どーる・めっと・れでぃー! 中編
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それがなんなのかは、吸っている私でさえもよくはわからない。
ただ、それが人間の血潮や鼓動と深く関係している物だとは理解しているし、人によって、あるいはその時の状態によって総量が変わってくる物であるともわかっている。
それはおおよそ若い年代の人間が多く持ち、そして精力的に活動を行っている者が多く持っていた。
そして、私がそれを吸うと、吸われた側は酷く疲弊する。
言ってしまえば『人間の元気のもと』という性質を持つそれを、私は便宜上『精気』と呼んでいる。
そして、私はそれを消費しながら生きていて、私はそれを自分で作り出すことができない。
極論、人間にとっての栄養が、私にとっての精気だと考えてくれればいい。
人間やその他の生物が『食事』によって栄養を得ているのと同様に、私も人間から精気を吸って生きながらえている。
自我がはっきりしないうちから、私は本能的にそれを吸っていた。
そして意識をはっきり持つようになってからは、生きるためにそれが必要なのだと理解してより多くの精気を吸った。
そして、それが人間にとっても大切な物であり、吸いすぎれば命さえも奪いかねないモノだと気が付いてからは、最低限に抑えるようにした。
……まあ、五十歩百歩、といったところなのだろうけど。
この特性は、おそらく付喪神特有の性質――ではないのだろう。
今まで他の付喪神と出会ったことがないのではっきりとはいえないが、これはおそらく自分だけが持っているものだ。
……たぶん、これも『呪い』の一種なんだろう。
髪の毛が伸びるには何らかの栄養が必要で、そのための栄養をこの人形は他者から奪うことで得ている。
そういう解釈を押し付けられた結果発現してしまった、『呪いの人形』の性質だ。
この性質の厄介なところは、『髪が伸びる』だったり『気味が悪い』だったりという恒常的に発生している『現象』ではなく、あくまで私自身の意思により発生する『行動』だという事である。
逆に言えば、この性質だけは、私の意志で『使わないでいる』事が出来るのだ。
人間から与えられた他の性質については、私の意思に関わらず発動しているため『呪いをかけた人間達』を被害者面で恨むこともできる。
だが、『精気を吸う』というこの行動についてはその限りではない。
この性質の発動はあくまで私の意志に任せられており、たとえきっかけを与えたのが人間だったとしても、使うのは私の自由である。
だから、これについては人間達に責任転嫁はできない。
申し開きようもない、私の、純粋な悪意によるものだ。
精気を吸わなければ生きられないという、半ば原罪じみた理由があるとしても、こればっかりは無視できない。
……矛盾している。
人を傷つけたくないと思いつつも自分の意思で精気を吸っているのもそうだし、死にたいと思っているのに生きる努力をしているのもそうだ。
実際何度もこの行為をやめてみたことはある。
何もせず、ただひたすらにじっとしていれば、私の中に蓄えられたソレはどんどんと薄まっていき、そして完全になくなったとき――おそらく私は死ぬ。
人間への危害という可能性と、忌まわしい自分という存在が一気に消えてくれるまさに一石二鳥な試みだったため、私は嬉々としてそれを行い、しかしそれは禁煙や禁酒と言った行為が往々にして同じ結論に辿り着くように、長続きしなかった。
その理由は単純で、しかし根深い物だった。
……例えて言うのなら、虚無感。
無という概念がだんだんと私に近付いて、体中をゆっくりと包み込み、同化していくような、そんな感覚。
精気を吸うのをやめるてしばらくするたびに、それが私に襲い掛かってくるのだ。
……アレは、どんなモノよりも恐ろしい……。
意識が薄れ、同時に自分の中の大切な何かが失われていくようなあの感覚。
世界のなにもかもが曖昧になり、私とそれ以外との境界が失われ、すべてが混沌となりながら私を包んでいくような、そんな感覚。
