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鬼の棲む森  作者: つがる
2/2

夏の出会い

 人気のない駅のホームは蒸し暑く、額から流れる汗が鬱陶しい。肩に掛けた大きめのボストンバッグはひどく重くて、ここからまたそれを抱えて歩くのかと思えば気が重くなる。

「なんで駅前にバス停がないんだよ…」

 都会に慣れすぎていた自分が恨めしい。近くに森があるとはいえ、さほど田舎ではないのだがそれでも都会とは違う。…ぐだぐだ考えている間にも、汗は止めどなく流れる。もう歩くしか無さそうだ。


 佐々木洸哉は、都会で家族と暮らしていた高校二年生。そんな洸哉が今、そこから遠く離れた場所にいるのかというと、それは至って簡単な理由である。夏休みだから、だ。一月を超える長い休み、ずっと家にいるのでは飽きるだろう、と両親が判断し、母方の実家があるこの場所へ訪れたのだ。勝手な両親の判断にもさして怒ることもなく、洸哉はそれを受け入れた。確かに家にばかりいては退屈だし、ここに住んでいる母の父、つまり洸哉の祖父のことも嫌いではなかったからだ。

「…たまには歩くのも悪くないか」

 しばらくぶりに来たこの町…というか村?は騒がしい場所が苦手な洸哉にはとても合う。洸哉は黒のVネックのTシャツを着たことを後悔しつつ、肩からずり落ちそうなバッグをかけ直し、始めの一歩を踏み出した。




「おお…洸哉!大きくなったなぁ!」

「はは…久し振り、じーちゃん」

 歩くこと二十分ほど。真っ直ぐ歩くだけの道だ、ただひたすら歩くだけでよかった。そうしてたどり着いた家には、久しく見なかった祖父の顔。小さな子どものように頭を撫でられ、恥ずかしくなる。

「さぁ、上がりなさい。お前の部屋はこっちだよ」

 そう言う祖父の顔はとても嬉しそうで、白い髭を撫でている。うん、と軽く返事をして靴を脱ぐ。案内すると歩き出す祖父の後ろについていき、懐かしい香りに目を細めた。


―――――木の香りだ…。小さい頃大好きだったっけ。


和風な家の中は自然に囲まれているからか木の香りがする。外が見渡せる縁側からはすぐそこの森が見える。背の高い木々が乱立する美しい森。洸哉はここから見える景色が好きだった。


「ここが洸哉の部屋だ。しばらく誰も使っていなかったが、ちゃんと掃除したから大丈夫だよ」

 祖父が洸哉の荷物を受け取り部屋の隅に置く。与えられた部屋は先程の森の中がよく見える、洸哉にとっては最高の部屋だ。それに満足したように頷くと、祖父も気に入ったか、と笑った。

「夏休みの間、お邪魔します!」

「おーおー、やっと元気出たかい。好きなだけくつろいで行きなさい。じいちゃんも一人だったから嬉しいよ」

 祖父は今、この広い家で一人暮らしだ。祖母は数年前に他界し、洸哉たちは遠く離れた街に引っ越した。最近の生活は寂しかったのだろう、洸哉と少しの間でも一緒に暮らすことができるのが嬉しいらしい。洸哉も一人家を離れて新しい環境での生活に少なからずワクワクしていたし、祖父は優しいので楽しみだ。

「朝早くから疲れたろう。お昼の準備をしてくるから、好きにくつろいでなさい」

「ありがとう、じいちゃん。…あのさ、そこの森って入ってもいい?」

 祖父の優しさに感謝を告げ、先程からしたいと思っていたことをしていいものか、聞く。

「別に構わないが…あまり遠くへ行くと危ないから気を付けなさい」

「わかった!」

 許可をもらえたことに心が踊った。久しぶりだ、こんな風に笑ったのは。洸哉は急いでさっき通ってきた道をかけ戻り、靴を履いて飛び出した。









 高くそびえる木々の間から、細い光が無数に差し込んでくる。夏だというのにほどよく涼しい森の中はとても快適だ。

「すっげぇ…はじめて入ったけどいいもんだな」

 勢いのまま飛び込んだ森の中は、都会では見られない光景がある。なにより、自然というものに触れたのは久し振りすぎて、見るものすべてが新しく感じてしまう。迷うことのないように、ただ真っ直ぐに歩く。遠くへは行くなという言いつけも守らなければいけないが、もっと奥を見てみたいという好奇心の方が今の洸哉は勝っていた。

