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夏とナツキと座敷わらし

 なあ、あんたさ。

 どうして俺が見えないのに。

 こちらを見て、微笑みかける。

 誰に対しても、そんなに優しそうに笑うのか?


     ***


「うわぁ!」

 辺りいっぱいに広がる緑の山々をみて、ナツキは思わず声を上げた。

 青々とした空。

 身体中に太陽をあびて咲くひまわり。

 蝉の鳴く声。

 三百六十度、どこを見ても山、山、山。

 都会ではなかなか見られない光景だ。

「来てよかったわね」

 母が、にっこりと微笑んだ。

「うん!」

 ナツキもうなずく。

「僕もそう思う」



「あら、いらっしゃい」

 古くなって傾いた家のせいで開きにくくなった引き戸を開けると、祖母が待っていてくれた。

「ひさしぶり!ばあちゃん」

 ナツキは祖母に抱きついた。

 前にここへ来たのは、いつだっただろうか。なにぶん田舎なので、なかなか足を運ぶことができない。仕事の都合で暇が作れないため、毎年お盆になると祖母から都会に来てくれるのだが、それでは悪いということで、今年はナツキ達が田舎へ出向くことになったのだ。

 一年ぶりに会った祖母は、あいかわらず小さくて、猫みたいで、真っ白に染まった髪を後ろで団子にして結んでいた。

「ねえ、ばあちゃん」

「なぁに?ナツキ」

「……元気だった?」

「そりゃもちろんねえ」

 そう言って祖母はころころ笑った。


 クスリ。


「?」

 ナツキは目を細めた。

 祖母の笑い声に混ざって、別の笑い声が聞こえた気がしたのだ。

 祖母の影を、スッとなにかが横切った―――。

 目を凝らすが、何も見えない。

 ナツキの気のせいだったのだろうか。

 クスリ、と。

 誰かが笑った気がした。


     ***


「ナツキ、ご飯よー」

 母の呼ぶ声がする。

「はーい!」

 太陽がてっぺんに昇っている。外は暑い。

 祖母がスイカを冷やしていたのを思い出した。こんな日に食べるスイカは、きっと特別においしいだろう。

 ―――えっと、台所はどこだっけ。

 廊下に出て、きょろきょろしていると、その視界に見慣れないものが映った。


 クスリ。


 子どもがいた。ナツキと同じくらいの歳の。

「あ、あの」

 子どもは首をかしげた。

 ナツキのことをじっと見つめる。そして気まぐれにふいと走り出した。

「あ、ちょっと!」

 ナツキはそれを追いかける。

 廊下を抜け、板張りの部屋へ入り、その奥の畳の部屋まで一気に駆け抜けた。

 変な話だが、ナツキはなぜ自分が子どもを追いかけているのか、わからなかった。

 自分と同じくらいの歳だったのが気になったのかもしれないし、なぜこんなところに子どもがいるのか不思議だったのかもしれない。それとも。

 それとも―――

 ナツキは唾を飲み込んだ。


 それとも、その子どもの雰囲気が浮世離れしていて不思議だったから、惹かれたのかもしれない。


「ちょっと、待って!」

 ナツキの手が、子どもをつかむ。

 子どもが振り返った。

 ナツキは肩で息をしながら、子どもを見た。

「やっと……つかまえた………」

 子どもの表情は、まったく変わっていない。あれだけ走ったというのに、汗ひとつかかずに涼しい顔をしている。

 小豆色をした着物は、近くで見ると甚平だった。

 それにしても変わった子どもである。おかっぱに切りそろえられた黒の髪を後ろで無造作に束ねている。その間から覗く小さな顔は、奥ゆかしさを備えた純日本人を想像させた。いまどき、ここまで日本人然とした子どもがいるだろうか。