真綿で首を絞める、という言葉を具現化したようなアレは、しかし何の痛みももたらすことはない。
ただ音もなく、ゆっくりと時間をかけて、私という存在そのものを否定し、削り取り、最後には何も残さない。
それはそんな宣告を言外に行い、しかも実行してくるのだ。
一思いに一瞬で私を消してくれればいい物を、アレは私をじっくりといたぶってくる。
そして、その苦痛に耐えかねて人の精気を吸ってしまう私を確認すると、あざ笑うかのようにすべてを元通りにして遠ざかって行く。
私はそれに心底安堵し、そして同時にそんな安堵を得る私自身に失望していく。
……結局私は、死ぬのが怖いんだ。
あれだけ自分を忌み嫌い、消し去りたいと心底願っていたつもりでも、やはり心のどこかでは死を恐れている。
あの感覚は、私の中にいるごく一部の反乱であり、私はそんなちっぽけな物に毎回負けてしまうのだ。
……本当に、滑稽だ。
今の行動も、口だけの自分も、これからの変わり映えのしない生活も、何もかもがばかばかしい。
そんなことを考えながら、私は月世に触れていた髪の毛をそっと離す。
あまり吸いすぎて生活にすぐさま支障が出てしまうのはいろいろな意味でまずいし、なにより私の望むところではない。
一応黙って立っているだけならば三日は持つ程度の精気は吸ったし、月世にとってもこのぐらいならばちょっとその辺を散歩したぐらいの体力消費で済むはずだ。
三十代の体ならばそこまでキツイ消費ではなく、寝ていれば朝にはちょっとだるい程度にしか感じなくなるだろう。
……本当に、何なんだろうな、私は。
忌み嫌う技術に精通し、適量を知りつくし、当たり前のように手加減をしてみせる程度には慣れてしまっている。
これではいくら『嫌っている』といったところでだれも信用しないだろう。
本心ではこれ以上はないくらい嫌っているというのに。
……こんなことを、いつまで続ければいいんだ……。
そんなふうにあてもなく問いかけてみるも、その問いを聞けるのは私しかおらず、結局は自問自答になってしまう。
――朽ちぬこの身で、永遠に。
――あるいは、次の瞬間まで。
相反する二つの解は、今まで何度も出されたものだ。
実質的に寿命の無い人形の身で永遠に繰り返すか、あるいは今すぐこの身を壊して終わらせるか。
一つ目の解はそれこそ何の救いもないが、吹っ切ってしまえばとても楽な選択だ。
自分の特性を受け入れ、呪いの人形としてまっとうに過ごしてしまえばいい。
例えそれを許せないと思う心が私の中にあったとしても、そんなものは所詮その場の状況次第で切り変わってしまう程度の軽い思いでしかない。
そう考えれば、この方法も悪くはないと思えてくる。
対して二つ目の解は、これまで何度も試してきて、そしてあえなく失敗し続けている、信用の欠片もないものだ。
とりあえず選択肢には入れておくものの、実行されることはない、理想的な解。
……そして結局私が選ぶのは、いつもその中間の解……。
どちらにするとも決められず、その間をさまよい続ける、ある意味では一番楽で、そして一番苦しい解。
つらく苦しい現状を、ただただ維持するだけの、何も決めなくていい怠惰な解。
そんなモノを選び続けて、早百年以上。
いい加減にしようと思い続けて、同じ年数。
そんなつまらない葛藤を抱き続けて、やはり同じ年数。
……そして多分、これからもずっと……。
もはや摩耗して痛みすら感じなくなりつつある心を自覚しながら、私は来た時と同じく慎重に寝室から出ていく。
扉を閉め、音を立てずにゆっくりと行動する私の体は、しかし来た時よりも若干動きが軽くなっていた。
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それからの毎日は、物珍しさといつも通りの連続だった。
いつも通りに自分の場所から動かず、じっと目の前を見続けるいつも通りの合間に、最近ではあまりない珍しさが入る。
その珍しさは、勿論月世に関係していることだ。
……こいつはそんなに暇なのか?
