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どーる・めっと・れでぃー! 前編

ごく一部の方々に好評だったと信じたい、あのお方の過去話でございます。

口調などは本編とだいぶ変わってますが、仕様です。


では、どうぞ。

   ●



 私は人形。

 呪われた人形。

 その身に纏いし呪いを人間へとふりまき殺し、その精気を吸って髪を伸ばす。


 ――そんな、バケモノ。


 

   ●



 ここは、どこかの町のどこかにある、なにがしかという古びた雑貨店。

 高さ三十センチ程度の日本人形である私は、今日もガラクタに混ざって店先の小物売り場に並べられている。

 この生活も慣れた物ではあるが、やはりこうも変化がないとつまらない。

 両隣に並ぶのは、ところどころ擦れた熊のぬいぐるみと、見た目は整っているが中身は壊れていて本来の用途を果たせないくるみ割り人形。

 昨日も、その前も、ずっと同じ顔ぶれだ。

 唯一の変化らしい変化と言えば、私の価値ぐらい。

 今日の私の値段は――昨日よりもさらに半額。

 もはやそこらの小学生のお小遣いでも余裕で買えてしまうほどだ。

 しかも、商品が日に焼けるのも気にせずわざわざ店の前に台を出して並べられているところから察するに、ここの店主――六十過ぎのジジイ――は、私を早く売ってしまいたいようだ。


 まあ、それも無理のない話だろう。

 何せこの店主、夜な夜な髪の長い女に襲われる夢を見るらしい。

 体中をその長い髪の毛で縛られ、身動きできないままじっと見つめられる、そんな夢だ。

 しかも、それを見始めるようになったのは、私がこの店に引き取られてからの事だという。

 極めつけに、もともと丈夫ではなかった店主はどんどんとやせ細り、顔色も悪くなっている。

 医者に行っても『問題なし、おそらく過労』としか診断されないのだから、その不気味さはひとしおだ。



 ――これらの事と私とを結び付けない方が、どうかしている。



 現に私の髪は少しずつ伸びているし、店主がどこかに私を置き去りにしても、こっそりとまた元の場所へ帰っている。

 そんな私だから、店主は誰かに押し付けたくて仕方がないのだろう。


 ……そのうち、何らかの商品のおまけだとか称して無理矢理持って行かせるのかな……。


 別に珍しい事ではなく、これまでも何度か経験したことだ。

 大抵は私の見た目――鮮やかな色の着物をまとった、ゆうに腰まで届く黒髪が特徴の日本人形だ――を気に入った物好きがその値段に驚きながらも買っていくのだが、何らかの原因で長い間売れ残ってしまうと『おまけ』と称して無償で押し付けようと考え出す。

 そんな扱いに対して、私は特になんとも思わない。

 私のような呪われたモノは、たらい回しにされるのが当たり前なのだから。 


 ……ああ、今日も空が青い。


 朝早く、開店と同時に外に並べられた私たち(がらくた)に、真夏の日中の太陽が容赦なく照りつけてくる。

 同じ状況に長く置かれて幾分かは慣れているとはいえ、さすがにこれは堪える。


 ……今日はちょっと多めに『もらおう』かな……。


 そんなことを考えながら、私はひたすらに新しいご主人様(もちぬし)が現れるのを待ち続ける。

 この店に売られる前は半年ほどこんなふうにして待って、しかし私を買った人は三日で気味悪がってこの店へと私を押し付けた。

 その前は珍しく三日で買い手がついたけど、実は酔っ払った男が正常な判断ができないまま買っていったらしく、持ち帰ってから奥さんに一時間の説教を喰らった後あっという間によそへとやられてしまった。


