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このままではいけない、それはわかっている。
わからないのは、どうすればよいかと言う事だ。
自分の寝台に仰向けに寝て、天井を眺めながら思案するイル。
レオンは今のところ記憶が戻る気配もなく、手掛かりになるようなものも全くない。
二年前に、街近くの街道沿いで行き倒れていたところを、イルに拾われる以前の記憶が全くないレオン。
冒険者と言うよりは、町人か村人かと言った一般の服装で、短剣一つ持っていなかった。
実際問題として全くの手詰まりであり、正直言ってどうしようもない。
ルフィはと言えば、ディアスに捕らえられた冒険者だろう。と言うとろこまでは推測できるが、そうなると、これまた二年以上前の話になるので、確認するのは難しい。ギルドでわからなかった以上、唯一の手掛かりは逃げたディアス本人と言う事になるが、逃げた後の行方は全くわからない。
数年は追い出された館に戻ってくることもないだろう。
する事もなく暇なのか、男部屋まで来て、隣の寝台の上でレオンとカードゲームに興じているルフィに目を向ける。
イルの視線に気付いたルフィが気恥ずかしそうにはにかみ、それを見たイルがつられて照れる。
照れ隠しの様に勢い良く身体を起こしたイルに、どうしたの?と尋ねるレオン。
「いや……一度、ディアスの館に行こうかと思うんだが、どうする?」
少なくとも数日前まではあの館に居たのだから、落ち着いてゆっくりと見て回れば何か思い出すかもしれないし、そうでなくとも、ディアスの他の隠れ家がわかるかもしれない。
だが、捕らわれていた場所がきっかけで思い出す事は、あまり良い思い出ではないだろう。
ディアス本人は居なくても、なんらかの罠や魔物が残っている可能性もあり、思い出せるかどうかもわからない。
数日で行って戻って来れる距離なのだから、自分一人で行った方が良いかも知れない。
そう提案するイルに、ルフィはカードを繰る手を止めて、思案気に眉を寄せる。
「……私もついていきます」
あまり気は進まないが、今のところ他に当てがないのもわかっているので、少し悩んだ後、そう答えるた。
「無理する必要はないぞ、行っても無駄足になる可能性の方が高いんだし」
「うぅん、私の事なのにイルさんだけに行かせるわけにはいきません」
心配してくれてありがとう。と嬉しそうに笑うルフィに、イルは妙に真面目な表情で頷く。
あっ、照れてる。と冷やかすレオンを一睨みして、旅の準備をしてくる。と立ち上がるイル。
ルフィは意外と照れ屋なイルを可笑しそうに見る。
居心地の悪そうな表情で扉を開き部屋を出たイルは、思い出したように振り返り、真面目な表情を少し紅潮させながら、憮然として口を開く。
「いい加減に敬称はやめろ」
それだけ言って、ルフィの返事も待たずに扉を閉めて行ってしまう。
「待ってよ、僕も手伝うよ」
バタバタとイルを追いかけていくレオン。
「そうね、私も手伝うわ……イル」
そう呟いて、満更でもなさそうに苦笑して、ルフィも二人の後を追いかけた。
「改めて見るとでっかい家だね」
ディアスの館を見上げるレオン。
前回はゆっくりと眺める暇もなく中へ突入したので、改めてみるその外観は案外と目新しい。
「やはり……人の気配はないようだな」
玄関の大扉を開き、悪魔の石像の破片が散乱している大広間へと足を踏み入れる。
「こんな所に家を建てたり、石像を運び込んだりするのって結構大変だよね」
と、的外れな感想を洩らすレオン。
「どうだ?」
レオンを無視して、イルがルフィを見る。
数十秒押し黙ったまま辺りを見回すルフィ。心なしか顔色が少し悪い。
「…………わからないわ」
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
「うん……大丈夫」
怪訝そうに覗き込んでくるイルに、ルフィが硬く笑って返答する。
実際に体調は悪くない。
ただ、落ち着かない。
館を見たとき、広間に入ったとき、石像の破片を見たとき、心の臓を鷲掴みにされたかのように胸が痛んだ。
何故か不安で仕方がない。
「一旦、館を出よう」
一見して大丈夫ではないルフィの様子に、イルは連れてきたことを後悔して唇を噛む。
人気がないのを良いことに、正面の階段を上って吹き抜けの二階ホールまで足を延ばしていたレオンに大声で呼びかける。
