終わりの音
風が止まった。
ほんの一瞬のことだった。
けれど、永遠の始まりのように思えた。
空の色が、わずかに変わる。
灰を溶かしたような白が、静かに滲み出していく。
遠くの街で、光がひとつ、花のように咲いた。
音はない。
ただ、世界がその光を受け入れているのが見えた。
君が振り向く。
その瞬間、時間が軋み、世界の輪郭が揺らぐ。
空気の層が波のように震え、風景がゆっくりと折り畳まれていく。
君の唇が、何かを言おうと動いた。
けれど、声は出ない。
音が消えたのではない。
音が、意味を失ったのだ。
私たちはただ、見つめ合う。
それだけで、言葉はいらなかった。
指先が触れる。
そのわずかな接触に、世界が微かに揺れる。
温もりが伝わる。
皮膚の下の鼓動が、重なり、ほどける。
空は白に染まり、地平が溶けていく。
すべてが柔らかく、遠くなる。
君の髪が光に透け、頬を撫でた。
その瞬間、時間が途切れた。
息を吸う。
冷たくも、熱くもない。
ただ透明な空気が、肺を満たす。
呼吸のたびに、身体の輪郭が少しずつ消えていく。
君のまつ毛が震える。
その微かな動きが、永遠のように遅い。
私は、その瞬間のすべてを目に焼きつける。
やがて光が世界を満たしはじめる。
地面が柔らかく崩れ、影が薄れる。
君の輪郭が溶け、指先から淡く散っていく。
掴もうとした手が、わずかに届く。
それでも、確かに触れた。
重さはなかった。けれど、それがすべてだった。
光が呼吸する。
世界が息を吐くように、空気が震える。
音はなく、ただ光だけがあった。
君の瞳に、私が映っている。
空も、街も、過去もなく、
ただ、二人の輪郭だけ。
唇が動く。
声は届かない。
それでも分かる。
――「ここにいる」
その意味が胸の奥で弾けた瞬間、
世界は完全に白へと変わった。
音が消え、痛みが消え、重力がほどける。
それでも、君の手の感触だけは残っていた。
白光の底で、まだ繋がっている。
境界は消え、呼吸と呼吸が溶け合う。
どちらの鼓動か、もう分からない。
世界は、静かに息を引き取る。
そして、二人の呼吸がそのまま残る。
白い風が通り抜けていく。
それが、最後の音だった。