 ゆっくりと息を整えてから、ナツキは口を開いた。

「あの、君……」

「似てるな」

 子どもがつぶやいた。

「え?」

「あんた、ヨネに似てる」

 ナツキのつかむ手が緩んだ一瞬の隙を突いて、子どもは駆け出した。

「あ!」

 ナツキはあわてて捕まえようとしたが、子どもの逃げ足が速く、すぐにあきらめた。


「おやおや、どこにいるのかと思えば……」


 祖母の声がして、ナツキは、はっと顔を上げた。

 祖母はにこにこと笑いながら、こちらへ近づいてくる。

「ばあちゃん」

「ほら、母さんが怒っているよ。呼んだのに、ご飯を食べに来ないって」

 祖母はあいかわらずにこにこしている。

 そんな祖母の横顔を見て、ナツキは訊いた。

「……ねえ、ばあちゃん」

「なぁに」

 ナツキは畳をじっとみつめた。

「この辺に、僕と同じくらいの子って、いる?」

「この辺には若い子はいないよ。……どうかしたのかい?」

「……うん」

 ナツキは先ほど見た、不思議な子どもについて話した。


 話を聞き終わると、祖母はころころと笑った。

「ナツキ、それは座敷わらしだよ」

「座敷わらし?」

「ああ。しかしナツキは運がいいねえ。座敷わらしなんてそうそう見えるものじゃないよ」

 祖母はころころ笑う。その笑顔を、ナツキはあの子どもの顔と重ねた。


     ***


 その夜、ナツキはなかなか眠れなかった。

 昼間のことが、頭から離れない。なぜかはわからないが、もう一度あの子どもに会いたかった。

 外では、夏虫が鳴いている。眠りを邪魔することのない、静かな声だ。

 しかしナツキには、その声がいやに大きく聞こえた。

 天井を見つめる。この家は築何年なのだろうか。まだ風呂が五右衛門式だったから、相当古い。かろうじて電気とガスは通っているものの、このぶんだと大正時代から建っていたってなんの不思議も無い。

 そんなことを考えながら天井を見ていたナツキの視界を何かがさえぎった。

「どうも」

「!」

 ナツキは思わず跳ね起きた。


 ごつん!


