「第一章」 出発
―むかしむかし
まだこのくにが、さばくにおおわれていたころ
ひとびとは、せまりくるさばくにおびえながら
ひびをすごしていました
しかしあるとき、このくにのこくおうさまが
さばくかをとめることを、けっしんしました
おうさまは、くにいちばんのくすりしであり
れんきんじゅつしでもある、しょうじょをよび
さばくかをとめることをたくしました
これは、なかまとちからをあわせ
さばくかにたちむかった、あるしょうじょのものがたり―
Ⅰ
家が爆発した。
そう思わせる程に大きな爆発音が、こぢんまりとした家から発生した。屋根上で休息に包まれていた鳥達は、予期せぬ出来事に慌てて飛び立っていった。
―鳥の羽音が聞こえなくなった後。
束の間辺りは死んだような静けさに覆われた。いつもなら動物や鳥の鳴き声が聞こえるが、今は物音一つすらしない。
しかし突然、ドタバタと物をひっくり返すような音が静寂を破った。
音の源は騒音の原因である二階の部屋の、そのさして大きくない窓を跳ね飛ばすように開いた。待っていたかのように、もうもうと黒い煙が吐き出されていく。その光景は、雲一つ無い晴天には恐ろしく似合わなかった。
自由を手に入れた黒煙が列をなす窓辺には、よく見れば煙と同じくらい真っ黒けになって窓辺で咳き込んでいる少女がいた。しかも半べそをかいている。
「また失敗しちゃった…。」
全身煤だらけの半べそ少女は半分泣きそうな声で呟いた。
見れば服の袖は少し焼け焦げており、前髪もやや縮れてしまっている。先程の爆発にもろに巻き込まれたのだろう、少々残念な見た目になっている。
…むしろ何故、それだけの被害で済んでいるのか。
部屋の煙が全て退室したのを見届けると、少女は窓を閉めた。肩を落としてため息もついた。
がすぐに、ぺち、と頬をはたいて気を取り直すと、部屋を見渡した。
「えーと、とりあえず椅子は、っと…。」
目的の物はすぐに見つかった。使い込まれた木製の角椅子は、壁際に横倒しになっていた。爆風で吹き飛んでしまっていたのだろう。
しかも、今までにも同じような目に遭ったと思しきへこみや傷が所々にある。そしてもう何度目かの爆風にも再び耐えている。ここまで来ると木製かどうかも怪しい。
少女はとてとてと向かうと椅子を立て直し、窓際に運んでいく。そして座り込むと、宙を睨み右手を口元に添えて、思案に耽り始めた。
「炎尾爬の爪粉の分量を間違えたのかな…。それとも叫暴花の花汁の濃度…?もしかして燃土のこね方が足りなかったのかも…。」
今回の実験についての思考を整理するためか、誰ともなく呟いている。
加えて没頭し始めたのか、少女は体を傾け椅子に不安定な状態を強いる。前へ、後ろへ。器用な事に、四本足の半分でもバランスが崩れる様子は無い。
とはいえ、限界というものは何にでも存在する。
思索が乗ってきたのか、少女は一際椅子を傾けた。
「あ。」
しかし気付いた時は既に遅し。重力に捕われた背中に抗う術は無い。
だが、支える手は存在した。
「もー…。また周りが見なくなってるよ…。」
間一髪、その背には手が当てられていた。あと一歩遅ければ、少女の後頭部は床に受け止められていただろう。
寸での所で窮地を救った主は、倒れかけの椅子を戻すと呆れたような声色を出した。表情も呆れている。
「ラシャ!ありがとう~、危なかったよぅ。」
少女は椅子から弾けたように立ち上がると、ラシャと呼んだ女性に飛びついた。相手が頭一つ分以上は高いため、胸に顔を埋める形になっている。
対するラシャは、その豊満な胸元に顔をこすりつける小動物をあやしながら口を開いた。
「シア…またこんなにボロボロになって…、せっかくの綺麗な髪が台無しになってる…。服も焦げちゃってるし…。駄目だよ…、あんまり危ない事しちゃ…。」
ラシャはシアと呼んだ少女、もといシュレアをたしなめつつ、何か小声で唱え始めた。
すると仄かな光の玉がどこからともなく現われ、シュレアの服や髪を包み始めると、焦げた箇所が元に戻っていった。
同時に手際よく衣装の埃を払い、しわを伸ばすと、くるりとシュレアを振り向かせる。
椅子に座らせると、どこにしまっていたのか綺麗な櫛を取り出した。そして慣れた手つきでシュレアの深緑の髪を梳かし始めた。
加えてこれも慣れた様子で小言を繰り始めた。
「それに、また周りが見えなくなってたでしょ…?シアはそういう所があるんだから、ちゃんと気をつけないと…。」
「はい…以後気をつけます…。」
シュレアは一転し、反省した様子で答えた。
―おそらく、十分ほどはその状態が続いた。
一通り説教が終わり、ラシャとシュレアは一息ついた。そうしてほんの僅かな間、二人の間に無言の時間が通り過ぎた。
ふと、シュレアの表情に陰りが差した。
「ごめんね。私が魔法を使えないばっかりに、いつもラシャに迷惑掛けて―。」
「…それは言わない約束だよ、シア。魔法が使えないのはシアのせいじゃないんだから…。」
シュレアが最後まで言い終わらないうちに、ラシャがそれを遮った。いつもの自信なさげな口調ではなく、はっきりとした物言いで。
それを聞いたシュレアは、はっとしたように振り向いてラシャを見上げ、顔を赤らめた。
「そうだったね。えへへ、忘れちゃってた。」
はにかんだ笑顔になり、恥ずかしいのか前を向いてしまった。
ラシャは、その年相応の無垢さに優しいまなざしを向けていた。もし見る者がいたならば、二人が本物の姉妹であるようにも見えるものだろう。
再び、二人の間に沈黙が降りた。先程とは違う、暖かみを増したものが。
そんな穏やかな時間の中、ラシャが思い出したように口を開いた。
「それよりもシア…。」
「んー?」
髪を梳かされて上機嫌なのか、笑顔でシュレアは応じる。
「…今日は国王様からお呼びがかかってるんじゃなかった…?」
「…。」
返事が無い。不思議に思ったラシャが顔を覗き込むと、器用な事に笑顔のまま硬直していた。そのままみるみる内に血の気が引いてゆき、滝のように冷や汗が流れていく。
ラシャが何も言えずにいると、ぎぎぎ…、と言う効果音が付きそうな動きで、ぎこちなくシュレアが振り向いた。
「ラシャ。」
「う、うん…。」
全く表情を変えないままのシュレアに気圧され、ラシャはしどろもどろになっている。
そんなラシャを余所に、シュレアは囁くように問いかけた。
「今…何時?」
「え、えっと…。」
慌てたように腰に下げたポーチから懐中時計を取り出し、時刻を告げる。
「後十分でお昼―。」
途端、弾丸の如き速さでシュレアが飛び出した。電光石火の速さで着替え、縦横無尽に必要な物を愛用のリュックに詰め込んでいく。ついでに一層部屋が散らかっていく。
ものの一分で一通り準備を終えると、最後にもう一度ラシャに抱きついた。眼前の光景に圧倒されていたラシャも我に返り、何とか頭を撫でた。
抱擁を終え、シュレアは笑顔で出発を告げた。
「じゃあ、行ってきます!」
「うん、行ってらっしゃ―。」
言い終える頃には既に疾風迅雷の速さで消えていた。
一人残されたラシャは、そんなシュレアの様子にやれやれと言う顔をしつつ、その口元には微笑みを湛えていた。