 ……待つことには、慣れている。


 もともと私はただの人形で、普段は動くことすらなく黙ってそこにあるだけの存在だ。

 それ故に待つことに関しては無限の耐久があり、それ故にここにいることにも苦はない。


 ……捨てられることにも、もう慣れた。


 自分のような存在は、本来ならばありえない。

 それ故に人間たちに馴染めず、それ故に気味悪がられて捨てられる。

 そんな生活を幾度も――それこそ百年以上――過ごしていれば、さすがに慣れもする。

 未だに所有されることにあこがれはあるが、同時にそんな夢はかなわないのだということも理解してしまった。

 実際、誰かに所有されている時間と所有者を待ち続ける時間を比べてみると、恐ろしい比率になることだろう。

 ならばさっさとこんなくだらない行為はやめて、『野良人形』にでもなればいいのではないかとも思うが、私はなぜかそれを拒み続けている。


 その理由となっているのは、この魂の底の底に眠る、ほんのわずかな『ぬくもり』。

 私が私になったばかりで、今とは違って自我も希薄だったころの事。

 持ち主に大切にされ、結果魂を持つことになった、あの生活。

 実際にはそのころから私は『呪いの人形』だったわけで、大切にされていたと言ってもそれは畏怖によるものだったのだけれど。

 それがわかった上で、それでもその味を忘れることができず、私は今もこうしているかもわからない誰かを待ち続けている。


 ……これも多分、『呪い』なんだろうな……。


 この身にはいくつもの『呪い』がかかっている。

 髪の毛が伸びるという、もともとは人間の髪を材料に使っていたという理由から来た現象を『呪い』だと認識されてしまったことによる、『呪い』。

 人の精気を吸い取るという、偶々持ち主が病弱だったという事実から生まれてしまった、『呪い』。

 そして、人が恋しくて愛おしくてたまらないという、『呪い』。

 これらは全て人間の私に対する認識と思い込みから生まれ、私の魂に深く刻まれ、織り込まれた『呪い』だ。

 勝手な理由付けでしかなかった物が、しかしその量が多すぎたために現実にまでなってしまっただけ。

 いわば私は、責任転嫁の標的にされたわけだ。

 物が言えず、自分の意見を表に出せない人形(わたし)には、まさにうってつけの役どころだった。

 その結果私はその通りの存在となり、私に対する認識はより強固なものとなった。


 ……本当に、勝手な……。


 理由の押し付け、責任転嫁によって生まれた私を、一方的に嫌って捨てる人間は、ものすごく勝手。

 そして何より、そんな人間たちをどうしても憎めない私も、勝手。


 ……ああ、いっそ憎めてしまえたら……。


 そんなことを考えながら、私は今日も、持ち主を待ち続ける。



   ●



 私は人形。

 呪われた人形。

 その身に纏いし呪いを人間へとふりまき殺し、その精気を吸って髪を伸ばす。


 ……そんな性質をもつ、人間好きの、付喪神(つくもがみ)



   ●



 いつも通り長く感じた時間も過ぎ去り、そろそろ店じまいという頃。

 店先に出した陳列台を店内にしまおうと出てきた店主は、私が変わらずここに立っているのを見て露骨に嫌そうな顔をする。

 そんな顔をされても私にはどうすることもできないのだが、それでも店主は今にも私を鷲掴みにして地面へと叩きつけそうなほど憎々しい表情を浮かべ、しかしすぐに表情を恐れの色へと変える。

