雲間の秋空
【特急あずさ】
松本行き特急あずさに乗るとき、決まって進行方向左側の席にすわる。
晩夏の朝の目眩く光のもと、あずさは東京の雑駁な街並みをゆっくりと走り抜け、やがて車窓に深い森を映す。高尾だ。じき小仏トンネル。抜けるとしばらくは山間を走る。いくつものトンネルを通る。いくつ目かのトンネルを出たとたんに、車窓に展望がひらける。なだらかに傾斜するぶどう畑が見え、その傾斜が降りきった先に街が小さく見える。その向こうには山が連なっている。列車は甲府盆地のへりの一番高いところを走っているのだ。
それから徐々に盆地の底へと向かう。ぶどう畑がいくつも車窓を掠め、桃畑が混じる。向こう側の山並みが迫り、次第に家が建ち並ぶ。ビルも見え始める。すると、あずさは甲府駅に停まる。
甲府駅を出ると、街の広がりの向こうに高く、険しい山々が連なる。南アルプスだ。韮崎を出ると家もまばらになる。原野と原生林の上に山々はその威容を広げていく。富士が淡い影をより高くに見せる。冨士見を出てしばらく走ると信濃境という小さい駅を通過する。なにやら旅情が掻き立てられ、ぼくは信濃の国の旅人となっていくのだ。
【碌山美術館】
煉瓦造りの教会のような建物の内部が展示室になっている。中に荻原碌山[ろくざん]の手による十数点の彫刻が置かれている。
「文覚[もんがく]」―なんという力強さだろうか。力が、隆々と盛り上がる筋肉、やや遠くを挑むようにして睨みつける鋭い形相を、刻む。それは作品全体に大きく流れ、細部をひとつにつなげている。まごうかたなき運慶の末裔だ。
「女」―膝から下を折って地につけ、それより上は頭のてっぺんまでが上へ上へと向かう強い意志に統[す]べられている。後ろ手にして立ち上がろうとする裸婦は、大きなものへの抗いを示している。この作品を見ながらぼくの頭にマーラーの交響曲第3番の最後、アダージョの音楽が俄然として湧いた。
「デスペア」―女がうつ伏せになり号泣している。女のからだは、女が身を伏せている大地(と思われる)とひとつになり、くねり、全体で絶望を慟哭している。
「戸張狐雁像」―俯いて左手を左の顔の輪郭に当てるポーズから、この若い男が真剣に悩み、考えていることがわかる。固有名詞を離れて、人の孤独を永劫に刻んだ記念碑。そう、これはロダンの「考える人」の兄弟だ。
「抗夫」―右斜め上をきっと睨みつけている。落ち窪んだ眼窩に強い意志が漲っている。眼窩をふくめ彫りの深い若者の彫像は、モデルが西洋人であることを示している(碌山の渡仏時の作品なのだ)。前の4点同様、生きる意志が雄勁に表出されている。
Love is art,Struggle is beauty ―「愛は芸術であり、もがき苦しむものは美しい」美術館のパンフレットにしるされた(恐らくは碌山自身による)詞[ことば]。31歳で夭折した碌山が、短い生の時間の中に激しさと苦しさを濃縮させて生きたことの、これは墓碑銘である。
【大糸線】
松本を出て信濃大町へ向かう普通電車からの景色はここちよい。
山々が屏風のように連なる。彼方にはもっと高い峰がうっすらと頂を見せている。
それを背景に里がある。田がまるで海のように広くひろがる。稲穂はまだ青いながらも重たそうに頭[こうべ]を垂れている。家がこここに4軒、あそこに5軒とかたまってあるのは、あるいは鎮守の社[やしろ]を守るような小さな森は、さながら海に浮かぶ島だ。
山の屏風のてっぺんは雲が隠している。彼方の峰も雲の中。この辺りは天気が好くない。
信濃大町で、南小谷[みなみおたり]行きの電車に乗り継ぐ。市街を離れて暫く行くと木崎湖の湖水が車窓際まで迫る。続いて見える小さな湖が中綱湖。次が青木湖。三つの湖の水は濃い碧[みどり]。もう少し濃いと青味がかった黒になる。それは山々の間に隠された宝玉のよう。
さらに行くと五龍岳や白馬岳が見えるはずだが、今日はやはり雲の中…。
その日は白馬八方温泉に泊まった。その翌日の帰り道―。
やはり雲は晴れなかった。湖の辺りで電車が大きくカーブする。その時、山々の連なりの後ろに、濃い影となって別な山並みがあり、そのさらに後ろにより遠くの連山が薄い影を見せた。
畳畳と連なる山々は一幅の水墨画だった。
ぼくはそれに満足し、白馬を後にした。
【八方諏訪神社】
雨風に相当傷めつけられた間口2メートルほどのお堂がある。そばに、これも相当古い桜の木が寄り添うように立っている。太い幹には大きな洞[うろ]があるが、それでも枝を四方に伸ばしてお堂を守っている。お堂の前の案内板には薬師如来を祀る堂だと書いてある。
それがあるのは、八方の温泉街の中。この温泉街にはヨーロッパの保養所にあるみたいな造りのホテルが建ち並ぶ。その中に忽然と、薬師堂と桜の老木が現れた。立ち止まらざるを得ない。
薬師堂を通り越してしばらく行くと、菜園の脇に参道があり、八方諏訪神社の鳥居へと続いている。鳥居のてっぺんには大きな蜘蛛の巣が張られていた。中へ進むと、社殿に通じる100メートルほどの石段の下に出る。石段もその上の社殿も杉木立に隠れるようにしてある。石段の右下に、空へ空へと30~40メートルも伸びた杉があった。なにやら空気がひんやりとする。畏れるように石段を登って拝んだ。石段の下の石碑さえも、小暗い空間に溶け入るよう。鳥居を潜るまで、ついぞ人には出遭わなかった。
薬師堂まで戻ると人心地ついた。瀟洒な温泉街を歩いていたら、今まで空を覆っていた雲が裂けて、僅かに覗いた青空に、五龍岳らしい巨峰が迫[せ]り出ている。いく匹もの蜻蛉が、その青を背景にさかんに飛び交っている。秋は、確かに山からいで湯の里へと降りてきたのだ。