「ちょっとくらいなら……ん?あれって」

 これからどうしようかと考えながら歩いていると、不意に視界に赤い何かが映った。小さなそれは…

「えっ?人間…?って待って!!」

 目があったと思った瞬間、その赤いものは走り出す。それを追って走り出した洸哉の頭には、もう祖父の言葉など存在しなかった。


「はぁっ、はぁ…一体どこに…」

 赤いものは存外足が速く、すぐに巻かれてしまう。ただ真っ直ぐに走っただけだというのに、なぜ姿が見えないのか…。悩む洸哉の視界に、今度はキラリと光る何かが映る。

「これは…何だろう。くし…?でも折れてる」

 拾ったそれは、赤や白、紫など様々な色の花の模様が散りばめられた、綺麗な櫛。しかし真ん中の部分からポッキリと折れてしまっている。その櫛を眺めていると、背後からカサリと音がなる。

「返せ」

「はっ…?なに…ってうわっ!?」

 振り返ったそこに見えたのはまた赤。赤い着物をまとった―――――少女。

「返せ。それは私のものだ」

 肩のあたりで切り揃えられた艶やかな黒髪に、同じく黒い大きな瞳。その瞳が真っ直ぐに洸哉を見ていた。

「返せって…これ?君の…ものなの?」

「そうだ。私の…大事なもの」

 洸哉がおずおずとその櫛を差し出すと、少女はそれを受け取ろうとした。しかし、できなかった。その手はまるで櫛をすり抜けたように…いや、本当にすり抜けたのだ。櫛ばかりでなく、洸哉の手まで。

「うわぁぁ!?なっなんだこれぇ!」

「やはりだめか。せっかく…せっかく見つけたのに」

 洸哉の叫びもむなしく、少女は最初からわかっていたとでも言いたげにため息をついた。洸哉は震える手で、少女へ触れる。しかしその手はやはり空を切って、少女に触れることはできなかった。

「ゆ、ゆ、幽霊っ!!?」

「…だったら何だ、糞餓鬼め。人を見て悲鳴をあげるなんて失礼な奴だ」

「そりゃあげるわ!!!…てゆうか、糞餓鬼?!」

 明らかに自分より年下の子どもに、糞餓鬼などと言われるとは。恐怖より屈辱が勝って、洸哉は立ち上がる。

「何かわかんないけど君にだけは言われたくねぇ!」

「…うるさいな耳元で喋るな糞餓鬼」

 明らかに態度を正すつもりのない返答に、洸哉はただ唇を噛み締めるしかなかった。





「…で?君は一体何なわけ?」

 突然の糞餓鬼呼ばわりに一悶着あり、それがやっと落ち着いた頃。洸哉は改めて目の前の少女を見つめた。少女の肌は透けるように―――いや実際透けているのだが…―――白く、黒髪と赤い着物によく映えていた。幼いながらもどこか大人びた表情はアンバランスだ。

「何、とは?私が生きているものではないことくらいわかるだろう?」

「いやそれはわかるけどさ…。とりあえず、君の名前は?」

 意味がわからないと首をかしげる少女に、洸哉は名を聞いた。

「私は…紅夜。口紅の゛紅゛に、゛夜゛で、紅夜」

「こうや…?俺と同じ名前?」

「ほう?お前もこうやなのか?」

「漢字は違うけど…」

 それにしても凄い偶然だ。偶々出会った、しかも幽霊と同じ名前だとは。洸哉は不思議なこともあるもんだ、と微笑んだ。

「俺は佐々木洸哉。この森を抜けてすぐの家に泊まってて…」

「佐々木…?しかも、すぐそこの家って、まさか」

 今まで無表情だった少女、紅夜の顔が、突然弾かれたように明るくなった。

「な、なに…?」

「私は…その家で生まれた」

「はっ?え…?なに、どういうこと?君が俺の、ご先祖様、みたいなこと?」

「そうなるな!」

 紅夜が大きく胸を張り、誇らしげに笑う。

「そうなるな!じゃねえよ。…完っ全に幽霊コースだぞこれ…どうするんだよ」

 もう訳がわからなすぎて頭が痛い。洸哉は少しよろけて頭を抱えた。

「洸哉。今は一体何年だ?」

「え…?2015年、だけど?」

「にっにせん?」

 驚いて大きな目をさらに見開いて、紅夜はすっとんきょうな声をあげた。それに一瞬ビクッと体を震わせたが、ふとあることが気にかかった。

(着物だし、しゃべり方も古くさい…この子はいつの時代の…?)