「レオン! 引き上げるぞ!」
「えぇっ、もう帰るの?」
物珍しそうに辺りを物色していたレオンは、一瞬不満げに唇を尖らせたが、ルフィの様子に気付いて、階段を駆け下りてくる。その拍子に転がっていた石像の頭を蹴り飛ばしてしまい、牙を剥いたままの不気味な石の塊が、結構な勢いで階段を転がり落ち階段の角で弾かれて、イルとルフィの方へと跳ねる。
頭自体はイルが危なげなく受け止めたのだが、数瞬の間を置いてルフィが絶叫する。
「いやぁぁぁっ!!」
自分の身体を抱きしめる様にその場に座り込んだルフィ。顔色は蒼白で、見開いたその目には涙が溜まっている。
痛ってぇっ、と石を蹴りつけてしまった爪先を揉んでいたレオンも、受け止めた頭を何気なく眺めていたイルも、その様子に驚いて動きを止める。
「どうしたっ?!」
手に持っていた頭を投げ捨て、座り込んでしまったルフィの前に片膝をついて、声を掛けるイル。
「……大……丈夫」
この期に及んで大丈夫と繰り返すルフィを、イルは舌打ちして抱え上げ、館の外へと連れ出した。
襲いかかる悪魔の石像、弾かれる矢、熱い痛み、暗転する視界。
落ちてきた石像の頭と重なった記憶は、ルフィに激しい恐怖も甦らせた。
館が見えない位置まで引き返した三人。
日がかなり落ちてきた事もあり、今日はここで野営しようと準備を始める。
「大丈夫……わけないよね」
木陰で休んでいるルフィに、水筒の水で濡らした手拭いを手渡しながら声を掛けるレオン。
「うぅん……もう大丈夫よ」
少し落ち着いた様子で力なく返事をするルフィ。
立ち上がろうとするルフィを、イルが制して座りなおさせる。
「ごめん、迷惑かけて」
「気にするな、言い出したのは俺だ」
逆にその事を気にして後悔しているイルの様子に、ルフィが苦笑する。
「今日はもう寝ろ」
毛布を押し付けられ、まだこんなに明るい内から寝られないわよ。と不平を鳴らすルフィ。
イルは、いいから寝ろ、と強引に毛布にくるんで強制的にルフィを寝かしつける。
「もう、寝れるわけないじゃないの」
と、最初は不満げなルフィだったが、横に座りあやすように軽く頭を撫でるイルに、子ども扱いしないでよっ、とぶつぶつ呟きながらも安心したように目を閉じ、やがて静かな寝息をたてはじめた。
思っていた以上に疲れていた様で、翌朝まで熟睡してしまったルフィは、自分の隣で大口を開けて寝こけているレオンに毛布を譲って、身体を起こす。
「起きたか」
「えぇ、おはよ」
大きく背筋を伸ばして軽く身体をほぐし、イルが手渡してくれたぬれた手拭いで顔を拭う。
すっかり目の覚めたルフィは、これまたイルが手渡してくれた水筒から一口だけ水を飲み、軽く息を吐いてイルの顔を見つめる。
「私は、二年前にあの館で返り討ちにあったパーティーの一員だったの」
唐突に話し始めたルフィの言葉に、イルは何も言わずに耳を傾ける。
「私は……あの石像に殺されかけた・・・」
そこまで言ったところで、ルフィは軽く首を振って言い直す。
「……殺された」
二年前のパーティーにはイル並の戦士はおらず、武器に強力な魔力を付与させる事のできるような腕の立つ魔術師も居なかった。
広間の石像たちに成す術もなく一方的にやられるしかなかった。
「私は…………後は……わからない」
思い出したのはそれだけ。
肝心なことは全くわからないまま、結局、本名さえ思い出せなかった。
「そうか、無理をさせて済まなかった」
「別にイルの所為じゃないわよ。イルは私の為に色々と考えてくれてるわけだし」
軽く肩を竦めて、気にしないで、と笑いかけてくるルフィに、かえって気を使わせてしまったかと、イルが頭を掻いて気まずそうに立ち上がり、おもむろに出発の準備をはじめる。
「また、一人で悩んでるみたいだね」
いつの間に目を覚ましたのか、レオンが小声で、ルフィにそう話しかける。
二人に背を向けているイルは、レオンが起きたことには気付いているだろうが、何を話しているかまでは聞こえていないだろう。
毛布にくるまったまま転がってきたレオンを微笑ましげに見下ろし、されるがままに太ももを枕として提供するルフィ。
「みたいね」
イルの背中しか見えないが、寄っているであろう眉間の皺が容易に想像できる。
苦労性の保護者に、レオンとルフィは顔を見合わせ、同時に苦笑交じりのため息をついた。