紗奈と冬将軍
香りの精霊、紗奈は、天を支配する天の御中主の神、生命を司る高御産霊の神、すべての自然界を養う神産巣日神の3神から使命を受け、恐ろしいと噂される冬将軍を諭しに向かう。
第二章 「紗奈と冬将軍」
第2章
紗奈はすっかり仲良しになった月の女王と話し込んだり、香りのお茶を飲んだり、星たちの合唱に参加したりで忙しく遊んでいた。
その頃、地では大変なことが起きて3神を悩ませていた。
冷血で、頑固、何か気に触るとすべてのものを凍らせて、草木が死に絶え、精霊たちも近寄らない氷の世界になってしまうと言う将軍。精霊たちは、恐ろしい将軍の事を冬将軍と呼んで怖がっていた。
その冬将軍がお姉様である春の女神と季節の分け目の事で喧嘩をして大地を氷で覆ってしまった。
3神は、凍りついてから1万5千年になる大地が不毛の地になってしまう事を心配して再び集い、思案した。
「草木の種が限界よのう」と天の神
「今溶ければ地の最中にあるものが、かろうじて芽を出すのじゃが」と命の神
風の神も仲裁はしたものの、やんちゃで言う事を聞かない冬将軍に頭を抱えてしまった。
天の神は厳かに言った。
「女王の心をほぐした香りの精霊――あの者ならば、冬将軍の氷をも溶かせるやもしれぬ。」
命の神もうなずき、
「春の芽吹きを取り戻すには、あの者の澄んだ心が必要じゃ。」
風の神はひげを撫でて笑い、
「よし、また紗奈を呼ぶとしよう。どうせ今ごろは星々と遊んでおるに違いないわい。」
その声が天に響いたそのとき――
星の合唱の輪の中で、紗奈はひときわ高く飛び跳ねていた。
「女王さま、こちらにおいでになって!こっちこっち!」
星明かりをまといながら踊る紗奈の背に、ふいに清らかな風となって吹き抜けた。
――3神からのお召しであるーー
紗奈はぴたりと動きを止めると、心の中でつぶやいた。
(えっ、私? あ、あの〜もう少し月の女王様と遊んでいたい……)
けれどすぐに考え直し、瞳を輝かせ、胸に手を当てて言った。
「小さな私をお召しくださるのですもの!すぐ参ります!」
こうして紗奈は再び、3神のもとへと遣わされたのであった。
紗奈は、いつものように跪き手で3角を作ってそこに頭を乗せ、深く身をかがめて神々への礼をした。
3神は、紗奈を迎えると静かに語りはじめた。
天の神が口を開いた。
「冬の将を名乗る氷輝――彼は、わしらの手にも負えぬ存在となった。」
命の神は深く息をつき、
「氷の力は強大にして、大地を一万五千年もの間、眠りにつかせておる。
このままでは芽吹くはずの命が絶え果てる……」
風の神が眉をひそめて続けた。
「わしも説得を試みたが、聞く耳を持たぬ。」
紗奈は身をかがめたまま申し上げた。
「恐ろしい怪物なのですね!?」
3神は互いに顔を見合わせ、静かにうなずいた。
「そうじゃ。恐ろしきは氷の力。
だが彼はまだ若く、心は定まらぬ。孤独と誇りに閉ざされ、己を見失っておるのだ。」
紗奈は胸に手を当て、小さく息をのんだ。
「……孤独……」
天の神の声が響く。
「紗奈よ。女王の心をほぐしたその思いやりの心で、氷輝の心をも解き放っておくれ。」
命の神が続ける。
「芽吹きの季節を迎えるには、そなたの優しき心が欠かせぬ。」
風の神がにやりと笑った。
「怖いかもしれんが、そなたの強い願いがあれば必ずできる。あとは香りと……ちょっぴりの勇気じゃ。」
紗奈はぎゅっと拳を握り、うなずいた。
「……はいっ! わたし、行ってきます!」
3神のもとで話を聞き、紗奈は青ざめていた。
「月の女王様や星たちと遊んでいたら、いつの間にか1万5千年も過ぎていたのね。
それにしても氷輝様って怒ると全部凍らせちゃうのね〜。
恐ろしい力だよー。みんなが冬将軍って呼んでたもん。」
紗奈は、飛びながら言った。
天の神様たちのおっしゃることには、大地には花の香りがないのだわ。月の女王様にあげた香りの中から少し頂くことにしよう。
「・・・と言う訳なのでございます。恐れ入りますが、女王様の香りの中から少しずつ頂いて私がブレンドした物を氷輝様に持って行っても宜しいでしょうか。」
「もちろん!遠慮なく持ってお行き。たくさんの香りを持って来てくれたのは紗奈、そなたではないか。おのこが喜びそうな香りを作るが良い。」
「はい!ありがとうございます。」
紗奈は、カーテシーで礼を尽くした。
(おのこが喜ぶ香り。ローズマリーは心身の健康に、ストレス軽減のロシアンセージ、ちょっぴり甘い香りのパイナップルミント、日本薄荷(^^)これは日本のミント、1番薬効があると言われている。
どうか将軍様に効いてくれ!)