月世は暇さえあれば私の所に来て、初日のように益体もない事を話し続けるのだ。
朝起きてすぐに来ては寝ぐせだらけの髪のまま見た夢の話をし、朝食はわざわざ私の前でメニューの説明をしながら食べ、昼食は何にしようかと答えもしない私に相談し、インスタントのラーメンを私の前で豪快にすすってつゆを飛ばし、おやつにシュークリームを食べようかそれとも減量に励もうかと葛藤し、結局欲望に負けて大きなシュークリーム三つにエクレア一つをたいらげ、直後にその惨状を理解して泣く泣くジョギングに出かけ、帰ってきたら帰ってきたでその最中によそ様の犬とマジ喧嘩して勝ったことを報告し、さらにはその途中で立ち寄った公園で子どもたちがとても元気に遊びまわっていたとしみじみこぼし、かと思えば今度は夕食のメニューについてうんうんうなりながら考えはじめ、結局レトルトのカレーに出汁つゆとうどんを入れて手抜きカレーうどんを作って食べてシャツを一枚まだら模様にし、完食後その場で服を脱ぎだしたかと思えばタオルと着替え片手に七分の五裸で堂々と風呂へと直行し、三毛猫の着ぐるみ姿のほかほかで帰ってきたと思ったら無言で私を抱えると私の髪でみつあみを何本も作って遊び、あくびを七回とくしゃみを三回するころにはなんだかよくわからない髪形になった私をもとのストレートに戻して軽く梳った後、寝室に戻って行った。
……なんなんだあの女は……?
欲望に素直だとか子どもっぽいとかそんな言葉で濁すのもめんどくさくなるほど能天気でバカな女だ。
三十路を過ぎて人形にマジ語りしてるのも痛々しいが、そんなものが気にならなくなるほどに呆れの感情がわき出てくる。
普通の人間ならば、じっと私を見た段階でなぜか寒気を感じ、気分が悪くなってくるはずだ。
それなのにあの女は平然と私を見て、話し、触り、抱えてくる。
……不可解にもほどがある。
そんな感想を抱き、同時に形容しがたい変な思いを心に感じながら、私は夜な夜な精気を吸い続けた。
抱く思いは相変わらず負の循環を続けていたが、その『作業』だけは続けている。
そして、そんな『日常』が一週間続いたころ――
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夜になり、今日も私は忍び足で月世の寝室をめざし、進んでいた。
日中の一人お祭り騒ぎ(主役は月世一人、観客は私一人)の会場だったこの家も、主役が寝静まったおかげで今はひっそりとしている。
それをありがたいと思う反面、なぜか寂しさを感じてしまう私は、だんだんと月世に毒されて来ているのかもしれない。
……呪いの人形が毒されるって、いったいなんなんだ……?
月世の人間離れした影響力について思考しながら、私は目的地である寝室に辿り着く。
もう何度も通っている場所であるから、慣れたものだ。
……まあ、油断はしない方がいいんだろうが――こいつを見てると、どうもなぁ……。
扉を開け、月明かりに照らされる着ぐるみ姿の月世を見て、私はなんだか体の力が抜けるような錯覚を感じる。
月世はなぜかその手の着ぐるみパジャマを何着も持っているらしく、一日目から三日目の三毛猫に留まらず、三日目から五日目のパンダ、そして昨夜までの虎と、様々な寝姿を披露してくれた。
……これ、洗濯とか大変なんじゃないのか……?
そして今日のコスチュームは、
……オオサンショウウオ、か……?
まだらというかなんというかよくわからない模様の着ぐるみは、その色合いと相まってパジャマにはふさわしくないように思える。
ここまで来るとその選択に疑問を持つ以前に、どうしてこんなものが世に存在しているかの方が不思議だが、深く考えると馬鹿を見ると思ったので思考を放棄し、私はいつものように髪を伸ばす。
顔以外をすっぽりと覆うパジャマを少しだけかき分け、月世の首筋へと髪をふれさせるが、
……なんでこんなに触感良いんだこのオオサンショウウオ……?
なぜか無駄に良い生地を使っているらしいそのパジャマに若干以上の不可解を感じながら、私は精気を最低限吸い、起こさないように少しだけ乱れた着ぐるみを直すと、髪を引っ込めてゆっくりと寝室を後に――
「――こら、そこの人形。部屋の主に声ぐらいかけて出ていく気はないのかい?」
………………!?
