謎
この章は、【1-1 一年前】の続きとなります。
「なあ、シルビア」
――――≪ドレイグ≫の魔手から母子を救い、“悪魔の槌”を狙って襲い掛かって来た同僚も倒したトンと“シルビア”は、テケル山道をネテルの街へ向かって歩いていた。
(一年前、あの日の、その後)
トンは、不意に“相棒”にずっと抱いていた疑問をぶつけた。
「…………なんで俺の旅に付き合ってくれるんだ?」
トンは、父を失い放浪の旅をしている最中、空腹で力尽きていたところを“シルビア”に救けられた。
彼女の家で夕食を共にした後、自分がなぜ旅をしているのか話すと、“シルビア”はその話を面白がってついて来てくれた。子どもながら無謀な旅に出るトンを、“シルビア”は諫めもしなかった。
別にこの質問をしたのは初めてではない。一緒に旅に出るときも、道中何度でもこの問いを“シルビア”に向かって発している。
その度に、彼女はのらりくらりとかわしてきた。
別に何で自分についてきたのかなんて、今ではどうでもいいことなのかもしれない。現に出会ってから一年も一緒に旅をしているのだから。
しかし、今日はどうしても訊いてみたかった。
トンは、“悪魔の槌”と呼ばれ世界中から忌み嫌われるこのハンマーでたくさんの人々を救いたいという願いがある。≪ドレイグ≫の出現で壊れかけたこの国の平和を「修理」したいという夢がある。
それがどんなに途方もない大望でも。人から嗤われる夢想であっても。
トンは夢のためならどんなに険しい道でも上るつもりだ。自分が信じた道の先に、誰もが笑って暮らせる平和の世があるなら。あの世で親父が、笑って見守ってくれる世の中になるなら。
だから“シルビア”も、同じ願いを持っていてくれたら嬉しい。
訊いたのは、それだけの動機からだった。
「……わたしがさ、未来から来たって言ったら信じる?」
唐突に、“シルビア”はそんなことを言い始めた。
「……?」
「そう遠くない未来で、わたしは“トン”って名乗る男の人に出会った。
自分の背丈を超えるぐらい大きなハンマーを担いで、『俺は≪ドレイグ≫どもに壊されたみんなの暮らしを修理するんだ』って、口癖みたいに呟いてた。
夢ばかり語る彼を、わたしは呆れるどころかいつの間にか好きになっていたんだよね。
そうやって、序列一位まであと少しってところで……殺された。
近い未来で、一番強い≪ドレイグ≫と、戦って」
与太話にしか聞こえない話を、シルビアは表情を変えずに大真面目に語る。
「だから、その未来を変えるためかな。
トンをね、あらゆるモノから護ってあげたいから。
……信じて、くれる?」
シルビアが、言葉を切った。表情に揺らぎはない。
作り話としか思えない言葉の一つ一つに、真実味を伝える迫力が乗っていた。
「“シルビア”……」
トンが一歩先を歩いていた“シルビア”の背中をじっと見つめて、
彼女の肩に飛び乗っていった。
「…………人が真面目に訊いてるのになんだその大ボラはッッッッーーーー!!
質問したこっちがマジに恥ずかしいじゃねえかッッーー!!」
彼女の髪をぐしゃぐしゃに手でかき回す。
「あははは、くすぐったいーー!」
“シルビア”が一気に破顔する。
「この、この、このーー!」
「あはは、くすぐったいってばーー!」
じゃれ合いが続き、ふと、“シルビア”が自分の頭をまさぐるトンの手に触れた。
「トンの手……いつの間にか傷だらけだね」
それは、今までたくさんの≪ドレイグ≫、そして≪リ・セイバー≫たちと戦って負った傷だった。
いくら他を凌駕する最強のハンマーを有しているといっても、幾千という戦闘を繰り返して、全て無傷で済むことなんてなかった。
“シルビア”は、トンの傷だらけの手をゆっくりと撫でながら、こう呟いた。
「覚えていて。トン。『その身に受けた傷の数々は盾となり、傷だらけの身で掴んだ何かは力となる』……何かでつらく感じたら、この言葉を思い出して」
「“シルビア”……」
肩車みたいな恰好から、“シルビア”の背中に乗るトンは彼女の眼を見る。
そこから見た彼女の双眸は、とても慈愛に満ちてトンの手の傷を見つめていた。
我が相棒のこんな表情を、トンは初めて見た。
いや、本当は初めてなんかじゃない。
時々、彼女はこんな、悲しさをたたえた笑みを零していた。
それにもっと早く気づけば。
この後の悲劇もなかったかもしれないのに。
「……早くいこっか、トン」
「おおう、そうだな」
「ところで、いつまでそこにいるの?わたし…………もう支えきれない…………!」
「え?ってどわあああ!」
トンの体重を肩で支え切れなくなった“シルビア”が、膝から崩れ落ちてトンの体は地面に思い切り投げだされた。
……序列一位を目指す、という大望が一気に霞んでしまうような、間抜けな光景だった。
ネテルの街。巨大な街路樹が中央街道の真ん中から生えている。この木が出す樹液を目当てに、発光器を持つ虫が集まるので、この街は王国内でも有数の夜景を誇っていた。
そんな巨大な街路樹の下で、トンは一人人を待つ。もちろん相手は“シルビア”だ。お互いまず初めに宿をとって、それから鹿肉で有名な高級店へ行こうと打ち合わせていた。
おっせえなー、とトンは視線を上にあげて思う。空には発光する虫が乱舞して幻想的な光景が浮かんでいる。いまさらながらこんな目立つところを待ち合わせ場所に指定したことを、ちょっぴり気恥ずかしく思う。
(まるでカップルかなんかと思われるじゃねえか……)
上気する頬をぼりぼりと掻く。それにしても“シルビア”の支度は遅いと、トンは空に向かってため息をつくのであった。
「おまたせっ!」
しばらく待って、“シルビア”が、ひょっこりと姿を現した。
「おう。そんじゃささっと行くぜ――――」
トンはそこで、言葉を詰まらせた。
「シルビア、後ろ、誰だ?」