歯車は狂っていて、噛み合っているのだろう
四角い白い壁。大きく取られた窓。正面には深緑色の黒板と、教壇。
一般的な高校よりも小綺麗であるというだけで、後は変わり映えのない、教室。整然と並んだ机の一つに龍田いづるは腰かけていた。
いづるの机の周りには、教室の景色が見えないほど人が密集している。紺のブレザーにチェックのスカートという、個性のない出で立ちの女生徒たちが、無駄にきゃぴきゃぴとさえずっている。
「ねぇ、いずる君、昨日のドラマなんだけど」
いづるは顔には出さず、胸中で舌打ちした。ドラマなんてものは苦手だ。個性のない美男美女が仮初めの人生を演じて、夢をみさせる。そんなものの何が面白いのだろう。理解出来ない。
「ごめん、興味ないんだ」
にっこりと、しかし申し訳なさそうな表情を作ることも忘れずに、いづるは話題を終わらせる。女生徒は明らかに残念そうな表情をしたものの、直ぐに別の手札を切ってきた。
「そうなんだ。ねぇ、駅前のカフェでやってる秋スイーツフェアなんだけど」
「すっごく美味しいんだって。一緒に行かない?」
女生徒に他の女生徒も乗っかってくる。うっとおしい。
女の子みたいな容姿のいづるなら、甘いものが好きに違いない。そんな浅はかな思い込みが、偏見という別名を持っていることに、気付いてもいないのだろう。
まあ、確かに甘いものは好きだ。だったら望み通りにしてやろうじゃないか。
「へぇ、いいなぁ、僕スイーツ大好き」
少しだけ頬を染め、あざとく語尾を上げる。
期待している通りの返答と、愛想を振りまいた。予想通り、女たちはスイーツが好きだといういづるを可愛いと褒めそやし、きゃらきゃらと盛り上がっている。
ああ、ぴーちくぱーちく、うるさい。
その口を裂いてやりたい。整髪料だか化粧だかの匂いがキツイんだよ。
笑顔の裏に罵詈雑言を隠し、いづるは上手く彼女らに合わせる。いづるの容姿と柔らかい物腰は武器だ。この武器を使っていづるはヒエラルキーの上に立ち、下の奴らを冷えた目で眺める。
ふっと空気が変わった。
高尾いろはが教室に入ってきたのだ。
だらしなく弛んでいた男子生徒たちの気配が締まり、勝手にいずるへ桃色を放っていた女子生徒の気配が寒色になる。
ぴんと伸びた背中、迷いのない目線、堂々と張った胸。ストレートの茶髪は、陽の光に透けると、燃えるような紅に見える。
いづるは、いつ見ても、いろはを美しいと思った。
無造作にリュックを机に下ろし、細長いナイロンバッグを立てかける。そのまま椅子に座ったいろはが、腕組みをして窓の外へ視線をやる。
空気の呑まれたクラスメートたちが、いろはを盗み見ている。それが不快だと思った。
いづるはごく自然に席を立ち、いろはに近付いた。
「おはよう」
窓の外を見ていたいろはが、いづるへと目を向けた。無言で腕組みをしたままの、いろはの瞳が放つ光に焼かれる。
高尾いろは。
他の女生徒のように騒がず、泰然と構えているいろはが、いづるは嬉しくて笑った。
「おはよう、いろはさん」
いづるはもう一度、いろはへ挨拶をした。
自分と対極のような人。強く、凛としていて、美しく、膝をつきたくなる欲求。
声をかけて。こっち向いて。撫でて。触って。……そして……欲しい。
「おはよう、いづる」
いろはが、僅かに険の取れた表情をした。冴えた秋の空気に日差しで温められた風が入り込む。
風が教室の中へ溜め息を起こしていった。
飾り気のない美しさが、いろはの武器だといづるは知っている。触れれば切れるほど鋭利な、いろはの武器。これにいづるは毎度殺される。
それはほんの一時のことで、いろはの態度は元に戻った。自分だけにいろはの刃を受けたことに満足して、いづるはいろはに手を振って戻る。
誰も寄せ付けないオーラを放つ、孤高の美しさを持ついろは。
いづるもいろはも、檻の中で平和ボケしている同年代とは違う輝きを放っていた。