紗奈は願いを込めて香りを小瓶に詰めた。
そうだ!将軍に藍で染めた絹を使って手巾(ハンカチ)も作ろう。
藍は傷を治すと言う。これが将軍にあるかもしれない心の傷を治しますように。みんな力を合わせておくれ!
祈りを込めた香りの小瓶と、藍染めの手巾を持って
使命を託された紗奈は、大きく深呼吸してから大地へ向かった。
そこに現れたのは――全身を氷の鎧で覆った恐ろしい冬将軍。
……と思いきや。
氷の隙間から覗いた顔は、まだ幼い少年だった!
怒りと苛立ちで心を閉ざしているだけの、年若い瞳。
その澄んだ瞳の奥は、なんだか少し寂しげだった。
紗奈は息をのむ。
(……全然、思ってたのと違う)
そう思いながら慌てて跪き両手を胸の所でクロスした。
「あの、将軍様。ご挨拶申し上げます。」
「だれだ!」
「わ、わたくしは、紗奈と申します。」
「何の用だ!」
「あの、その、この度ここに参りましたのは、私の生業の事で相談したく、その、あの、どうぞこれをお受け取りくださいませ!」
紗奈は、緊張してなのか寒さのせいなのか、ブルブル震えながら香りの小瓶を差し出した。
「こ、こ、これが私の生業でございます。」
「生業の事でこの俺様に相談に参ったとな?」と言いながら差し出された香りの小瓶を手に取った。
「瓶の中は香りでございます。」
紗奈がそう説明すると瓶を鼻の近くに持っていき、手で扇いだ。
「何だ!この匂いは! まあいい香りではあるな。」
まるで生意気な少年という感じの声。
「あ、ありがとうございます。このような草木の香りを集めて元気や癒しを配るのが私の生業でございます。」
「それから、これをお取りくださいませ。藍で染めた手巾にございます。植物の葉から色を頂いて染めた布が傷を治します。」
「おー、聞いたことはあるが初めて見たぞ!深く美しい藍色だな。」
そう言って将軍は物珍しそうに藍染めの手巾を裏表に返しながら眺めた。
この少年の放つ強いオーラが紗奈を恐れさせ、氷の冷たさが紗奈の体から感覚を奪って行った。
そして、いつしか紗奈は気を失ってしまった。
(冷たく恐ろしい冬将軍)薄れる意識の中に自分の声が響いた
氷輝は、崩れ落ちた紗奈を見て「ふん!意気地のない奴が。相談するどころか寝てしまったぞ!放っておいても良いが、この香りが気になる。もう少し話を聞いてやるとするか。」
そう言って侍従頭を呼んだ。
「部屋に連れて行って温めよ!目覚めたら知らせるのを忘れるな!」
侍従頭は小さい紗奈を見て微笑んだ。
「この方が月の女王様をすっかり変えられたと言う紗奈様ですね。氷輝様が、寒さで倒れたものを救おうとされるのは初めてですよ。」
囁くようにそう言いながら大事そうに抱え、温めた部屋に寝かせるのだった。
紗奈が目を覚ますと、氷の透き通る天井の下、水色の布に包まれていた。
寝台の隅には氷輝が腕を組んで座っている。
「……おっ! やっと起きたか。」
氷輝は、小さくいたいけな紗奈が目覚めるのを待ちきれず、寝台に腰掛けて眺めていた。
紗奈は、同じ寝台に座っている氷輝を見て驚き、ぱちぱちと瞬きをしたが、
その時、彼の瞳が、自分を射抜くように厳しいのに、どこか深い湖の底のような寂しさを湛えていることを見逃さなかった。
(……この人、怖い顔してるけど、心は寒いまま凍ってしまってるのね……)
紗奈は小さく息をつき、
「ご心配をおかけして、すみませんでした。」と頭を下げた。
氷輝は鼻で笑った。
「ふん、心配などするものか! お前が勝手に倒れただけだ。ここで死なれても困る。」
そして、イタズラな目をして言った。
「……それより。お前の言う“香りの力”とやら、本当に俺に効くのか?
