7
焼き払われた村の跡地についたルフィは、比較的落ち着いた気持ちで辺りを見回す。
ディアスの館の時と同じように、居心地の悪いような不安な修まりの悪さを感じるものの、あの時と違い、先程のイルの推測を聞き、ある程度心の準備が出来ていたということもある。
「どうだ?」
焼き払われた、と言っても、もう十年も前の話であり、焼け残った家屋や共同であったらしい井戸の跡は苔や蔦に覆われており、廃墟と言うよりは遺跡と言った印象を受ける。
「わからない……でも……」
村で唯一原型を留めている少し大きめの家に目を向けるルフィ。
行ってみるか、とイルに促され、その家に歩み寄り、蔦の絡まった玄関をこじ開ける。
「……私もこんな家に住んでた」
板葺きの屋根、土を固めただけの床、石組みのかまど、極々一般的な『村の家』だ。
「ここに住んでたってわけじゃないの?」
ルフィの隣で、同じように辺りを見回していたレオンの問いに、ルフィは数瞬考え込んだ後、首を振って否定する。
「違う……と思う。私が住んでいたのはこの家じゃ……この村じゃないと思うけど」
良く似た村だったと思う。小さいころ確かにこんな家に住んでいた。
「……村の近くに森があって、そこで遊んで帰ってくると、お母さんが家でご飯を用意してくれてて……お帰り。って・・・すぐにご飯にするから二人とも手を洗ってきなさい、って……」
目を閉じて少しずつ記憶を手繰り寄せるルフィの邪魔をしないように、イルは辺りを歩き回っているレオンの腕を掴んで壁際まで下がり、自分自身も押し黙ったまま、ルフィの背中を見守る。
「二人……?私ともう一人……年上の男の子……お兄ちゃん?」
はっきりとした容姿は思い出せないが、元気の良い兄と優しそうな母。
「お父さんが獲物を担いで帰ってきて、今日は大物だぞって」
そうお父さんは狩人だった。
決して裕福ではなかったけど、でも幸せなごく普通の家族、平和な村。
入り口に担いできた獲物を下ろし、父が兄妹に笑いかける。
「わぁいっ、大物だぁっ」
帰ってきた父親の周りではしゃぐ兄妹。
「こぉらっ、早く井戸で手を洗ってらっしゃい。ほら、あなたも」
母親に急かされ、父と兄妹は家の近くにある共同の井戸まで手を洗いに行く。
今度は僕も狩りに連れて行ってよ。とせがむ兄と、もっと弓が上達したらな。と笑う父の後を妹は小走りに追い駆ける。
二人の時なら妹に歩調をあわせる兄も、父親との会話に夢中で歩みが速くなり、走らなければとてもついていけない。
「もぉっ、待ってよぉっ!」
随分と先行されてしまった妹は息を切らせながら頬を膨らませて訴え、父と兄は振り返って笑いかける。
「ほぉらぁ、早く来いよ」
二人が立ち止まり待ってくれている所へと一生懸命走る。
「もぉっ二人とも歩くの速す……」
気の利かない父と兄の反省を促そうと、汗を掻いてしまった顔を精一杯膨らませて、文句を言おうとした瞬間、視界が光に包まれた。
「気がついた時にはもう……村も家も焼かれてた」
母は焼け落ちた家の下敷きになり、父は全身火傷に覆われて息絶えていた。兄の姿はなく、その生死すら定かではなかった。
生き残った数少ない村人と共に近隣の村を頼り、そこの村長に育てて貰った。
その村は身寄りのないルフィを自分たちの子供のように暖かく迎えてくれた。
家族や焼かれた村を思い出し、寂しくて悲しくて泣いてしまう時はあったが、母親代わりの村長の奥さんが優しく抱きしめてくれた。
「それから二十年……私は狩人になった」
父の跡を継ぐ。と意識していたわけではないが、父や父に弓を習っていた兄を身近に感じることができるような気がして、女の子らしくない、と苦笑いする村長に頼み込んで弓を練習させてもらった。
最初は弱目に張った弦さえ満足に引けなかったが、数年後には村の狩人について近くの村で狩りができるようになり、十年も経った頃には一人で獲物を仕留められるようになっていた。
「二年前、獲れた獲物を王都に売りに来たとき、ディアスの事を知ったの」
ディアスがルフィの村を焼き払ったと言うのも、その時初めて知った。
子供を攫う。と聞いて、行方不明の兄の事を思い出し、半ば衝動的に討伐隊に参加した。
「生きていれば、イルくらいの年齢になってるけどね」
そして、ディアスの館で悪魔の石像に全滅させられた。
「敵討ちもできず、お兄ちゃんの手掛かりすら掴めなかった」
薄っすらと思い出した両親と兄の面影に、ルフィの目頭が熱くなる。
自分の本名さえ思い出せなかったが、過ぎた日の思い出に胸が締め付けられる。
「そうか……」