その声が私の体を震わせた瞬間、私は頭の髪が総毛だつ感じがした。
というか実際に全部逆立ってたと思う。普段でもがんばればできないことないし。
そんなことを頭の片隅で考えながら、私はあわてて声のした方――つまりは背後――を振り向き、月世を見る。
するとそこで寝転がっている影がそのままゆっくりと首を回してこちらに顔を向けようとしている最中だったので、あわてて部屋の隅へ飛び込み、暗がりに身を潜めた。
ただでさえ暗い夜に、部屋の陰に潜む小さい人形に気が付くことはないだろうが、しかし先ほどのはっきりとした声とその内容から、危険度は最高であると思った方がいい。
そう考えて私はそこでいつも通りの棒立ち姿勢を取り、様子をうかがう。
すると、完全にこちらに振り向いた月世は、私を見失ったのか少しだけ目線を泳がせると、上体を起こして胡坐の姿勢を扉の方へ向け、
「あんたが夜な夜な動いてあたしの所に来てるのはわかってるんだ。おとなしく出てくるならよし、さもなくばあんたの衣装は明日から布面積90%減の悩殺ビキニだよ。それが嫌だったらとっととそこから出てきな!」
そんなとんでもないことを言い出し、しかもどこから取り出したのか本当に人形サイズのビキニ型水着を掲げてくる月世に、私はどうしたらいいかと悩み続け、
……あ、もしかしてこのまま動かずやり過ごせば夢だと勘違いしてくれたり――
「――言っとくが、漫画家の空間把握能力なめんじゃないよ。あんたを置いておいた机には木目もあれば細かい傷もある。それを見比べてりゃあ、毎朝毎朝触ってもいないのに前夜と比べて数ミリずつ人形が動いているなんてこと、気が付かない方がおかしいのさ」
もともとか細かった希望が完全に断たれ、私は目の前が真っ暗になるのを感じた。
……ど、どうしよう……。
おそらくこのままおとなしく出て行った方がいいのだろうが、それはそれでなんだか負けた気がする。
自分は『呪いの』という文句が頭に付くとはいえ人形の付喪神であり、名前の通り神の端くれのようなものだ。
そんな自分がたかだかビキニごときで人前に姿を現すのは――
「ほら、さっさと出てこないともさもさアフロのかつらもサービスしちゃうさね!」
――反射的に一歩前へ飛び出した。
……し、しまった!?
あまりにもばかばかしい脅しに無意識ながらも屈してしまった自分に内心で頭を抱えながら、私は半ば自棄になりつつも覚悟を決め、続く二歩目から先をゆっくりと歩み出す。
そうして物理的に小さな一歩を重ねて影から出てきた私を見て、月世は『ほぅ』と感心と驚きが混ざったような声を上げ、
「一応確信はあったが、本当に人形が動いているのを見ると違うもんさねぇ……」
と、こぼすように言った。
そんな月世の前に、私はある程度の距離を置いて立つ。
私からはすぐに髪を伸ばして干渉できて、かつ月世が私を掴もうとすればワンテンポ以上遅れるような、そんな間合いだ。
そして、その距離の開きを見て月世も私の警戒を悟ったのか、引きつりなどの一切ない自然な笑顔を見せ、
「さて、あたしの名前やらなんやらはこの一週間でかなり話したと思うから割愛させてもらうとして……あんたの事を話してもらおうか。……つーか、あんた話せるのかい?」
と尋ねてきた。
……話せる、のか?