「君はいつ生まれたの?」

「む?…かなり前、だと思うが…」

 なぜそこが曖昧なのだろう。一瞬突っ込みたくなった。

「江戸、とかだったら400年くらい前じゃ…」

「よんひゃく…そんなに経っていたのか」

 紅夜の顔が少しだけ曇る。寂しさが感じられる表情に、洸哉は少し胸が痛んだ。

(別にいじめてる訳じゃないんだから…)

小さな子供をいじめている高校生、というのは見ても聞いても気持ちいいものではない。洸哉はまた頭を抱えることになった…


「洸哉、お前に頼みがある」

 急に物思いに耽り始めた紅夜にかける言葉などあるわけもなく、ただただ黙っていた洸哉だったが、勢いよく頭をあげた紅夜の顔が思った以上に近く、思わず後ずさりする。

「な、な何だよ」

 紅夜は一瞬、躊躇うように眉を寄せ…。




「私の記憶を探してくれないか」




「…は?」

 しばらく無言の時間が存在していた。告げられた言葉の真意を理解しようと、頭を考えることに使っていたからだ。紅夜はいたって真面目で、冗談など言っていないというように唇を引き結んだ。

「私の!記憶を!探してくれないか!」

「いやだから何なの!?意味わかんないんだけど!」

 腕を振りながら大声で叫ぶ紅夜に気圧され、とっさに庇うように体が動く。

「…なに、記憶喪失だとでも言いたいのかよ」

「…そうだ。覚えてないんだ。昔の記憶が、朧気に浮かぶだけで、何もわからない」

 悲しげに伏せられた瞳は潤んでいるのだろうか。紅夜より背の高い自分からは表情を見ることができない。

「私はもう生きていないのだろう?物に触れることもできなければ、誰かに認識されることもない」

「俺には見えてんのに?」

「だから不思議なのだ。お前は何か特別なのかもしれない。今まで何人かここに来たが、誰も気づいてはくれなかった。…だから頼む。私の記憶を、思い出を、取り戻すために力を貸してくれ!」

 ガバッと頭を下げる紅夜を、洸哉は見つめていた。そして…


「いやむりです」


「…は?」

 今度は紅夜が驚く番だった。洸哉は一切の迷いも見せることなく、そう言い切った。それから踵を返し、元来た道を引き返し…

「ちょちょちょちょっと待て!待たんかい!!」

 紅夜がその背に飛びかかるも、幽体のためそのまますり抜ける。紅夜は悔しそうに歯噛みし、洸哉を睨み付けた。

「私がこんなに頼んでいるというのに貴様…!」

「いやだって面倒事とか嫌いだし…」

 紅夜はポリポリと頭をかく。先程は驚きの連続で叫んでばかりだったが、実際の洸哉はこんな感じなのだ。

「私は一人では何もできないのだぞ?それなのにお前は…」

 潤み始めたその視線から逃れるように、洸哉は足を速めた。

「先祖を裏切るのかぁ!!!こら!!!」

 ぎゃんぎゃんと喚く声も無視を決め込み、前だけをみて歩く。まだ追ってくる気配はある。

「待て…待てって、待って…」

 突然、喚く声が途絶え、辺りに静寂が訪れる。気にせず行こうとする洸哉だったが、やはり好奇心には勝てず…振り向く。そうすると、地面にしゃがみこんでいる紅夜が見てとれた。

「…なんだよ、急に静かになって…」

「待ってくれ、お願いだから…。私をまたここに一人にしないでくれ」

 一人、その単語に思い出したくない記憶がよみがえりそうになったが、意識の奥に追いやる。しばらく黙っていた洸哉だったが、観念して近づいていく。

「…君はほんとになんにも覚えてないの」

「名前と家族、あと、それから…これも」

 紅夜が懐から取り出したのは、先程の真っ赤な櫛の半分。だが先程のは自分が持っている…

「お前の物とくっつくはずだ。私はそれを大事な人からもらった」

「大事な人って?」

「…わからない。顔も声も名前も、なにも思い出せないのに、その人が大事だったことは覚えてるんだ」

 紅夜は櫛の片割れを大事そうに握り、そう言った。そしてまた強い目で洸哉を見据え、立ち上がる。

「知りたいんだ。自分のこと、それから大事な人のことを」

 だから頼む、とまた深く頭を下げられ、洸哉は…

「はぁ…わかった、わかったから頭あげろよ。…手伝えばいいんだろ」

 こうなるから嫌だったのに、ため息をつく。

「っ本当に!?…ありがとう…!」

 そうして見せた紅夜の笑顔が、本当に小さい子供のようで、生きている者ではないこともわかるが、可愛らしく思えた。

「そうと決まれば出発だ!家まで案内しろ洸哉!!」

「は!?切り替え早くねぇか!?しかも命令口調…」

「おい!早くしろ洸哉!置いていくぞ!」

 反論する間にも紅夜はどんどん遠くなっていく。もう仕方がないと洸哉は走り出した。




(下手に感情移入したらダメだと思ったのに…俺ってば本当にお人好しなのかも)






これが、洸哉と紅夜の出会い。不思議な夏物語の幕開けだった。



これから物語が始まっていくのですが、紅夜の口調からすでに迷っています…。



これからよろしくお願いいたします!

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