イルはそう呟いたきり、掛ける言葉が見つからず、何も言えないまま肩を落とす。
レオンも神妙な面持ちで何事かを考え込んでいるのか、俯いたまま黙っている。
「ごめん、湿っぽくなっちゃったね」
目頭に溜まった涙を自分の指で拭い、ルフィが元気良く振り返る。
「もうすぐ日が落ちちゃうし、今日はこの家に泊めさせてもらいましょうか」
笑顔で振舞うルフィの気持ちに答えようと、イルも珍しく優しげな微笑を浮かべて頷いた。
その日の夜更け。
不意に目の覚めたルフィは、中々寝なおすことができず、寝返りを打った拍子にイルの姿がないのに気付き、訝しげな表情で身体を起こし辺りを見回す。
交代で番をすることにしていたから、イルが起きていること自体は不思議ではないのだが、泊まった家の中に姿がない事を疑問に思い、どこに行ったのかしら、と呟きながら、ルフィが家の外に出る。
家の前にあるちょっとした広場で、大きめの岩に座ったイルが夜空を見上げていた。
「イル?」
「ルフィ、起きたのか。交代まではまだ時間があるぞ」
イルは不思議そうに声を掛けてきたルフィを一瞥し、そう答える。
「綺麗な星空……今日は新月だったのね」
満天の星空が何者にも邪魔される事無く瞬いている。
ルフィはイルが座っている岩の傍まで歩み寄り、地面に座って、イルにもたれかかるようにしながら空を見上げる。
「……ルフィ」
「……何?」
イルの口調に幾ばくかの躊躇いを感じたルフィは、星空からイルに視線を戻す。
「ルフィは、これからどうするんだ?」
「はい?」
質問の意味を測りかねたルフィが、素っ頓狂な声を上げながらイルの顔を見る。
そんなルフィの様子にイルは、自分の言葉が足らなかった事に気付いて、もう一度尋ねなおす。
「完全に、ではなくとも、ある程度の事は思い出した。育った村に帰ればもっと色々な事も思い出せるだろう」
王都の近くとわかっているのだから、育った村を探す事は難しくない。
「記憶が戻ったんならとっとと出て行け。って事?」
寂しそうに尋ね返してくるルフィに、イルは苦笑して首を横に振る。
「そう言うことじゃない。帰りたくないのならずっと一緒に居れば良い」
「居て欲しい?」
聞き様によっては消極的な求婚ともとれる台詞に、ルフィが悪戯っぽく笑いながらそう言うと、イルは意外なくらい真剣な表情で口を開く。
「その村に……お前の事を待っている人は居ないのか?」
「…………」
二十年も育ててくれた親代わりの村長夫妻、私を一人前に育ててくれた初老の狩人、仲の良い友達。男勝りな私を好きだと言ってくれた恋人めいた男の人も居た。
二年以上も帰らない私を待ってくれているだろうか。帰ったら喜んでくれるだろうか。
「帰る場所があるなら、待ってくれている人が居るなら、帰った方が良い」
「……イルには居ないの?」
イルの質問に答えることが出来なかったルフィは、数秒押し黙った後、そう尋ね返す。
中々、痛いところを突かれたイルは、少し困ったようにこめかみを掻き、見つめてくるルフィから視線を逸らす。
「もう十年以上帰っていないからな」
そう呟いて、誤魔化すように視線を彷徨わせるイル。
「イルは、どうして冒険者になったの?」
お互いに十数秒黙った後、沈黙に耐えられなくなったルフィが、自分が冒険者でないとはっきりした所為か、ふと気になった質問をする。
イルは、また答えにくい事を聞く奴だな。とため息をつきながら、それでも、このまま沈黙しているよりはマシかと思い、ルフィに視線を戻す。
「強く、なりたかった」
昔、義母が聞かせてくれた英雄や勇者の物語に憧れた、ということもあるが、イルが故郷を出た一番の理由は、ただ純粋に『強くなりたい』と言う思いからだった。
「もう十分に強いじゃない」
呆れたようにそう言ったルフィに、イルは小さくため息をつきながら、改めて星空を見上げる。
「確かに剣の腕は上達したけど……」
内面はまるで成長していないような気がする。
大人ぶって、背伸びして、必死に取り繕っていた子供の頃と。
「俺は……少しは成長できたのかな……」
イルのその呟きが、ここには居ない誰かへの問いかけだと感じたルフィは、何も答えず、同じように星空を見上げることにした。
何を話すでもなく、二人して夜空を見上げはじめて数分経った頃、イルが辺りの異常に気付いて傍に置いていた剣に手を伸ばす。
「ルフィ……弓は?」
「ごめん、家の中に置いてきちゃった」
ほぼ同時に広場を取り囲む気配を感じたルフィは、自分の迂闊さに唇を噛みつつ立ち上がって身構える。
月明かりのない闇夜の中で、無数の影が二人を包囲している。