私自身この姿で声を発してみたことはないのでわからないが、物は試しとやってみることにする。
普通の人間が声を出すのとはかなり勝手が違うが、それでもいろいろ自分の体を動かして確かめていると、その沈黙から何やら感じ取ったのか、月世がまた声をかけてくる。
「……やっぱり人形に対して『話せ』ってのは無理があったかね? ――あたしの言ってることはわかるんだろう?」
「……ワ……カル……」
その問いかけが来たタイミングで私はやっとこの姿での発声方法を理解し、声を絞り出すように返事をする。
その声はかすれ、カタコトではあったが、それでもしっかりとした発音で私の口の辺りから発せられた。
そして、それ故に声は月世の耳にもしっかりと意味のある言語として届き、
「おや、話せたのかい。そりゃあよかった。意思疎通の方法を考えなくてよくなったからね。さすがに今から手旗信号を仕込むのは骨さね」
と、月世は安堵を含めた笑顔を向けてくる。
というか、普通に筆談でいいと思うのに、なぜわざわざ茨の道を進もうとするのかわからないのは置いておき、私は月世が浮かべるその表情をじっと見る。
……驚かないんだな……。
普通、人形が話し始めたら誰だって驚くものだろうに、月世からは驚きどころか恐れの感情すら感じなかった。
そんな月世の様子を見て、私もなんだか心が落ち着いてくるのを感じる。
こいつとだったらしっかり話せるかもしれないと、そんな予感がしてくるのだ。
……まあ、そもそも普通は人形が動いてるって時点でこれ以上ないほど驚くものなんだろうけど。
ともあれ、最初の山は何とかうまく乗り越えられたようだった。
「にしても、あんた一体なんなんだい? 高性能なロボット?」
「……チガ……ウ……。ワタ……シ、ニン……ギョウ……」
同時期に作られたからくり人形たちならともかく、本来の私には自分で動くことができるような機構はつけられていない。
そもそも、今の技術を総動員したとして、自分の判断で動いて話せて髪の毛も伸ばせる人形を本当に作れるのか、怪しいところだ。
もとより私はただの愛玩用で、だから人と接する機会が増え、だからこそ呪いを受けた。
その事実は変わらないし、変えられない。
それがわかっているからこそ――つらい。
「人形、ね。……実際に向かい合っててこう言うのはなんだけど、ただの人形が動いて話すってのはどう考えてもおかしいだろう? どんなタネがあるっていうさね」
「……ワタシ、ツクモ……ガミ……。タマシイ、モッタ……ニンギョウ……」
心の中では暗い事を考えつつも、表面上は冷静に、私は月世の問いに答え続ける。
いくつかの受け答えを経て、月世は段々と眉をひそめ始め、
「なんだかそのしゃべり方もまだるっこしいねぇ……。もっとテキパキ話せるようにはならんのかい?」
と聞いてきた。
その要望はいずれ必ず出ると思っていたし、それを叶える簡単な解決法も存在する。
ただ一点だけ、大きすぎる難があるのだが……。
「ウマ、ク……ハナス、ホウホウ……アル」
「おや、あるのかい。だったら早く言ってくれればいいさね。……で、どうするんだい?」
……さて、ここで月世がどう出るか……。
「チカラ、ガ……アレバ……イイ。チカ……ラ、ヲ……チョウダ、イ……?」
「ちから? なんだいそりゃ? 美味いもんでも食わせりゃいいのかい?」
「……ソウ、タベサセテ……アナタノ、チカラ……。マイバン……ワタシガ、ヤッテ……イタヨウニ……!」
なめらかに話せるようになるための方法。
その唯一にして大きな難点とは、多くの精気を必要とすること。
そもそも普段からなるべく動かず精気を節約しているのだから、それ以上動かなければいけないのなら、今溜めこんでいる物だけでは心もとない。
だから、私はより多くの精気を得なければならないのだが……。
「あたしの力? 毎晩やってたこと……? ――ああ、あの夜這いかい?」
「……ソノ……イイカタ、ハ……ヤメ、ロ……」
確かに似たようなものかもしれないが、仮にも女の端くれであるあんたがそんな言葉を言うな。
「毎晩毎晩あたしの部屋に来て髪の毛伸ばして何やってるのかと思えば、あんたあたしを食ってたのかい?」
「………………ソウ、ダ」
はっきり告げようと思っていた事実だったのに、それでも認めるとなると勇気が必要だった。
「セイカク、ニハ……アナタ、ノ……セイキヲ……モラッテ、イタ。モライスギルト……アナタガ、ツカレテ、シマウカラ……マイバン……スコシズツ、ダケ……」
「ほう、そんなことを……」
……こいつは、これを聞いてどんな罵倒をしてくるんだろう……。
普通、得体のしれない人形が毎晩自分にほんの少しとはいえ危害を加えていた、という事実を聞いて、不快に思わない人間はいないだろう。
だから私はいつもこっそりと吸っていたし、『なんだか気味が悪い』という理由でよそにやられたことは有っても、『毎晩精気を吸っている』という理由で捨てられたことは一度もない。
……まあ、それも今日までなんだろうけど。
一番の秘密であったそのことを話してしまった今、今後の私には『人を吸い殺す』というレッテルも追加されることになるだろう。
今まではあくまで噂でしかなかった物が、より明確な体験談として追加されるのだ。
必然的に、私のこれからもずっと過ごしにくく――
「そうかいそうかい……。じゃ、安心してガンガン持っていきな」
……は?