 おそらく『傷つければそれなりの報復を受けるかもしれない』というようなことを考えているのだろう。

 実際の所、私にそのような性質はない。

 もしかしたらあと数年で新しく『押し付けられる』のかもしれないが、少なくとも今現在はそのような性質は持っていないはずだ。

 壊されれば、その時点で私は消えるだろう。

 なのに、みんな私を壊そうとせず、ありもしない不確かな物に怯えながら、私を大切にしてしまう。


 ……だから、私も人間を嫌いになれない。


 いっそ完全に嫌ってくれれば、理不尽な破壊を与えてくれれば、私も人間を存分に嫌えるのに。

 そんなある種の慈悲さえ与えてくれない人間を、私はどうしても嫌えない。


 ……そろそろ、潮時かな……。


 『今』を終わらせる方法は、実はたくさんある。

 自分で自分を壊すのもいいし、次に捨てられたときにもといた場所へと戻らなければいい。

 だが、いずれにしても、それを行う前にすべきことがある。

 それは、


 ……全部、あきらめる事。


 人間に期待することも、好きでい続けることも、自分が誰かの持ち物になれると期待することも。

 自分の性質を受け入れてくれる人物の存在を信じることも、その性質がある日を境にフッと消え去ってしまうという幻想も。

 全部、全部、あきらめてしまう事。

 そうすれば自分は何の心残りも無く人間から離れられる。


 ……でも、それをしてしまえば、私は……。


 だが、その手段を取るということは、人間という存在や、それ以外のすべての物に対して絶望した、という事を自分で証明してしまうということになる。

 たやすい一歩ではあるが、そうなればもう二度とこの場所には戻ってこられないだろう。

 停滞する現状から、絶望を経て別の何かを手に入れる。

 そうなってしまえば、自分はどうなるのか。

 もとより自分を消し去りたいと思いはしていても、いざとなるとどうしても怖くなってしまう。

 散々人を恐怖させてきた自分が何かを怖がるというのも、滑稽ではあるが。


 ……それでも、怖いモノは怖い。


 ああ、目の前の店主が感じているのも、そう言う事なのか。

 そんな結論に達しながら、私は今日もちっぽけな希望を明日へと託す――はずだった。



「……ちょっと。そこのお人形、見せてくれるかい?」



 ため息とともに私たちがのっている台を持ち上げようとしていた店主に、そんな声がかけられた。

 驚いた店主が振り返るのに合わせて、私もそちらの方向を見てみる。

 するとそこには、一人の女性が立っていた。


「――聞こえなかったのかい? そこの綺麗なお人形を見せて欲しいんだけど……ああ、もしかしてもう店じまいかね。だったらまた明日にでもくるが……」


 そう言う女性をいぶかしげな眼で見やる店主だったが、女性の示す『そこの綺麗なお人形』が私の事を言っているのを理解すると、驚きと喜びが入り混じった表情で応対を始めるのだった。



   ●



 私は人形。

 呪われた人形。

 その身に纏いし呪いを人間へとふりまき殺し、その精気を吸って髪を伸ばす。


 今日から変な女の物になる、ただの馬鹿げたお人形。



   ●



 ……変な女……。


 なんだかんだあって私の事を買い取ったその女を一言で言うと、そうなる。

 私の事を買ってくれた人に対してあまりにもあまりな言い草ではあるが、しかしそれ以上に的確な言葉を、私は知らない。

 ラフなシャツにジーンズをはいて、黒くて長い髪を無造作にまとめて背中に流しているその女は、名前を『神在(かんざい) 月世(つくよ)』というらしい。

 歳は三十二で血液型はABのRH+、職業は漫画家で特技は三十時間不眠不休で活動すること。最近の悩みは度が合わなくなってきたメガネをコンタクトに変えるか否か、だそうだ。

 何故ここまでこの女の事について詳しくなってしまったのかといえば、なんということはない、この女が勝手にべらべらと私に話して聞かせてきたからだ。

 私がこの女に買われて一緒に帰宅して、まず最初に行われたのがそれだった。

 こともあろうに、この女はなにやらごちゃごちゃした机に座って一息ついたとたん、滝の水の如くその手に抱えられた私に言葉をぶつけ始めたのだ。


 ……何なんだ、この女は。


 そう思考する間もなく、この女はどうでもいい情報をべらべらべらべらと垂れ流し続けた。

 やっと落ち着いて思考ができるようになったのは、女――月世が話し疲れたのか大あくびをかまして寝床に向かってからだった。

 そのまま仕事机に置いておかれた私は、頭の中に渦巻く余計な情報――大抵が月世のプロフィール――を頭から追い出し、改めて周囲を探ってみる。

 私のいる机の上にはペンやカッターナイフ、羽箒にハサミや糊などなど、様々な文房具に加えて変な台や電気スタンドなどが散らばっている。

 また、それらに交じって書きかけの漫画や真っ白な紙、大きくバツの書かれた原稿などもあり、まさに混沌と言う言葉がふさわしい、といった有様だ。

 しかも、私の立っている机の他にも、似たようなセットの机がいくつか並んでいる。

 おそらくはアシスタント用の机なのだろうが、それらには今立っている机には無いある特徴がある。


 ……いや、なかった、の方が正しいか。


 そこにあったのは形あるものではなく、なかったのは使用された形跡だった。

 文房具の散らばりも、紙も、書きかけや失敗した原稿も、何もない。

 つまりこれは、


 ……ここしばらくは、この机だけが使われていて、他の机は使われていない……?


