一二三の胸に深く埋めながら。
八重の瞳から、大粒の涙がポロリポロリと零れると同時に、一二三の皮膚の温もりや、沈み込むような肉の柔かさが、その鮮明さを取り戻す。熱のない世界に熱が戻る。色のなかった世界に色が戻る。
そんな八重の頭に、羽毛が、ゆっくりと舞い落ちるように、一二三がそっと優しく手を乗せた。
青空の上の方から、真夏に似合わない、爽やかな風が吹いてきた。
向日葵たちが、二人を見下ろしながら、その風に揺られている。
その様子はまるで、二人を祝福しているようだ。
夏空に映えるその向日葵たちに負けないくらい──。
始まったばかりの二人の恋は、淡く眩しく輝いていた。
『卍卍卍 魁! なろう学園女子レス部 卍卍卍』
~完~
最後まで読んでいただき、ありがとうございました <m(__)m>