もし効かぬなら――そのときは氷漬けにしてやるぞ!」
紗奈は肩をすくめ、
「おお!こわ!」 とわざとらしく言った。
「な、何!?おれをからかっているのか!」氷輝がガタッと立ち上がる。
けれどその怒りの奥に、やっぱり拗ねた少年の気配があって――
紗奈はその眼差しから、彼の寂しさを確かに感じ取った。
氷輝は腕を組みながら紗奈を見下ろしていた。
「……俺の世界を見せてやる。ついて来い。」
紗奈は目を丸くした。
「氷の世界……?」
氷輝は、ぶっきらぼうに言い放つ。
「だが……お前はさっき、寒さに耐えられず倒れた。
また同じことになるのなら、無駄だ。」
紗奈はとっさに彼を見た。
その瞳の奥にあるのは、冷酷さではなく――「また倒れて傷ついたらどうしよう」という、不器用な心配だった。
「……将軍様。」
紗奈は小さく微笑んで言った。
「大丈夫です。今度は、女王様からいただいた香りで完全装備しますから。」
氷輝はわずかに目を見開いた。
そして、ふいにマントを翻す。
「ふん、置いていかれても泣くなよ!」
その背に、紗奈は小声でつぶやいた。
「……やっぱり優しい人だ。」
氷の世界へと連れ出した氷輝は、腕を組み威張っていた。
「ここがお前の知らぬ俺の領土だ。精霊も恐れて近づかん。」
けれど、紗奈が
「わぁ……キラキラしてる!氷のお城ね!なんてステキでしょう!」
と目を輝かせると、氷輝の口元がほんの少しゆるむ。
(……そんな風に言われたのは、初めてだ)
歩きながら、氷輝が不意に雪を手で固め、ぽんと投げた。
紗奈の足元にコロンと転がった雪玉。
「えっ、なにこれ?」と拾い上げた紗奈は、イタズラっぽく笑って氷輝に向かって思い切り投げ返した。
「えいっ!」
「なっ……!?」
顔に当たった雪玉に氷輝が目を白黒させる。
紗奈は舌をぺろりと出して、小さな雪玉を丸める。
「将軍様、反撃しないんですか?」
「……お、お前……!」
氷輝は真っ赤になりながら大きな雪玉をつくり、投げ返す。
氷の世界に響く、子どものような笑い声。
それは、長い孤独のあいだ誰にも見せたことのない、氷輝の無邪気な素顔だった。
紗奈はそれらの全てを全身で受け止めた。
息を切らして氷の階段に腰掛けた二人。
氷の結晶が一粒また一粒光を反射して、やがて多くのダイヤモンドダストになってきらめいている。
紗奈は肩で息をしながら、ちらりと氷輝の横顔を見つめる。
頬は赤くなり、さっきまでの威張った表情は消えていた。
(……やっぱり普通の男の子なんだ)
しばらく沈黙が続いたあと、紗奈はぽつりと言った。
「……将軍様。ほんとは、ずっと寂しかったんでしょう?」
氷輝の肩がびくりと震える。
「なっ……!?」
振り向きざまに否定する氷輝
「ち、違う! 俺は……俺は将軍だ!召使いが大勢いる。寂しいなんて……!」
氷輝は言葉を詰まらせた。
紗奈はそんな彼に、そっと微笑みかける。
「強い人ほど、寂しさを隠すのが上手なんですよ。」
氷輝の心に痛みのような何かが走る。
「……うっ! 黙れ! お前に何がわかる!」
怒鳴り声が氷の壁に反響し、ぱきん、と氷柱がはじけ散った。
「俺は……俺は四人兄弟の末だ!兄たちは皆、親に認められて……
父上と母上はアンドロメダの新星の仕事で滅多に帰らぬ!
出発した時、俺はまだ産み出されたばかりで誰も俺のことなど見向きもしなかった!」
その吐き出す言葉は、刃のように鋭かった。
けれど同時に涙のように熱かった。
紗奈は両手を胸に当た。
「……そうだったんですね……将軍様。」
その大きな瞳は氷輝の表情を逃さなかった。
(……強がっているのもプライドの高さも、反抗も、全部その裏返しなのね……)
紗奈は小さな体を一層小さくして震えた。
「ふん! やっぱりお前も俺を恐れるか!」
紗奈は小さく首を振り、心の中でつぶやいた。
(恐れてなんかいないわ。あなたの心の声が、ちゃんと聞こえているもの……)
氷輝の怒り声が氷の宮殿を震わせた。
「誰も!誰も俺を見てはくれなかった!