何を言われたのか少しの間理解できず、しかし月世が許可を出したのだと認識しても私は信じることができず、聞き返した。
「……イイ、ノカ? モノスゴク……ツカレル、ゾ?」
「憑かれるのは御免こうむるが、疲れるのは別にかまわんさね。こっちは徹夜で三十時間稼働も平気でこなせるんだ、ちょっとやそっとの疲れじゃ堪えはしないさ」
「……サッキ、モ……イッタ……ガ、マイバン……スッテイタ、トキニハ……カナリ、カゲンシテイタゾ……?」
「ちゃんと聞いてたんだからわかってるさ。……なんだいあんた、あたしの精気とやらはそんなに吸いたくないのかい?」
「……ソウイウ、ワケジャ……ナイケド……」
「だったらさっさとしな。これ以上グダグダ引き延ばすようだったら、『悩殺ビキニ』と『もさもさアフロ』と『私がシャッチョサン!』って書いたタスキを全装備させたうえで瞬間接着剤で固定して記念撮影するよ!」
……なんか増えてる!?
そんなけったいを通り越してもはや痛々しさまで感じる姿になるのは嫌だったので、私はすぐさま行動を開始する。
いつも通りに髪を数本伸ばし、いつもとは違って起きている月世の――とりあえず右手首あたりに巻きつけ、いつも通りに少しずつ精気を吸っていく。
「――っ!? ……なるほど、これは確かに疲れるさね」
少しだけ顔をゆがめてそうつぶやく月世だったが、特にそれ以外に静止の言葉も態度もなかったので、私は続けて吸い続けることにした。
……まあ、もし何か文句を言われても、さっきの脅し文句を盾にして言い逃れは可能だし。
そんなことを考えながら、私は十分だと思える量だけ月世から精気をもらい、巻きつけていた髪の毛をほどく。
大体百メートル全力ダッシュを行った程度には疲れているはずの月世だったが、若干顔色が悪くなったぐらいしか変化はない。
よほど精気が有り余っていたのか、それとも単なるやせ我慢か……。
……どちらにしろ、せっかくもらった精気だ。望み通り話をスムーズに行えるようにしよう。
保身のためという大きな理由になんだかよくわからない義務感をほんのすこしに加え、私はゆっくりと人形の体全身に精気をめぐらせ、そして――
「――っと、こんな感じか?」
人に良く似た姿を現した。
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この姿になってまず思うのは、視線の高さに対する驚きだ。
現在の私の身長は百七十センチほど。高さ三十センチの人形とは比べるまでもない。
そして視線を落としてみれば、目に入るのは自分の手。
ゆっくりと目の前に掲げて握って開いてを繰り返してみるが、そこにはもはや人形であった頃の硬さやぎこちなさ、無機物感は一切感じられない。
見た目はおろか、感触まで人間のそれとそっくりになっている。
さらに、その手をどけてみれば、私の体のほとんどを覆っている赤い布の塊が見えてくる。
かつては鮮やかな着物であったと思われるそれは、しかしシミや破れがいたるところにでき、言葉通りボロという印象しか与えない。
そして、その内側にあるこれまた人間そっくりの体のいたるところにススやほこりがこびりついているのがわかる程度には、触覚や嗅覚も敏感になっている。
先ほど思わずこぼしてしまった独り言を思い出してみても、発声機能に問題は見られない。
「……この体になるのも、久しぶりだ」
今度は自覚してそうこぼしながら発声機能の再確認を済ませ、私は目の前に座っている女――月世に目を向ける。
