10 紫陽花が咲く頃ころ(二)
翌日の昼休み、一二三は顧問に退部届けを提出した。
顧問は特に引き止めるでもなく、あっさり、届けを受け取った。
全国でも屈指の女子レスの名門校だ。
部員が辞めていくのは、何も珍しいことではない。
しかも、レギュラー入りなんて、到底出来そうにない平凡以下のダメ部員なのだ。
当然の態度だよね。
顧問を恨めしく思うことも、自身が傷付くこともなく、一二三は顧問の態度を受け入れた。
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六限目が終わり、部活動の時間が始まると、一二三は道場に顔を出した。
顧問がみんなを集め、一二三は最後の挨拶を済ませた。
人垣の一番向こうから、八重がなんとも言えない表情で、顔を顰しかめて、一二三を見ていた。
その表情を見て、一二三の心が微かに軋んだ。
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“もう退部した”、ということを意識すると、何度も通った部室から、校門に至る道のりも、随分と新鮮なものに感じられた。
今まで気がつかなかったことにも、自然と意識が通う。
校庭の右奥でボールを投げあうハンドボール部の部員たち。
鉄棒にぶら下っている体操部の下級生。
今日は体育館を使えないらしい、卓球部の部員達が走りこみをしている姿。
校庭を取り囲むように植えられている桜の木。
その足元で、揺らめく緑色の炎のような雑草たち。
──明日から帰宅部。
レスリング以外の生きがいを見つけなきゃ。
とりあえずは、今まで忙しくて読めなかった、積んだままの本を消化しよう。
そして、いつか自分も小説を書いてみよう。
私自身の経験を活かした、女子レス部の青春小説なんてどうだろう?
校門までの道すがら、そんなことを不図、思う。
それは、なかなかに、いい考えに思えた。
やがて校門に辿り着くと、柱に凭れ掛かってこちらを見ている、女の子の姿が視界に入った。
八重だった。
八重は一二三を見つけると、子犬のように一二三の下へと駆け出した。
「センパイ! お疲れ様です!」
「や、八重……部活はどうしたの?」
「サボりました。もう、辞めます。退部届けは明日、出します!」
一二三は、八重の輝くような笑顔を、只々、呆然と見つめることしか出来なかった。