 頭と頭がぶつかる音がした。

「うわ!」

「痛ってぇ!」

 ナツキは頭を押さえながら、ゆっくりと目を開ける。

 ぼんやりとした視界に、おかっぱ頭が映った。

 それはやがて鮮明に、くっきりとその姿をとらえる。

「君は―――!」

「うん、どうも」

 昼間に見たその子どもは、軽く片手をあげた。

「まさかまだ起きてるとは思わなかったけど。夜行性なの?あんた」

「あ、あのさ、君!」

 ナツキは子どもの声など聞いてはいなかった。身を乗り出し、興味津々にたずねる。

「君、座敷わらしって、本当?」

「……」

 子どもは呆気にとられたような顔で、ナツキを見ていた。

 ぱちくりとまばたきをした後、その肩が小刻みに震えだす。

「―――は」

 子どもから声が漏れた。

 ナツキは心配になり、子どもの顔を覗き込む。

 震えはだんだん大きくなっていき、子どもは最後には腹を抱えて笑いだした。

「ハハハハハッ、ハハッ、―――ああ、おかしい」

 ひとしきり笑った後、子どもはぴたりと笑うのをやめた。

 鋭い目で、たずねる。

「誰から聞いた」

「え?」

「俺が座敷わらしだってこと」

 ドクン。

 ああ、やっぱり座敷わらしだったんだ。

 納得するとともに、ナツキの胸に少しばかり不安が芽生えた。

 目の前にいる妖怪は、本当にいい奴なんだろうか。もしかしたら自分は、訊いてはいけないことを訊いてしまったのかもしれない。

 だけど。

 ナツキは、こたえた。

「ばあちゃんだよ」

「ばあちゃん?」

 オウム返しに訊く座敷わらしに、ナツキはうなずく。

「うん。僕のばあちゃん」

 座敷わらしが探るようにナツキを見た。

「本当か」

「うん」

 ナツキの目に嘘が無いのを見て取ると、座敷わらしはふうっと息を吐き出した。

「それにしても、あんたホント、ヨネに似てるよな。アイツの若い頃にそっくりだ」

「ヨネ?」

 ナツキは首をかしげる。座敷わらしはそれを聞き流す。

「あんた、よく女顔って言われないか?」

「え?」

 ナツキは一瞬きょとんとしたあと、考える素振りをみせた。

「言われたことないけど……あ、でも、駅員の人に女の子と間違えられたことならあるよ」

 ははっと座敷わらしが笑う。

「それは傑作だな」

 その後、二人はいろいろ話した。

 誰が聞いてもどうでもいいような話ばかりだったが、二人はそれなりに楽しかった。



 朝になった。

 小鳥の鳴く声がする。

 母のうるさい声がする。

「ナツキ、起きなさい。今、何時だと思ってるの」

「……ん」

 ナツキは寝返りを打った。

「あと五分……」

「さっきもそう言ったでしょ!」

 布団を剥がされ、無理やり起こされた。

 ナツキはぶつぶつ言いながら、台所へ向かう。

 台所には、祖母がいた。

「ああ、ナツキ。おはよう。遅かったねえ」

 にこにこと笑いながら、お茶をすする。

 ナツキは祖母の隣に座り、用意してあった朝ごはんを食べ始めた。

「ねえ、ばあちゃん」

「なんだい、ナツキ」

「ばあちゃんは、座敷わらしみたいな……妖怪とか信じる?」

 孫の質問に、祖母は目を丸くしたようだった。

 しかし、

「ああ、信じるよ」

 ころころ笑った。心の底から信じているような声だった。



 田舎というのは飽きない。

 少し歩けば小川があり、魚がいる。

 空を見上げれば鳥が気持ちよさそうに飛んでいる。

 地面を見ると、都会で見るより少しばかり大きい蟻が、せっせと働いていた。

 夕方。

 遊びつかれて縁側で寝転んでいたナツキに、祖母が言った。

「わたしもね、一回だけ見たことがあるんだよ」

「?」

「座敷わらし」

 ナツキは起き上がった。

「本当?」

「ああ、本当さ」

 遠い目をして、言う。

「あいにく話はできなかったけどねえ。でも、その日から、ときどきチラッと髪の毛とか、着物の裾とかが見えるようになったんだ。微笑みかけると、逃げていってしまうんだけどねえ」

 祖母の声は、とても楽しそうだった。

 ナツキも、楽しそうにその話を聞いていた。


「こっち来て。もう大丈夫」

 祖母が自室に戻ったあと、ナツキは茂みに向かって呼びかけた。

 茂みから、座敷わらしが顔を覗かせる。

「本当にいないか?」

「いないよ。用心深いなあ」

 言ってから、祖母に聞いた話を思い出し、たずねる。

「ねえ、君さ。ばあちゃんに会ったことあるの?」

 座敷わらしはきょとん、として言った。

「あるけど……気付いてなかったのか?」

「え?」

 座敷わらしはため息をついた。

「あんた、鈍感だな」

「?」

 まあいいや、とつぶやいて、座敷わらしはナツキの隣に座る。

 西の空はまだ明るい。だが体を撫でる風は冷たかった。

「夜だな」

 座敷わらしがつぶやいた。

「うん。夜だね」

 ナツキもうなずいた。

 座敷わらしは、ナツキを見て苦笑すると、立ち上がった。

「行くか」

「え?行くって」

 座敷わらしは微笑んだ。


「妖怪の道を、散歩に」


     ***


「え、ちょっと、待ってよ!」

 座敷わらしはナツキの腕をつかみ、どんどん森の奥へと入っていく。

 西の空の太陽は、ほとんど沈みかけていた。

 道は、細い。

 身体中に草や木の枝が当たって痛かった。

「ちょっと待ってってば!何も言わずに抜け出したら、母さんが心配するから!」

「大丈夫だよ」

 座敷わらしが笑う。

「あんたのおばあちゃんが何とかするって」

 その根拠のない自信がこわい。

 ナツキは唾を飲み込んだ。

「でも」

「いいからついてきなよ。面白いもの見せてやるから」

 ふいに、道が開けた。

「痛て」

 座敷わらしが急に止まったので、ナツキはその背中にぶつかることとなる。

 身体中についた葉や枝を払いながら、その背中に文句を言おうとして。

 目を見開き、固まった。

 座敷わらしが得意げに言う。

「どうだ。綺麗だろう」


     ***


「お母さん、大変。ナツキがどこにもいないの」

 できるだけ冷静に言ったつもりだったが、どうしても声がうわずってしまう。

 ナツキがいないことに気付いたのは、夕飯に呼びに行ったときだった。はじめは虫取りにでも行っているのかと思ったが、母に話しを聞くと、つい先ほどまで一緒にいたと言うではないか。

