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レモンケーキとハーブティー

作者: 来栖らいか

 美術室の窓からは、校庭フェンス沿いに植えられた数本の桜が見える。既に花は影も形もなくて、風に揺れる若々しい新緑が眼に眩しい。

 授業が半日で終わる土曜日の午後、高校球児達は今日も大声出して走り回っている。


 声出しながら走ると肺活量が鍛えられるっていうけど、本当に効果あるのかねぇ?


「おっ、赤ジャージは1年生だな。いいなぁ野球部は新入部員が多くてさ、女マネも1,2……5人かぁ」

 俺の独り言に、少し離れた窓際で水彩画を仕上げていたハルカが手を止め不愉快そうな顔を向けた。


 並んで立つと、俺の胸より少し下に長い髪を纏め上げた団子が来るくらいチビだから、制服の白シャツと紺のボックスプリーツスカートに医者が着ているような白衣姿は腹を見せたペンギンそっくりだ。


「ちょっと! わかってんの? 今年新入部員が入らなかったら、美術部員は私とコウキの2年生2人だけなんだから! 真面目に勧誘ポスター描いて!」

「へいへい。でもさぁハルハルの勧誘ポスター、桜を描いてるけど時期的に遅くね? そもそも、入学式前に仕上がるはずだったよね?」

「うっぐっ……むーっ!」


 桜に囲まれた美少女の絵を前にハルカは腕組みをして唸った……が、突然両手を大きく広げる。

「よ、よし休憩だっ!」


 ハルカは自分に都合が悪くなっても言い訳しない、逆ギレしない。部員は俺たちだけだけど、男友達と一緒にいるようで楽だ。

 おまけに、もう一つ役得がある。


「やたっ! で、今日の差し入れは何かな?」

「私が、この世で一番愛するお菓子。レモンケーキを、そなたに進ぜよう!」

 その役得とは、ハルカが趣味で作る洋菓子を食べられること。


「うっわ、レモンケーキか、懐かしいな!」

 レモンケーキ、俺が小学校低学年の頃に大好きだった洋菓子だ。

 母さんが自転車で通う少し遠い商店街の洋菓子屋さんで、ショートケーキより安いからオヤツによく買ってくれた。

 レモンの形をした、さっくりと口溶けの良いカステラが、レモンの香りのする甘酸っぱい黄色いチョコでコーティングされていて、一口食べると酸味と甘みが絶妙に溶け合い……。


「きもっ、なにそのニヤケ顔? そんなにレモンケーキ好きだった?」

 ハルカは眉を寄せながら白衣を脱ぎ、通学用リュックから水筒と紙袋を出した。 

「そりゃ、もう。子供の頃、大好きで毎日食べたかったけど、贅沢だからって母さんは月に数回しか買ってくれなくてさ。でも買うときは10個入りの箱買いで、家にレモンケーキがあるときは学校から帰るのが楽しみだった」

「ふぅん」

 興味なさそうな顔で聞きながら、ハルカは水筒から紙コップに紅茶を入れる。


「いつも買ってた洋菓子屋さん店閉めて、どこ行っちゃったのかな……」

 昭和の香り漂う長屋型の古い商店街は、近くに出来た大型のショッピングセンターに客を奪われシャッター街になった。テナントで入っていた洋菓子屋も、いつの間にか閉店していた。


 俺はレモンケーキを包むレトロデザインの黄色い包み紙を注意深くはがした。乱暴に剥がすと、コーティングのチョコクリームが取れてしまって実に残念なことになるからな。


 ああ、あの懐かしいレモンの香りが鼻の奥に広がる。

 いかん、生唾が……。


 大きく、かぶりつきたい気持ちと、もったいないから小さく囓りたい気持ちに心が揺らぐ。


 レモンケーキのチョコクリームは高級感ある滑らかな食感のものより、少しザラッとした舌触りがあるのが好きだ。舐めたい……最初に舐めて確かめたい……。


 ふと視線を感じ顔を上げると、ハルカと目が合った。レモンケーキ一つで、みっともないほどテンションが上がった自分が恥ずかしくなって、一気に顔が熱くなった。


 なんとか誤魔化さなくては。


「そっ、そういえばさ、俺の母さんもレモンケーキが好きなのに自分は1個だけ食べて残りはみんな俺にくれたんだ。だから母の日に買ってあげようと思って、100円握りしめ店に行ったんだけどさぁ……定価表だと1個100円なのに消費税が別だったんだよ。お金が足りなくて泣きそうになってたら、お店のお姉さんが可哀想に思ったらしくて消費税まけてくれたんだよね。嬉しくて、今でも忘れられないよ」

「あー、あるある。わかる!」

 ハルカがケラケラ笑った。


 10個入りのレモンケーキを買った日は、母さんが1個、俺が1個。

 だけど母さんは、必ず自分のケーキをナイフで分けて半分くれる。

 夏は冷たい牛乳、冬は暖めた牛乳と一緒に食べたっけ。

 カステラを牛乳に浸すと、また格別に美味しいんだよな。行儀悪いと怒られたけど結局、「おうちだけよ? よそではやらない事」って許してもらったなぁ。


 とにかく、自分のドジ話でスイーツ男子の面目は保たれた。

 ホッとして俺は、ハルカが入れてくれた紅茶をすする。


「うん……なんだ? 甘い香りがするけど、さっぱりしてる紅茶だな」

「カモミールティーだよ。わたし、レモンケーキにはこれって決めてるんだ。嫌いな味なら、残してね」

「レモンケーキには断然牛乳だけど、これも悪くないな。うん、好きかも」

「そっ、そう?」

 気のせいか、ハルカの笑顔は少し照れているように見えた。

 可愛い……く見えたのも、たぶん気のせいだ。


 レモンケーキをかじり、紅茶をもう一口飲んで、二つの香りが混じり合ったとき。

 香りに呼び覚まされて、遠い記憶がよみがえった。


 このハーブティの香りは、あの店の香りだ。


 あのとき店のショーケースにはレモンケーキが一つしか無くて、足りない分のお金を取りに行ったら売れ切れそうで、だけどいつも半分くれる母さんにどうしても1個まるごとケーキを食べてもらいたくて、どうしようと思ったら涙が出てきちゃって……。


 そしたら、カウンターの向こうから小さな声がしたんだ。


「あの子に……売ってあげて」


 思い出した。

 そしてこの、クリームの舌触り。


 早くなる鼓動を意識しながら、俺はハルカの顔を見た。

 ハルカは俺の様子に気がついて、不思議そうな顔をする。


「あ、あのさハルカ……。おまえ小さいとき、どこに住んでた?」


 カウンターに隠れて、よく見えなかったけど、あの小さな女の子は……。 

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