高尾いろは
いかん。戦闘は筆が乗る(笑)
高尾いろはは、小さな頃から割と何でも出来た。勉強、スポーツ、仮想現実のゲームでさえ。
いろはの外見は際立って美しく、高尾家は財力も影響力も十二分にある家だ。
周囲は期待した。
高尾家の後継者として相応しい人間になると。世界を牛耳る一員になるだろうと。
酷くつまらなかった。世界を思うままにすることに毛ほどの興味も湧かない。何か出来ないものはないだろうかと思った。自分に足りないものはないだろうかと探した。
それは唐突に見つかった。
龍田いづるに出会って。
「ね、僕たち協力しない?」
「協力?」
チュートリアルを自分より早くか、同じくらいに終えて待っていたいづる。彼に協力を持ちかけられ、いろはは柄にもなく心が躍った。
「ほら、僕って見た目通り強くないからさ。こんな僕に格闘ゲームなんて不利でしょ。だから強い人と組むのが一番だと思うんだ」
柔らかい癖毛に縁どられた小さな顔。透明感のある肌と桜色の唇。周囲の空気をふわっとさせるような笑み。守りたくなるような雰囲気。
自分と真逆にいるようないづる。
そんないづるへいろはが抱いた感情は憧れだった。もしもいろはがこんな風だったら、人生はもっと楽しかっただろうか。
「もちろん、そのためにいろはさんを全力でサポートする。『神』の権利を得るのはこのゲームでの上位2名だけ。誰よりも早くチュートリアルを終わらせた僕たち二人は、一番可能性があると思うんだよ。可能性の高い者同士が組んだら最強だと思わない?」
ところが交渉をしてくるいづるは、思ったよりも強かだ。人畜無害を装って着々と牙を研いでいる。
龍田いづるは、弱いだけじゃない。
「ふーん」
いろはは落胆した。いづるへの興味を急速に失って、温度のない相槌を打つ。
「誰よりも早くチュートリアルを終わらせて、作戦を練ってたやつが? 強い奴と組むと?」
「たまたまだよ。だって、ゲームだもの。チュートリアルくらい、ちょちょっとすっ飛ばしちゃえばいけるよ」
いづるが人差し指をくるくると回しながら、近づいてくる。何気なさを装って、右手が刀へ伸びていた。
「自分の人生がかかったゲームのチュートリアル。内容を詳しく聞きもしないでさっさと終わらせるようなやつ、相当な馬鹿か、よほど自信があるか、それとも素早く効率的に聞きだしたか。馬鹿はいないだろうから、残り二つ。どっちにしろ、強敵だろ」
そう。強敵。いろはのそう長くない人生の中で現れては消えていった、つまらない存在。
「バレた? じゃあ強敵同士で組まない?」
何故かいづるが嬉しそうな顔をした。なんとなく、これは演技ではないと、いろはは思う。
誰かに強敵だと認めてもらいたかったのだろうか。
「何故?」
いろはは、本気で不思議だった。何故、強敵だと認めてもらいたいのか。
いづるが無防備に間合いに入ってくる。備えているつもりではあるのだろうが、甘い。
「強敵だったら、組むよりも早めにぶっ潰したほうがいい。そうだろ?」
いろはに強敵だと認められたら、死しかないというのに。
いづるが前に一歩進んだタイミングで、半歩踏み出しながら抜刀。横へ一閃しようと思ったが、驚いたのかいづるの動きが止まった。さらに半歩踏み出しながら、脳天からの唐竹割りに変更する。
「うわあああああっ!」
悲鳴を上げていづるが刃を躱した。しかし動きが不自然だった。無理矢理何かに引っ張られたような動きだ。日本刀の能力か。
いづる自身の身体能力はとても低いのだろう。
後退ったいづるとの距離を、いろはは一歩で潰した。振り下ろしていた刀を今度は斬り上げる。
いづるの目がいろはの動きを追っていた。見えているようだが、棒立ちだ。いづるの気配が揺れる。そこへいろはの刃が到達。いづるの脇腹へ僅かに触れる。
このまま逆袈裟で、上下泣き別れ。
「!?」
そこで、いづるの様子が変わった。いろはの刃は脇腹をかすっただけで終わる。
いづるが引いた右足を支点に体を半回転。その勢いを利用して右手に握られた刀が水平にこちらの喉元を向いている。突き攻撃である附の構えだ。
刀も変わっている。
柄巻きが紅になっていた。美しかった刀身も禍々しさを立ち上らせている。
ぞわっと首筋の産毛が逆立った。刀を持った右手が上へ伸びあがっている所へ、いづるの突きがくる。
回避。否。
いろはは、喉元へ迫る刃を左の掌底で押し上げた。
ピッ。
逸れた剣先が浅くいろはの頬の皮をさらう。その間に素早く刀を引き戻した。いづるの刃もまた、戻っている。いろはは納刀。いづるは水平に構える。
瞬間。二つの刃が閃く。
いろはの刃が胴を薙ぐのが先か。いづるの刃が喉へ到達するのが先か。
届いたのは、いろはの刃が先だった。
「がはっ」
いづるの体が横に吹っ飛ぶ。ごろごろと地面を転がって血を吐いた。
攻撃を受ける方向へ咄嗟に跳んだこと、斬ったいづるの肉が妙に反発してきたこと。それらのせいで体を全て切断とはならなかったが、内臓まではいったようだ。
口元を吐いた血で汚し、腹からも紅の液体を垂れ流しながら、いづるが片膝を立てた。
優しい顔立ちを紅に染め、柔らかく微笑んだ。
ゾクゾクと、いろはの中を何かが駆けあがってきた。
ふわっと花が咲くような笑みだった。
彼岸花のような妖しさでも、薔薇のような華やかさでも、菊のような凛とした風情でも、萩のような慎ましさでもない。撫子だと、いろはは思った。
失血で顔色は青白い。膝立ちの姿勢で刀を油断なく構えている。血塗れで、どう見ても可憐さとはかけ離れた姿のいづる。
彼の姿を、ああ、可愛いと思った。
自分に出来ないもの。それはいづるのような『愛らしさ』という武器。
自分に足りないもの。それはいづるのような『弱さ』という鎧。
間違いなく、いづるはいろはが全力で戦える『本当の強敵』だった。