 よくよく見ればうっすらとほこりまで積もっている。

 道具としての本分を果たすことができていない彼らに対して若干思うところはあったが、それはそれと切り捨て、私は本来の目的を果たすために動き出す。


 ……人形の私が『動き出す』とは、滑稽も良いところだな……。


 そんな思考を行いながら、一歩前へと私は文字通り動き出す。

 本来ならばそのような動きを行えるはずのない足を曲げ、決まったポーズしか取れないはずの手を広げ、材質故に軽い胴をねじりながら重心を移動させ、私は机のふちへ向かって少しずつ進んで行く。

 この家に一人で住んでいる月世は、私に向かって一方的に話し疲れてぐっすり眠っているのは想像に難くない。

 それでも堂々と動かないのは、これまでの経験からの用心だ。


 ……人間は、不確かな物を拒絶する。


 もし私がひとりでに動いているのを見られた場合、私は『勝手に動く人形』として完全な拒絶を受けるだろう。

 しかし、そのような決定的な証拠を押さえられない限り、私はあくまで『なんとなく不気味なだけの人形』という認識しか受けない。

 そして人間は、はっきりとした根拠があって初めてしっかりと行動できる。

 逆に言えば、しっかりとした根拠がない限りは、『なんとなく』という不確かな印象は『気のせい』だと受け入れてしまう。

 特に私のような超常的な物に対しては、その受け入れが顕著になる。

 呪いの人形を不気味がるのも人間なら、その呪いに何らかの理由をこじつけて私と無関係な現象へと落としてしまうのも、人間だ。

 つまり、私がぼろを出さない限り、公的には『呪いの人形』ではなく、ただの『変な噂が付きまとっている人形』というレッテルが張られ続けるわけだ。

 呪いなどという不確かな物を心の底から信じる者の数は、実際にはかなり少ない。

 『呪いの人形だ!』と騒ぎ立ててはいても、実際に怖がっているのは呪いではなく、あくまで私に付随する噂の方だ。

 そんな『なんとなく』という根拠に乏しい判断だけで、人はなかなか思い切ったことをできない。

 だからこそ、私は今この瞬間までほとんど傷をつけられず、壊されもせず――壊してもらえもせず、生き残っている。


 ……死に損なっている、の方が正しいか。


 もともとが器物なのに『生きる』『死ぬ』という表現を用いることはどうかとも思うが、これ以上に適切な表現を私は知らないので、まあ今の所はこの言葉を使い続けることにしよう。

