『ブラッディ・メープル』
VRゲーム『ブラッディ・メープル 〜 刀の彼方 〜』の概要はこうである。
まず、日本刀を武器に戦う対戦型格闘ゲームだということ。
教師の説明によると、クラスによってゲーム内容は異なるらしい。いろはのクラスは格闘ゲームだが、ロールプレイングだったり、シミュレーションだったりと様々だそうだ。
VRとは、実際には存在しない仮想の世界を、人間の視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚といった五感を刺激して、現実かのように体感させる概念や技術だ。現実世界で、手足を自由に動かしているのと同じレベルで、仮想現実の世界でも動ける。
よって、格闘ゲームというジャンルではプレイヤーの実際の身体能力が反映されてしまう。
そのため『ブラッディ・メープル』は、プレイヤーの身体能力だけで戦闘能力が決まらないよう、配慮されている。
入学二日目。一通りの授業が終わった後、教師の言葉通りに午後10時、チュートリアルが始まった。
自宅にいた筈だったが、気が付くと駅の改札口を通っていた。自動で開く改札口のゲートだが、これも仮想現実だ。
ポン。
聞きなれたポップアップ音が頭を流れ、いろはは歩みを進める。駅を出て、寂れた商店街を進んでいく。現実にはないはずの旧世代の遺物だ。
『そのまま真っ直ぐです。そこの廃ビルへ入って下さい』
頭へ直接ガイダンスが響く。言われた通りに廃ビルに入り、階段を上るとガランとした空間に出た。剥き出しのコンクリートと四角い支柱だけの、場所。そこには黒い影が待っていた。
「第一関門。拙者を倒して見せよ」
抑揚のない低い声。黒い影はただ一声を発したのみで突っ立っている。
黒の装束に黒の覆面。忍者だ。
いろはは、細長いナイロンバッグのチャックを開けた。一振りの刀が入っている。黒の柄巻き、装飾も何もない。銘もない、単なる日本刀だ。
刀をバッグから出し、鞘を左手に、右手を柄に添えて左足を引く。
いろはが構えを取った途端、影が動いた。短刀を抜いてこちらへ斬りかかろうとする。
「遅い」
「!?」
斬りかかろうとした姿勢のまま、影が息を飲み、上半身と下半身が分かれた。
いろはが抜刀し、胴を薙いだのだ。
「なんだ。歯ごたえのない」
別れた胴体から勢いよく噴き出した血が、いろはの上半身を染めた。鉄臭く、ぬるりと生温い感触にいろはは眉をひそめた。今度からは斬った後、相手からもっと距離を取ろうとだけ思う。
『敵を撃破。身体能力の計測完了。数値化します』
無機質な声が事実を淡々と述べる。
『高尾いろは。最短記録達成。全てが高い数値を示しています。あなたの日本刀は『奥泉守忠重』。能力は無し。インストール完了。チュートリアルを終わります』
いろはの手の中にあった日本刀が少しだけ変わった気がしたが、刀に目を落としても大して違いがないように見えた。
『おいおい、よく見ろ。あんな安物とは佇まいが違うだろう』
頭に響く声が変わった。男の声だ。
『俺は『奥泉守忠重』。よろしく。相棒』
「刀となどと、よろしくしたくないな」
『残念。それは無理だ。俺とお前は繋がった。プレイヤーには必ず俺たちのような人工知能がサポートにつく』
いろはは舌打ちした。
刀に手はない。だが、男が面白そうに両手を広げているビジョンが浮かんだ。現実でも、仮想現実でもなく、いろはの脳裏に。
そうやって思惑通りに踊らされるわけだ。仮想現実でも。
短いチュートリアルが終わり、廃ビルの階段を下りる。下りきって薄暗い商店街に出ると、先客がいた。
「良かった。待ってたんだ、いろはさん。単刀直入だけど、僕と手を組みまない?」
男子高校生にしては小柄で、白い肌が月明りに浮かんで見えた。色素の薄いゆるい癖っ毛が冴えた月光を弾いている。
龍田いづるが、屈託のない笑みを浮かべて立っていた。