さすがに人形が人間になることは予想していなかったのか、今度は驚き一色の表情を見せている月世だったが、私が自分の方を見たことに気が付いたのか急いでもとの表情を取り戻そうとする。
そのもくろみは半分ほどしか成功してはいなかったが、まあ精気をくれたよしみで見なかったことにしてやるとして、
「おい、月世。お望み通り話しやすくしてやったぞ。これから私はどうすりゃいいんだ?」
と尋ねた。
質問を受けた当の月世は、質問前でもかなり引きつっていた口元をさらにひきつらせる。
「……あんた、体がでかくなったのと同時に態度もでかくなってないかい?」
「もともと私はこんなんだよ。さっきまでは最低限の言葉しか話してなかったからわからなかっただけでな。……そんなことを聞きたかったのか?」
その場で立ったまま腕を組み、眉をひそめてそう言う私に、月世は胡坐をかいたまま同じく腕を組んで私を見据え、
「んなわけないさね。……まあとりあえず、自己紹介でもしてもらおうか。あんたがツクモガミとやらだってことは聞いたが、それ以外の情報は全く聞き出せてないからね」
「自己紹介、って言ってもなぁ……。生憎、人形の付喪神って肩書きぐらいしか持ってないんだ。それ以上は何も話せないよ」
「なにもって、歳とか住所とか出身地とか名前とか、いくらでも話せることはあるだろうさ」
いぶかしげにそう言って私を見る月世だったが、私はそれを『はんッ』と鼻で笑い飛ばし、
「私は人形だってさっきから言ってるだろ? 歳は百を超してからはまともに数えてないし、住所は所有者の住処と同義で今はこの家、出身地は記憶にないし、名前なんか誰からもおくられてねえよ」
「……なんだ、見た目に反してあたしよりもババアかね……」
「聞こえてんぞ老け口調女。さっきのやつもう一回やって精気吸い尽くしてやろうか? あぁ?」
そもそもまともな寿命を持たない付喪神に、ババアも何もない。
あるのはただ苦痛の時間の積み重ねと、それ以外の無価値な日々の集合体がおおよそ百年分以上。
そんなモノを持っていたところで、何の役にもたちはしない。
厄ばかりだ。
「そういやあんた、さっきのあれでその姿になってるんさね? あとどれくらいの時間そのままでいられそうだい?」
「あ? ……そうだな、そこそこ吸ったから、一晩中ぐらいはこのままでいても問題ないとは思うが……」
「そうかいそうかい、そりゃ結構。だったらくっちゃべりながら風呂に入って採寸して、添い寝させるぐらいの余裕はあるね」
「……オイコラババア口調、なにさせようとしてやがんだ?」
風呂に入って採寸して添い寝って、なんだそりゃ?
「あ? あんたまさか、そんな小汚い恰好のままあたしの家に居座ろうってんじゃないだろうね? 幸いあたしは風呂が嫌いじゃないからあんたと一緒に入ってやれるし、体格が結構違うからあたしの服じゃ小さいだろうし、寂しがり屋さんなバカ人形と同じ布団で寝てやれるぐらいの器量はあるってことさ」
「――ふざけんじゃねえよ! 私は人形だぞ? 付喪神だぞ? 人を食うんだぞ? 呪われてるんだぞ? ……それだけの悪条件がそろってて、なんでこの家に置く算段たてられるんだてめえは!?」
言葉の意味が全く理解できずに叫ぶ私に、月世は『少し騒ぎすぎだよ、近所迷惑さね』と嗜めるように言ってから、
「まあ確かに、あんたは人間じゃないみたいだし、素性もさっぱりわからない。何やらあたしの溢れる若さを吸い取る機能までついてる。……だけどまあ、あたしはさっき言った通り器量は有るから、そんなあんたでも五億歩ほど譲って住まわせて――」
……まさか、こいつ、私を受け入れる気じゃ――
「――やらん!」
……だったらそんなに譲るな!!