 ともあれ、そんなことを考えながら私は机の上から飛び降りる。

 人間にとっては大した高さではないのだろうが、身長30センチメートルの人形である私にとって、この高さはかなりの物だ。

 だがその高さを、私は自前の髪の毛を命綱とすることで攻略する。

 人形のこの身であっても、髪の毛を伸ばしたり動かしたりすることはできる。

 さすがに一本一本自由自在に動かすことは無理だが、一本、あるいはまとめた一束をゆっくりながらも手の代わりに操ることぐらいは可能だ。

 だから今回も、適当な電気スタンドを髪の毛で掴み、私はゆっくりと床へ降りていく。

 なるべく音をたてないように床に立った私は、月世に連れられて入ったときに頭に叩き込んだ、この家の構造を思い出す。

 本来ならば袋や箱に入れられてどこぞの家庭に持ち込まれるため、いつもならば苦労する家の構造の把握だが、今回に限っては別だった。

 あの女は、酔狂にも私をそのまま胸に抱え、自分の見ている物と同じものを私に見せるかのように店から自宅へ、さらに玄関から机までを歩いてきたのだ。

 おかげで、家の構造どころか店からここまでの道のりまでいつもの癖で覚えてしまった。

 どうせ今後使う予定もない道のりだったので、とっとと忘れることにする。


 ……さて、あの女の寝床は……。


 この家の中で把握できている部屋の位置は、今私がいる部屋――とりあえず作業部屋と呼ぶことにする――だけだ。

 さすがにいまだ入ったことのない部屋まではわからない。

 ――が、これでもだてにさまざまな家を見てきたわけではないので、一般的な家の寝室がどのあたりに作られることが多いのか、ということぐらいはわかっている。

 そしてその知識と、この家の外観からわかる窓の位置、玄関からこの作業部屋までの短い道のりで見た廊下からの扉の位置、さらにはあの女が去って行ったときの足音の響き方から、おおよその場所は見当をつけてある。


 ……二階ではないようだから、まあ楽だな。


 この家は二階建ての一軒家であり、そこそこに広い。

 借家にしても結構な物だし、本人の持ち物だとしたらかなり稼いでいるのだろう。

 それにしてはアシスタントすら使っていないのは気になるところだが、まあ私には関係のない事だ。


 ……それにしても、この体は何かと不便だな……。


 フローリングの床を音をたてないように進み、ドアを少しだけ開けて廊下に出ると、再びゆっくりと歩き出す。

 人間の体だとあっさりと済んでしまうそんな行為も、身長三十センチ程度の人形が行えば一苦労どころの騒ぎではない。

 まず、私の足は人間のように柔らかい(そざい)で包まれていないので、フローリングの床を普通に歩けば結構大きな音が響く。

 さらに、一般的に家とは普通の人間サイズの生き物が利用するのに適した形で作られているため、それ以外の肉体サイズを持つ存在が利用するにはどうしても無理が出てきてしまう。

 現に、扉を開けて閉めるだけでも私にとっては大仕事となる。

 髪を伸ばしてノブにからみつかせ、ひねってから全身の力を込めて引っ張り、私一人が通れるだけの隙間を開けてからそこに飛び込み、反対側のドアノブをまた引っ張って元通りにドアを閉める。

 この家は比較的楽だが、ドアの立てつけが悪かったり、そもそもふすまとかの引き戸だったりするとかなり悲惨だ。

 その上階段を上らなければならなくなった日には、毎晩毎晩登山をする羽目になる。


 ……まあ、あっちの姿になれば、全部解決する話なんだが……。


 ただ、その方法を取ったら取ったでいろいろと新しい問題も出てくるので、とりあえずはこの姿で頑張って行こうと思う。

 そんなつまらない事を考えながら、私はゆっくりと歩いていく。

 そして見えてきたのは、先ほど開けたドアとは違い、和風のふすまだった。


 ……ここ、か。


 よくよく耳を澄ませば、かすかな寝息がそのドアの向こうから聞こえてくる。

 おそらく、いや、間違いなく、あの女はこの向こうにいる。


 ……ここからが、正念場だ。


 ここで気を抜くと、あっという間に今までの苦労が水の泡になってしまう。

 そう肝に命じ――人形だから、肝はないけど――私はゆっくりとその引き戸に髪を伸ばし、少しずつ少しずつひねり、音をたてないよう慎重に開いていく。

 そうして少しだけ開いた隙間に入り込むと、そこは六畳ほどの部屋だった。

 先ほどまでいた作業部屋とは違い、大きな布団が一つ中心においてあるだけの簡素なその和室で、なぜか猫の着ぐるみのようなパジャマを纏った月世が、大いびきをかいて寝ている。


 ……恥じらいってもんはないのかこの女は。


 さすがに全身を覆うタイプのパジャマは暑いのか、布団の上で毛布も掛けずに大の字になっている月世を知覚しながら、すぐに逃げられるようにふすまを開けたままにして、私はゆっくりとこの女に近づいていく。

 そしてある程度の距離まで行ったところで私は止まり、ゆっくりと髪の毛を月世に向かって伸ばす。

 ただし、伸ばすのは数本だけでいい。

 別に全部伸ばしても構いはしないのだが、もし万が一月世が目を覚ましてしまったとき、目の前に髪の毛の束がふわふわ浮いていたら言い逃れができなくなる。

 だがたった数本だけであれば、この暗い部屋で、かつ寝ぼけまなこでは簡単には視認できない。

 本当ならば部屋の外からふすまの隙間を通して髪の毛だけを伸ばせればいいのだが、生憎私の髪の毛はそこまで自由自在ではない上に、伸ばせる距離もせいぜい一、五メートルといったところだ。