俺がどれほど強くなっても、兄たちの影に隠れるばかりだった!」
紗奈は大げさに両手を結んで、瞳を潤ませて言った。
「おお……なんとお辛いお心の内でしょう!
将軍様……その責務も、この深き孤独も……すべてを背負ってこられたのですね!」
氷輝は一瞬、言葉を失った。
(……な、何だ? 俺を恐れていると思ったのに……)
紗奈はうなずいた。
「確かに、私のような小さき者には到底わからぬ苦しみでございます。
けれど……その想いを打ち明けてくださったのは、私を信じてくださったからに違いありません。」
「……勝手にそう思っていろ。」
けれど、声の棘は少しずつ和らいでいた。
紗奈はさらに静かに言葉を重ねる。
「将軍様のお怒りは、強さの証です。
それほどまでに心を燃やせる方だからこそ、きっと誰よりも大切にしたいものがあるはず……」
氷輝は口を閉ざし、視線を逸らした。
長い沈黙の後、彼の肩から力が抜ける。
「……お前、変なやつだな。」
氷輝はまだ顔を背けたまま、低くつぶやいた。
「……どうせ、お前にはわからん。俺の心なんて……」
紗奈は静かに首を振った。
「いいえ、少しわかります。」
氷輝が怪訝そうに目を向ける。
紗奈は笑みを浮かべながら、遠い記憶を語り始めた。
「私には……物心ついた時から、親も兄弟もいませんでした。
気づいたら、ひとりぼっちで……
でも、寂しいと声にしても誰も答えてはくれない。
だから、香りと花の声に耳を澄ませて過ごしてきたのです。」
氷輝の瞳がかすかに揺れる。
「私に香りを教えてくださった師匠、花の精霊……その方だけが、家族のように思えました。
香りを振りまくと、誰かが喜んでくれるから……香りの力で癒すのが、私の生業になったのです。」
言葉は穏やかだったが、その瞳には孤独を受け入れた小さきものの強さがあった。
氷輝はしばらく黙っていたが、やがて小さくつぶやいた。
「……お前も、ひとりだったのか。」
紗奈はうなずいてから氷輝の目をまっすぐに見つめ言った。
「はい。……将軍様。あなたがどれほど心を強くして孤独に戦ってきたか……少しだけ、わかる気がします。」
氷輝は腕を組んだまま、何も言わない。
その沈黙を受け止めながら、紗奈は静かに言葉を重ねた。
「けれど――将軍様は、もうお一人ではありません。
この大地には、芽吹きを待つ草木や、たくさんの精霊たちがいます。
彼らの命を、命の巡りを守るのは……他ならぬ、将軍様のお力なのです。」
氷輝の眉がぴくりと動く。
紗奈はにっこり微笑み、ほんの少しお茶目に首をかしげた。
「強い将軍様も素敵です。……そして、世界を思い、精霊たちを思いやる将軍様は、もっと素敵だと思います。」
氷輝は息をのんだ。
胸の奥に、誰にも言われたことのない響きが残る。
「……俺が命の巡りを?……精霊たちを……?」
そしてまた、氷輝はしばし黙った。
紗奈の言葉が、胸の奥深くにしみこんでいく。
(……俺はただイラついて……皆に恐怖心を抱かせ、自分を隠していた。けれど……守るべきものが、こんなにもあったのか……)
彼はふっと息を吐き、大きく胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
冷たい氷の空気が、その身を新たに満たす。
次の瞬間――氷輝の背筋がすっと伸び、全身から溢れ出るオーラが変わった。
少年のあどけなさは影をひそめ、氷の鎧は澄んだ輝きを帯びる。
紗奈は目を見張った。
「……しょ!将軍様!……」
氷輝は静かに目を閉じてから、ゆっくりと開いたとき、現れた瞳には凛とした光が宿っていた。
「……あい分かった。
冬の眠りも、春の芽吹きも、夏の炎も、秋の実りも――すべてが巡ってこそ、この大地は生きるのだな。
そなたの生業も藍など、草木の種や多くの精霊たちも俺が守る。」
その声は、もう反抗期の拗ねた少年のものではなかった。
堂々たる将軍の声だった。
紗奈は胸の奥が熱くなるのを感じながら、深く頭を垂れた。
「はい……今のあなたなら、きっと四季を司る将軍様でいらっしゃれます。」
氷輝は少し照れくさそうに笑みを浮かべ、氷の世界に清らかな風が吹き抜けた。
「では、姉上の所に参ろう。そなたも共をせよ、紗奈。」
紗奈と冬将軍 おしまい