悪魔の槌VS序列四位の剣⑤
「この蠅……てめえの能力か、アラン」
その問いかけに、目の前のアランは眉一つ動かさず涼やかな表情を維持し、代わりにトンの周りを跳ねる蠅が答えた。
『言わねえでもわかるだろ?
俺たち≪リ・セイバー≫が相手にしているのは≪ドレイグ≫っつうこの世の屑どもなんだぜ? 時に正攻法だけじゃ倒せねえこともある。
これは絡め手で敵を潰す時の、交渉や折衝に使う能力だよ』
「交渉? 脅迫の間違いだろ」
ボソリと呟くトンの声に、怒気が含まれる。
「≪ドレイグ≫だけじゃなくライバルの≪リ・セイバー≫相手にも汚い交渉してきたんだろ?クソ野郎が……!」
そうやって序列を上げてきた点も少なからずあるのだろう。トンはわざと、二十メル(メートル)くらい先にいるアランに聞こえるくらい、今度は大声で唸ってみせた。
『おいおい。いいか?あそこにいるガキの命は俺が握ってるんだぜ。口を動かすなとは言ってねえが、余計な口を叩いていいなんて言ってねえだろ?な?』
蠅から聞こえる声は野卑そのものだ。これが聖騎士アランの本性なのだろう。
トンはじっと、前方を睨む。
『おいコラ、少しは上にいる娘のことも気にかけてやれや。いいか?これからてめえは死ぬ。抵抗なんてすんなよ。したらあの娘の命……分かるよな?』
トンは斜め上、建物の屋上にいる少女に再び視線を移した。相変わらずならず者のような男たちに押さえつけられている少女の右腕には、かすがだが焼き印のようなものが押されている。この街の裏市場で、≪ドレイグ≫どもに取引されていた奴隷の少女だろうか。
『気付いたか。奴隷だからって見殺しにしていいわけねえよなあ。
そもそも奴隷取引なんて認められていねえんだ。 取引の対象とされた哀れな少女たちは、保護されなきゃいけねえよなあ。
だったらお前の手で救ってやったらどうだ? 自分が≪リ・セイバーだっていうならなッ』
蠅が、トンが≪リ・セイバー≫であるにも拘らず、≪ドレイグ≫にも指定されているというコンプレックスを抉るように言う。
視界前方、今まで蹲っていたアランが、ゆっくりと腰を上げた。
そして右手を、<バランエッジ>の柄にかける。
『どうせ殺すわけがない、なんて思うなよ。
証拠が残らねえようにこんな蠅の異能を使ってるわけだからな。
序列四位の≪リ・セイバー≫が、蠅を使ってこんなこと吹きこんできましたって言っても誰も信じるわけがねえからな』
<バランエッジ>の刃が持ち上がる。そしてアランは、正中線に合わせるように剣を掲げ、構えを成した。
『お喋りはこんくらいだ。付き合ってくれて感謝するぜ。じゃあな、あの世で立派な≪リ・セイバー≫として輝いてくれや』
アランが突進した。構えは大上段。一撃で決める腹だ。
即座に<バランエッジ>の刃圏はトンを両断できる距離に入る。
ここでトンが反撃の意志を見せれば、斜め上で囚われている少女は殺される。
はっきり言って、ここで無抵抗に斬られたとてアランが少女の命を保証するとは思えなかったが、彼女を見殺しにして反撃するわけにはいかなかった。
自分の命と、夢を捨てて、ほんの僅かな少女の命が助かる可能性に賭けるか。
捨てるしかない。賭けるしか道はない。状況はもう一秒の逡巡も許さない。
……それでもトンは、ベルグハンマーを素早く構え、アランのがら空きの銅目掛けて、
「ベルグハウンドォォォォッッッッッッッッ!!!!」
必殺技を、連続で叩き込んだ。
「ごがあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
アランの黄金の甲冑を鎧う体が勢いよく宙に舞う。言葉にならない呻きと共に大量の鮮血が口から中空にぶち撒けられていた。
『て……め………………あの……娘を…………見殺しにするなんてな……一生、後悔するぜ………』
術者がダウンしたからか、能力で生み出された蠅のシルエットが霞んで消える。
トンはそんなことは気に留めずに指摘した。
「こっちの後悔なんかを気にするより、てめえの周りをよく見な。
……な?シルビア」
トンが向ける前方の視界に、シルビアがいた。他の建物の陰に隠れていたのだ。
彼女は、宙に向かって腕を差し伸べていた。
彼女が『鍵』をかけた先に、建物の屋上で少女の体を拘束している、ならず者二人の姿がある。
彼らの腕や脚には『ダイヤル式の鍵』が浮かんでおり、一切の行動を封じられていた。
薄桃の髪の少女は、救われた。
さっき、前方を睨んでいたのは……シルビアにアイコンタクトをとっていたからだ。
“あの建物の上で捕らえられている子を救けろ”と。
シルビアは、それに応えてくれた。
戦いが終わり、トンとシルビアは、建物の屋上へ上がった。
そこには、薄桃の髪の少女と無体な風体のならず者二人がいた。
男二人に即刻拳を叩き込んで気絶させる。その脇で、シルビアが膝を落として項垂れていた。
「ああ、やっぱり暴走……してる……またうまくできなかった……」
シルビアのひざ下で横たわる薄桃色の髪の少女には、体にいくつも『鍵』が浮かんでいた。
ならず者だけでなく、少女にもシルビアの『鍵』がかかっていたのだ。さっきの母子と同じ、能力の暴走だ。制御がうまくできなかった。
シルビアが項垂れる理由はそれだ。
「失敗を嘆くのはいいけど、自分が救けた誰かの顔もちゃんと見ろよ」
だからトンは、そう言って促した。
少女の顔を、シルビアは見る。
桃色の髪から覗くやつれた顔は、今はシルビアに向けた笑顔が咲いていた。
「ありが……とう……」
自己嫌悪で沈んでいたシルビアの顔にも、この時ばかりは、笑顔になった。
そのまま少女の手を握り、額に手を付けて項垂れていた。
街がざわめく。
他の≪リ・セイバー≫達が現着したのだ。
もっとも、既にトンがこの街を襲った≪ドレイグ≫を片付けたので、遅すぎるとしか言えないが。
「んじゃあ……俺はここで。 またお仲間にちょっかいかけられると厄介だからな」
トンに戦いを挑んで破れた聖騎士アランは、何もしなくても誰かが回収するだろう。
面倒な遺恨を残したくないので、トンが倒したと気づかれなければよいのだが。
トンは背中に“悪魔の槌”を担いでシルビアに背を向ける。
シルビアは、彼を追わなかった。ちょっとだけ、トンは期待したのだが。
ただ、後ろで深々と感謝の気持ちで頭を下げている彼女の姿は、見えなくても分かった。
トンは少しだけ、口の端を緩めた。