出陣
その後、トンは屋根の修理を終え木製の脚立を片づけ、ブーニン神父は明らかに女受けを狙ったブランド物の一張羅から由緒正しき真教の僧服に着替えた。
……さすがに今宵娼館に乗り込む気は失せたようであった。
いや正確に言うとあの後教会の入り口を強行突破しようとしたのだが、それを阻止せんとするトンのハンマー投げの餌食と相成り、その気を消滅させられたと言った方が正しい。
「……時に、トン・ビロードビレッジ君。 御役目ご苦労。大事なかったかね」
咳払いしたのちに神父は、トンに労いの言葉をかける。
「大事ねーさ。 楽勝、楽勝。 ところでさ、この修理で点数もらえねえの?」
トンが目をキラキラさせてねだる点数とは、≪リ・セイバー≫が活躍した時に教会からもらえる評価点のことだ。
任務の難易度、活躍の度合いででもらえる点数は大きく変わる。
そしてその点数を最も稼いだものが、序列第一位、≪グラン・セイバー≫になるのだった。
「残念ながら無理だな。 やはり点数は≪ドレイグ≫を討伐せねば支給されんな」
神父の言う通りのようだ。
元々≪リ・セイバー≫は≪ドレイグ≫に対抗するために教会に雇われているのだから、当然と言えた。
分かってはいても、トンはため息をついこぼす。
「おいおい、ため息ばかりつくと老けるぞ、トンよ」
「ハゲなけりゃ大丈夫でえ」
「うぬ、点数はあげられないが、一つ耳寄りな情報なら教えてやれるぞ」
「うお、なんだなんだ?」
「表情が様変わりしよった……全く、現金な小僧よの」
呆れた顔をした神父だが、すぐに真面目な表情に戻って、言葉を続ける。
「“彼女”と同じ名前を持つ少女が、キースの街にいる。 ここから近くじゃ」
「……!」
「判ったのは本当はもっとずっと前だったのじゃが、伝える時宜を逸してな。 君がようやくこの辺りに姿を見せてくれたので、呼び止めた次第じゃよ」
「本当なのか」
「ここまできて冗談など言わない。 ずっと君が探していた、『この世界の“彼女”』じゃな」
神父が語り終えると、トンは勢いよく席を立ち教会の出口へと向かう。
「ありがとな、神父!」
「おいおい、待て待て! これ持ってけ!」
神父が小さく折った紙を手渡す。
「なんだ?これ」
「紹介状じゃ。 その子に会った時、怪しいものではないと見せると良い。 君も、自分の身元を保証してくれる書状があったほうが良いじゃろ」
それは神父なりの、やさしい気遣いだった。
「あんがとな、神父。 …………ちゃっかり書状に自分の住所と生年月日と好きな食べ物と好きなタイプと好きな花言葉載せてんじゃねえよ!キモチ悪い!」
「ん、いやね、まあね? 一応ね? きっかけになるかもしれないじゃん? ……というわけで、キューピッド役よろしく」
「よろしく任されねえよ!! なんでお前がその子とお近づきになろうとしてんだよ!」
「じゃあ娼館行くもんね! 人気ナンバーワンのグロリア嬢にひざ枕してもらうんだからね!ヘンだ!!」
「勝手にしろ! もういくぞ!」
トンは勢いよく教会を出た。
そして向かう。“彼女”と同じ名を持つ少女がいるという街へ。
……あ、神父の書状に記されていた不適切な部分は道中綺麗に破り捨てておいた。
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男は、反射的に腰を屈めた。
主への反抗がどうとかそんなことを考えている余裕はなかった。ただ自分の命が惜しい。
真横で、血飛沫が舞った。斬られたのは横で並んでいた同僚だ。生死は問うまでもない。アランの剣にかかって命を拾ったものはいない。
助かった。しかし続く一撃を警戒して男は再び生きた心地がしなかった。しかしアランは、同僚の血を吸った自身の愛剣を一回振って、滴を切ると、すぐに腰の鞘に戻してしまった。
済んだ、のだろうか。自分を斬るはずだった刃が来ないと悟ると、途端に男は困惑した。
まずなぜアランは主を逆上させた自分を斬らなかったのか。さっきの一撃は単なる威嚇か。そうではない。明らかに殺気が込められていた。
もう一つ。確かにアランの剣はその強さにおいて異存はない。だがさっきの一撃は自分にも躱せたのだ。その自分より強いであろう横にいた同僚が、むざむざ死んだのはどうにも解せない。迫る刃に対して油断して死んだのであればいくらなんでも間抜けすぎる。
その疑問は、主の指さす方向と穏やかな笑顔で解けた。
「君の同僚……懐に牙を忍ばせていたようだ。 油断も隙もありはしないね」
隣で未だ血を流す同僚の遺骸が、短剣を握りしめていた。
これで男は、全てを理解した。
序列四位、聖騎士アラン・エイワス。その高名の裏には、彼の活躍を恨む者憎む者も大量に存在することを示す。
隣で斃れている男は、そのうちの誰かの差し金だろう。アランを殺す機会をずっと探っていたに違いない。今まで気づかなかった自分の節穴を、急に恥じる気持ちが生じた。
「でもこの暗殺者、褒めてやってもいい。 相打ち覚悟で私に挑んできたのだからな」
アランは賊の遺体を一瞥すると、それ以上は興味がないといった様子で、再び男に近づいた。
まだ顔面が蒼い男の肩に、左手を軽くポンと載せて、涼やかな微笑で言う。
「君が咄嗟にしゃがんでくれてよかった……有能な部下を失いたくはなかったからね」
嘘だ、と男にははっきりと分かった。
自分の代わりなどいくらでもいる。自嘲ではなく事実だ。人材などいくらでも国中から集められる人望と財力を、聖騎士アラン・エイワスは持ち合わせている。
「とはいえ先程の君の忠言はもっともだ。 頭の片隅にとどめておくとしよう」
これは本当だ、と男は思った。聖騎士アランは、一度相対した相手には如何なる手段をもってしても勝つのだ。
「さて出陣だ……“悪魔の槌”を狩るとしようか」
―――― 一万人の中で四本の頂に立つ男が、トン・ビロードビレッジに牙を剥く。
隣の遺骸に、一匹の蠅が止まった。
暫し、男にとってかつて同僚だった遺骸の上で跳ねていかと思えば、気が付けば奇妙なことにアランの背中に付き従うように飛んでいた。