 しかも全力で伸ばした場合は操作の精度も落ちるし、何より髪を伸ばしているところが見えないと()さぐりでしか状況を把握できないため、下手なところを触ってしまう恐れがある。

 だから、多少危険でもこうやって部屋に入り、直に見ておいた方がいいのだ。


 ……まあ、これだけぐっすり寝てるのなら、あまり心配する必要はなかったかもしれないけど。


 ともあれ、妙なところで油断してボロを出すのもつまらない。

 そう考えて気を引き締め直した私は、ゆっくりと慎重に、髪の毛を月世の首筋に伸ばしていく。

 カーテンが閉められ、月明かりすら入ってこない寝室を、私の髪が少しずつ、少しずつ進んで行き、ついにいびきの発生源である月世ののど元に触れた。


 ……前の店主の時は、ここで焦って起こしちゃったんだっけ……。


 驚く店主をとっさに髪の毛で絞め落としたおかげで、あの時の事は悪夢として片づけられたが、今回も上手くいくとは限らない。

 なにせ、あの時の髪の毛さばきは私の中でも類を見ないほどの素晴らしさだった。

 店主の四肢を縛り付け、声を出せないように首を絞め、そして適度な力加減で落とす。

 それを一瞬で同時にやってのけることができたのは、きっと人間で言う『火事場の馬鹿力』というモノなのだろう。

 もう一度同じことをやれと言われても、たぶんできない。


 ……というより、今度は無傷で済ませられるかもわからないし……。


 あの時は見よう見まねの柔道技もどきが偶然成功したに過ぎない。

 だが、ちょっと力加減を間違えていれば、脳への酸素供給を阻害してしまうことにより、良くて何らかの後遺症を残し、最悪命を奪っていただろう。

 そう思えば、今の自分にはないはずの心臓に、締め付けられるような痛みが走る。


 ……人間をコロスのは、いやだ。


 『呪いの人形』である自分が言うのもおかしいとはわかっているが、基本的に私は人間に危害を加えたくないのだ。

 それは、自分が『付喪神』であるが故の『人間好き』からきているのかもしれないし、長い間身近にあった存在に愛着がわいているのかもしれない。

 なんにしても、自分が人間を何らかの形で損なわせるという行為に対して忌避感を抱いているのは、否定しようのない事実である。

 現に、私が今まで『呪いの人形』として直接的に命を奪った人間の数は、零である。


 ……ばかばかしい。


 なぜわざわざ『直接的に』という言葉を付けたのかといえば、それは単純に『間接的に命を奪った者ならばいる』という事実があるからだ。

 直接的に――髪の毛などを使って肉体に損傷を与えて――死に至らせたことはないが、自分の存在そのものが他者の死につながったという事例ならばいくつか存在する。

 その事例と言っても、せいぜいが『何度捨てても戻ってくる自分に恐怖し、発狂の末自らの命を絶つ』というようなものだ。

 所有者の意思が弱かっただけだと切り捨ててしまえばそれで済むようなものだが、自分の人恋しさ故の行動で人を死に追いやったことには変わりない。

 そんな存在が『奪った命の数は零』などと言っていること自体がばかばかしく、人を損なわせることに忌避感を抱いている筈の自分が、今現在持ち主の寝室に忍び込んでいる事もまたばかばかしい限りだ。


 ……本当に、ばかばかしい。


 そんなことを考えて声にはならない嘲笑を自分に送りつつ、私は髪の操作を続ける。

 髪の先端が触れている喉からは、呼吸に合わせて響くいびきの振動と、さらには血液が通っているあかしともいえる脈動が伝わってくる。

 今の自分にはないそれを、私は髪の毛を通して全身で受け止める。

 そして、私は、


 ……いただきます。


 月世の体に流れる力を、喰らった。



   ●

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