「ねえ、お母さん!」

 外はもう暗い。

 迷子ならまだいいが、もし誘拐されたのだとしたら。

「……どうしよう」

 そう思うと、とても不安だった。

 母のころころと笑う声が聞こえる。

「こんな山奥じゃあ、滅多に誘拐なんて話聞かないよ。なんせここは老いぼればかりだからねえ。……でも、もしかしたら」

 ふいに母の声が、真剣さを帯びた。


「もしかしたら、神隠しかもしれないねえ」


     ***


「な、面白いだろう?」

 座敷わらしが笑って言う。

 ナツキはうなずいた。

 森の奥の開けた場所に、たくさんの火の玉が浮かんでいた。

 赤、青、黄色、緑。とにかく、たくさんの色。

 それぞれがまるで意思を持つかのように、浮かんでは沈み、浮かんでは沈み。

 回転したり、地面を滑ったり。

 少し高く飛んでみたり、勢いあまって地面に埋まってしまったり。

 まるで踊っているようにも見えた。

「……すごい」

 ナツキは思わずつぶやいた。

 座敷わらしが説明する。

「今はお盆だろ?だから、この地で死んだ物の怪の霊が、こうやって里帰りに来るんだ」

「へえ……」

 ナツキはその光景に、目を奪われていた。

 座敷わらしも、目を細めて踊る魂たちを見ていた。

「なんだ、おまえも来ていたのか」

 ふいに、後ろから太い声がした。

 野太い声。二人の後ろを、大きな影が覆いかぶさる。

 座敷わらしは振り返った。

「ああ、大坊主か。ひさしぶりだな」

「ひさしぶりだ。ところでおまえ、またここに人の子をつれこんだのか」

 ナツキの肩が、びくっと震える。

 その肩に、座敷わらしは手を置いた。

「またってなんだよ。前につれてきたのは、五十年前。しかもまだ二人目だ。前につれてきた子は、もうとっくにばあさんだよ」

「もうばあさんとは……人の子の時間は短いな」

 大坊主は納得したようにうなずく。

 その横から、鮮やかな赤の着物を羽織った女がひょこっとでてきた。

「何の話をしてるんだい?あたしもまぜておくれよ」

「華連」

 座敷わらしがため息をついた。

 それを見て、華連が目を丸くする。

「おやまあ。こいつはめずらしい。座敷わらしじゃないか」

「どれ、座敷わらしとな」

「おや、人の子もいる」

 華連の声につられて、他の妖怪が顔を覗かせる。

 あちらの木の陰から。

 こちらの木の陰から。

 座敷わらしとナツキはあっという間に囲まれた。

「人気者なんだね」

 ナツキが笑った。

「そうでもないさ」

 座敷わらしが踊る火に目を向ける。

「みんな、里帰りしてきたご先祖様を見るために集まったんだ」

 火の玉は、踊る。

 まるで誘うように。

 ここで暮らす物の怪たちを、誘うように。

「どれ、あたしも」

 そんな火の玉の中に、華連が飛び込んだ。

「あ」

 ナツキはつぶやいた。だがナツキの心配の必要もなく、火の玉たちは、優しく華連を迎え入れた。

「お、ではおれも」

 大坊主も輪の中に飛び込んだ。

 それを合図としたかのように、次から次へと妖怪たちが火の玉の中へ飛び込んでいく。

「わたしも」

「では、わらわも」

「おれも!」

 ナツキはその光景を、盆踊りのようだと思った。

 まるで人間が霊を供養するために行う、盆踊りのようだと。

「では、俺も」

 座敷わらしがナツキに微笑みかけて、火の玉の中に飛び込む。

 妖怪の盆踊りに参加していないのは、ついにナツキだけとなった。

 ナツキはどうしようかと戸惑う。

 そこに、手が差し伸ばされた。

 顔をあげる。

「何やってるんだい。一緒に踊りなよ、ぼうや」

 華連だった。

 ナツキは戸惑いながらもうなずくと、その手を取った。


 その日、妖怪たちとひとりの人間は、妖怪の魂とともに、一晩中踊り明かした。


     ***


「おはよ~」

 次の日の朝。

 ナツキが台所に行くと、母が持っていた茶碗を取り落とした。

 それを見て、祖母がころころと笑う。

「ほら、だから言ったろ?神隠しだって」

「で、でも……」

 ナツキは首をかしげる。

「どうしたの?母さん」

 母は落とした茶碗を拾いもせず、口をぱくぱくさせている。

「息子が神隠しにあったもんで、驚いているんだよ」

 そう言って祖母は、ナツキに目配せした。


     ***


「お世話になりましたー」

 母が祖母に頭を下げる。

 ここにきて、三日目の朝。ナツキたちは都会に帰る予定だった。

「気が向いたらいつでもいらっしゃい」

 祖母が母に微笑みかける。

 母は最期にお礼を言って、車に乗り込んだ。

 祖母の目が、ナツキに移る。

 祖母はナツキを手招きして、いたずらでもするかのように、こっそりと耳打ちした。

「盆踊りは楽しめたかい?」

 ナツキの目が、ゆっくりと見開かれる。

 その様を、祖母は楽しそうに見ていた。


 クスリ。


 誰かが笑った気がした。


     ***


 夢で片付けてしまえば、それだけの話。

 でもそれは、確かな夏の思い出。

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