「オイコラ、文脈無視して言葉を放つんじゃねえよボケババア口調。今のはどう考えても『住まわせてやる』って言う流れだろうが!」
「あたしに認めてほしかったら、後三歩は持ってきな」
「たった三歩とか、五億に比べれば誤差も良いところじゃねえか! 譲歩しろよそれぐらい!!」
「やなこった。これ以上はビタ一歩たりとも譲らないよ」
先ほどの意趣返しなのか、『はんッ!』と鼻で笑って私を見上げた月世は、睨み付けるような視線と共に、言う。
「……だから、残りの三歩はあんたが譲りな」
「………………あ?」
この女には出会った当初から驚かされ続けているが、ここまで来ると何を考えて良いのかすらわからなくなってくる。
「……いったい何が言いてえんだあんたは? 私に一体何を譲れって――」
「よく見てみな、バカ人形。……あたしとあんたとの間の距離はちょうど三歩分だろう?」
そう言って月世が指さす方を見れば、私の立っている位置と月世が座っている地点との距離が、今の私の歩幅でおおよそ三歩分程度だ。
だが、それがいったいなんだって――
「――選びな、バカ人形。あたしの誘いを蹴ってここから出ていくか、あたしの手を取って一緒に暮らすか、二つに一つだ」
「……選べって、あんたまさか私をここに置く気か!?」
「違うね。あたしはあんたがここにいたいかいたくないかって聞いてるだけさ。あんたが自分の考えを持った存在である以上、あたしはあんたをどこかに縛り付けようとは思わない。出て行きたけりゃ最低限の荷物だけ渡して追い出すし、住みたきゃそれなりの事をしてもらう。あるいはそれ以外の選択肢を選びたいならそれでもいい。……全部あんたの望み次第さ」
月世は私を見る目の力をさらに強め、
「この先あたしがどうするのか、決めるのはあんただよバカ人形。あたしなんかと付き合うのもいやだって思うならそれでいい。……だが、もしもあたしといて退屈しなさそうだと思ったんなら――」
「――自分でこっちへ歩いて来な、バカ人形。くだらなくて楽しい人様の暮らしってもんを、芯まで叩き込んでやるよ」
……本気か、この女……?
いや、おそらくという前置きすら不要なほど本気なのだろうというのは、その目を見ればわかる。
だが、なぜよく知らないモノに対してそんな言葉を吐けるのか、さっぱり理解ができない。
しかし、
……その理由を知りたいって、そう思えてくるのはなぜだ……?
そんなことを考えていると、なぜか私の口は勝手に動き、
「……私が三歩譲れば、あんたは私をこの家に住まわせてくれるんだな?」
と尋ねていた。
それを聞いた月世は、勝ち誇ったように笑い、
「ああ、約束してやるさ。女に二言はないよ」
と言った。
その言葉を受けて、私は一つ頷くと、
「……その言葉、守れよ?」
と言ってから、全身の力を抜き――
「――あ」
人形の体へと戻った。
そのまま私は、動かしにくい人形の体を操り、大股でゆっくりと前へと歩き出す。
そして、たっぷり十六歩をかけて、唖然とする月世の前に辿り着くと、再び人間の姿へと戻り、
「――おいおい、どこが三歩だよババア口調女。どれだけ頑張っても十六歩かかったぜ?」
と言い捨てた。
その言葉に口の端をひきつらせている月世を至近距離から見下ろし、そして右手を差し出すと、言う。
「……私に十三歩も余計に譲歩させたんだ、妙なモノを教えたら吸い尽くすぞ?」
「――は、望むところさね」
私の言葉を聞き、引きつりを完全な笑みへと変えた月世は、そう言って私の手を握り返した。
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私は人形。
呪われた人形。
その身に纏いし呪いを人間へとふりまき殺し、その精気を吸って髪を伸ばす。
なぜか人の暮らしを学ぶことになった、どうしようもなく愚かなお人形。
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