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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

宗盛記 二次創作SS置場

この時歴史が動いた

作者: バカラ
掲載日:2026/02/02

常磐林蔵様が連載されている「宗盛記」の二次創SSです。

楽しむには「宗盛記」の知識が必須となります。

「読んでおいてほしい本編の話数」は下記となります。チェックいただければ幸いです。

宗盛記0066 平治元年十二月 一本御書所

宗盛記0085 永暦元年十二月


元々「宗盛記0085 永暦元年十二月」の感想欄への書き込みしたものの書き直しです。

「宗盛記0085 永暦元年十二月」を読んだ憤りで、勢いで書いたので、かなり荒いですが、ご了承ください。


この話はエンディングが肝です。事前に某番組のエンディングテーマを聴いていただき、脳内再生いただけると、嬉しいです。


司会者の名前は誤字ではありませんが、あの方の声をイメージして書いております。

こんばんは、司会の平定知です。

今夜の歴史が動いたは、平安時代の最後を彩る三人を取り上げて2時間の拡大版としてお送りします。


一人目は『最後の院』こと後白河上皇。

二人目は初めて武家政権を確立した平宗盛。

そして、三人目は、この二人に愛された建春門院こと平滋子です。


まずは、『最後の院』こと後白河上皇です。もちろん以降も譲位されて上皇、法皇となられた方はいらっしゃいますが、院政をしいた最後の上皇であるため『最後の院』と呼ばれています。

では、この時の直前、平治の乱までの軌跡をご覧ください。

〜再現映像〜


この様に、近臣であっても使い潰す行動を取ってきたことが、最後の破滅に繋がったのだと指摘されています。


続いて、平宗盛と平滋子です。

後に鎮西大将軍として武家政権を確立した宗盛ですが、平治の乱までは目立った存在ではなく、『うつけ』と評されることもあったとのことです。

しかし、後の異名『工夫(くふう)将軍』の片鱗はすでに発揮されておりました。母の弟、平時忠の屋敷をしばしば訪れ、同居していた五姉妹に、今でも京土産として著名な苺襲、柿襲などの和菓子、犬張り子、雛人形などの玩具などを手土産としております。

この五姉妹の中の一人が、今日の三人目の主人公、平滋子です。

では、平治の乱の直前までのエピソードを再現映像でご覧ください。

〜幼少期の再現映像〜


宗盛、滋子、そして滋子の妹であり宗盛の妻となった清子のエピソードをご覧いただきました。

幼馴染として思いを育んできた二人と、それを暖かく見つめる滋子。

しかし、ここで宗盛の評価を大きく変える事件が起こります。平治の乱です。

〜平治の乱の説明映像〜


平治の乱では平家側に大きく天秤を傾けた『清盛の熊野大返し』が有名ですが、その立役者が宗盛です。

清盛の『落ちると言ったら?』の問いに、『『父上はゆるりと戻られるので、先に攻めましょう。』と重盛兄に伝えます。』と返した逸話は有名です。

京に戻った宗盛ですが、かねてより準備の六波羅要塞化の後に、ある行動をとります。

『宗盛大内裏入り』と『滋子姫道行』です。

この有名なエピソードを歌舞伎の宗盛平治記よりご覧ください。

〜歌舞伎抜粋映像〜


いかがでしたでしょうか。

なお、道行の際に、後白河上皇と源頼朝が覗き見している場面がありますが、これは創作であり、実際はそのような事実はなかったようです。

しかし、滋子が仕えていた上西門院の日記に、乱の後に滋子をからかった記述があり、この時から滋子の心境に変化があったことがうかがわれます。


乱の後、国司として伊豆入りした宗盛ですが、後にこの行動を大変悔やんでいます。

伊豆入りのわずか2年の間に、『義平襲撃撃退、為朝叛乱鎮圧による武名向上』、『伊豆の殖産興業と要塞化』、『狩野、伊東、大庭、土肥など在地豪族の家人化』、『坂東武者、特に上総、千葉、佐竹、那須、畠山との関係確保』、『伊勢神宮、三嶋大社、修験者集団など宗教団体との関係強化』を成し遂げています。研究者の間では、『もし伊豆入りが無ければ平家による武家政権はなかったかも知れない』とも言われる伊豆入りですが、伊豆入りよりも滋子を重視する発言をたびたび近臣に漏らしています。


そして皆さん、いよいよ今日のこの時がやってまいります。

伊豆入りの1年後、年末のエピソードです。

再現映像でご覧ください。

〜宗盛号泣のシーン〜


この後、宗盛は反後白河を貫きます。

また、それまで見られていた甘さが影を潜めます。

後年の頼朝の乱の際、壇ノ浦の戦いにて、頼朝の逃亡を確実に阻止するために水夫を狙わせたエピソードに代表される非情さは、これ以降のものです。


頼朝の乱終結の後、宗盛は後白河上皇を伊豆大島に流します。

その後の後白河上皇の様子は、三原山噴火により記録が焼失してしまい定かではありません。

付き物が落ちた様に心静かに暮らしたとも、宗盛を呪詛し続け、最後は三原山の火口に身を投げたとも言われています。


今夜は、院政から武家政権に移る歴史の転換点に関わった二人と、二人に愛された女性についてお送りしました。

今夜もご覧頂きありがとうございました。


エンディングテーマ


ナレーション

京都六波羅。

ここに建春門院こと滋子の屋敷跡があります。

今は寺となっている屋敷跡ですが、当時の風呂や厠の遺構が残っています。

後白河上皇配流の後、滋子はここに移り住みました。

清子をはじめとする姉妹が足繁く通ったことが、滋子の日記に残っています。

日記には、三郎の名も書かれていますが、必ず姉妹が同席しており、静かにお茶を楽しんだとされています。


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