相手を刺激しないように静かに剣を抜き放つと、その淡い魔法の光に照らされた影が、警戒して数歩後ずさりする。
「妖鬼……か」
数は十体前後。視界の利く昼間か、せめて月夜なら問題なく対処できる数だが、剣の光だけが頼りと言う現状で、人間よりも遥かに夜目が利く妖鬼相手に丸腰のルフィを庇いながら戦うのは、イルの実力をもってしても至難の技である。
ルフィに、傍を離れないように、と言い含め、呼吸を整え剣を構える。
先手必勝、とばかりに手近に居た一体を一太刀で斬り捨てるが、妖鬼は同族の断末魔にも怯むことなく、数体が同時に飛び掛ってくる。
人を襲いなれているのか、思ったよりも組織だった攻撃に、イルは舌打ちしつつ身を翻しながら剣を一閃させ、一体を屠る。
妖鬼の得物は棍棒や錆びた剣が多く、斬撃と言うよりも殴打と言う方が正しい。
かわしきれなかった攻撃を肩口で受け、痛みに顔を顰めながらも、周りの妖鬼を斬り散らす。
「きゃっ」
妖鬼の攻撃が剣を振り回すイルに集中していた事もあり、素手でどうにかやり過ごしていたルフィが草地に足をとられ、前のめりに倒れてしまう。
ルフィの小さな悲鳴にイルが気をとられた瞬間、残った妖鬼たちが一斉に襲い掛かってくる。
倒れたルフィに飛び掛る数体を力任せに薙ぎ払うが、その所為で他の妖鬼に背を向けてしまう。
焼け付くような痛みが背中に走る。
歯を食いしばり、振り向きざまに剣を閃かせて斬り捨てる。
最後の妖鬼を倒し、辺りに気配がないのを確認したイルは、その場に片膝をついて、杖代わりにした長剣で身体を支えながら大きく息を吐く。
「イルッ」
起き上がったルフィが、両膝をついてイルの顔色を覗き込む。
杖代わりに地面に突き立てられた剣の光で、互いの顔がうっすらと見える。
「大丈夫?」
なわけないか、と自己完結したルフィは、イルに肩をかして家の中に運び、寝る前に消した携帯用のランプに火を灯し、その明かりを頼りに荷物の中から、治療用の薬や包帯を探し出す。
錆びた剣で抉られた背中の傷口は無残に裂けており、当分塞がりそうにない。
叩き起こしたレオンに、やわらかい布や着替えの服を床に敷かせて、即興の敷布団を用意したルフィは、その上にイルをうつ伏せに寝かせて、血まみれになった服を破り捨てる。
無数にある打撲はこの際無視して、一番大きな背中の裂傷を濡らした布で出来る限り綺麗に拭い、薬草を塗りこんだ布を押し当てて、包帯を巻きつける。
「すまない」
一通りの治療を終えた後、力なく呟いたイルはそのまま目を閉じる。
心配したルフィがイルの顔を覗き込み、小さな寝息を確認して安心したように息を吐く。
安らか、とは言い難いイルの寝顔を眺め、ルフィはようやく一息ついた。
すっかり目が覚めてしまったレオンに表の見張りを任せ、ルフィは寝苦しそうなイルの傍に座り、次から次へと噴き出してくる汗を拭いながら、先程の話を思い出す。
「帰る場所……か」
育ててくれた村のみんなは優しかった。
親代わりになってくれた村長のおかげで食べるのに困る事もなかったし、村一番の狩人に弓を習えるように取り計らってもくれた。
仲の良い友達や、結婚の約束をした恋人も居た。
高々、二年。死んだと思われているかも知れないが、ルフィが帰ればみんな喜んでくれるだろうとわかってはいる。
ただでさえ結婚を渋って散々待たせていた恋人は、もしかしたらもう別の誰かとくっついているかも知れないが、もしそうなっていたとしても、ルフィはそれを責めようとは思わないし、気まずさはあるだろうが、相手もルフィの生還を喜んでくれるだろうと思う。
村に帰りたくないわけではない。だが、それと同じくらいイルやレオンと離れたくない。
何故か、離れてはいけない気がする。
「イルは……イルとレオンは私が帰ったらどう思うんだろ」
寂しいと思ってくれるだろうか。
レオンは泣いて引き止めてくれるかも知れない。
レオンさえ良ければ一緒に村に住むのもいいかも知れない。
イルは……
「イルは……どうするんだろ」
帰る場所、はイルにもあるみたいだし。
イルの故郷には少なからず興味が沸く。特に、レオンにマザコンと言わしめた母親には是非会ってみたい。
イルに魔法剣をあげたと言う事は、かなりの資産家なのか、それとも魔術師ギルドのお偉いさんなのか。と、言う事はイルは金持ちのお坊ちゃん?
勝手に妄想をふくらませて、相好を崩すルフィ。
「もう少し……」
もう少しだけ、考えさせてね。
痛み止めの薬草が効いてきたのか、寝息が落ち着いてきたイルの髪を軽く撫で付けながら、ルフィがそう呟いた。