15
「終わったわよ」
扉を開き、部屋の中に入ってきたルフィを一瞥して、ディアスは冷笑で出迎える。
部屋の中央には怪しげな紋章が刻まれた台座があり、気を失ったレオンがそこに横たわっている。
「兄さんはどこ?」
イルの血で濡れた小剣を突きつけて詰問するルフィに、ディアスは、そういう約束だったな、と呟いて片手で印を結び、呪文を唱える。
「ぐっ……なに?」
突然、頭が割れるような痛みを感じて、その場にうずくまるルフィ。
かろうじて小剣を取り落とす事こそなかったが、我慢しきれない鋭い痛みに、口から声にならない悲鳴が漏れる。
「……どうだ?」
印を解いたディアスは、目の前でうずくまり肩で息をしているルフィに、そう声をかける。
声をかけられたルフィは、焦点の合わない瞳で床を見つめていたが、やがて、恐る恐る、と言った様子で、台座に横たわっているレオンに視線を向ける。
「そんな……どうして?」
『兄』は間違いなく自分より年上の筈だ。間違いなく、と言うより間違えようがない。
だが、思い出した『兄』の姿は、レオンに酷似している。
ルフィの記憶よりも何歳か年をとってはいるが、その面影は間違いなく『兄』のものである。
「まさか……不老不死?」
ルフィを利用してまで実験体を取り戻そうとした理由。
「まだ『遅老長寿』程度の出来ではあるし、継続的に施術しなければどんどん効果が薄くなってしまうのが難だが、まぁ、今のところ一番『不老不死』に近い個体ではあるな」
レオンの寝顔を眺め満足げに語るディアス。
長々と不老不死について講釈を始めるが、ルフィにとってそんな事はどうでも良かった。
自分の顔から血の気が引いていくのを感じる。
『兄』に会うために兄をディアスに引き渡すなんて、なんて間抜けなんだろう。
イルを刺してまで、私は何をしているんだろう。
何もかもがわからなくなり、血の気の引いた頭に、今度は凄い勢いで血が上っていくのを自覚する。
「うわぁぁっ!」
手に持つ小剣を衝動的に振りかぶり、目の前の魔術師に叩きつける。
だが、渾身の力を込めたその一撃は、魔術師の長衣に届く直前に、何かに遮られ音もなく弾かれる。
だがルフィは頓着せずに、何かに取り憑かれたかのように、何度も何度も小剣を不可視の壁に叩きつける。
ディアスが何事かを喋っているようだが、ルフィの耳には何も聞こえていない様子で、ただひたすらに小剣を振り回し続ける。
ディアスは、最初は蔑むようにその乱心を眺めていたが、その内に鬱陶しくなったのか、払いのけるように腕を振り、ただそれだけの行動でルフィの身体が開けっ放しの扉から部屋の外まで弾き飛ばされた。
「ぐっ……はぁっ」
壁に叩きつけられた衝撃で一瞬意識が遠くなり、そのお陰で沈静したルフィの耳にようやくディアスの言葉が届く。
「あの男の魔法剣ならともかく、そんな小さな剣では私の『障壁』は破れんよ」
ディアスが部屋から出てくる。
壁際に倒れ、朦朧とした意識でディアスを見上げているルフィが、イル、と小さく呟く。
「ふん、そうだな。もうお前に用はない。あの戦士と揃いの『人形』にしてやるから、今度こそ本当に死ぬがいい」
ディアスが印を結び、呪文を唱え始める。
「……イル」
ルフィが、ディアスの後ろで剣を振りかぶっている人影に、そう呼びかけた。
「馬鹿が、油断しやがって」
まるで悪党のような台詞を吐き捨て、うつ伏せに倒れたディアスの首に止めとばかりに剣を突き立てる。
「イル?」
少しずつはっきりしてきた頭を振って、事態を飲み込めずに夢でも見ているのかと自分の目を疑うルフィ。
イルにもルフィに声をかける余裕はなく、ディアスの首ごと床に突き立てた剣を杖代わりにして膝をついた身体を支え、荒い息を吐いている。
「イルッ!!」
数秒後、イルが目の前にいると言う事実を、ようやく認めることが出来たルフィは、勢い良く跳ね起きて剣を杖代わりにしている戦士に跳びついた。
当然、ただでさえ弱っているイルにその勢いを支えられるはずもなく、その場に押し倒されるように倒れてしまう。
「イルッ、イル、本当にイルなの?」
「ルフィ、痛いからちょっと離れろ」
抱きしめてくるルフィの背中を、イルがあやすように軽くはたく。
イルの声を聞いてルフィが落ち着いたのを見計らって、ゆっくりと身体を引き離し、先にレオンを助けてやれ。と声をかける。
「うん」
聞きたいことはたくさんあった筈だが、意外としっかりとしたイルの様子に安心したのか、子供のように素直な返事をして、言われたとおりレオンを助けに部屋の中へと入っていく。
イルは、自分の隣に横たわるディアスの亡骸に目を向けた。
ここまで苦労したのだから、賞金を貰わなければ割に合わない。
首を塩漬けにして魔術師ギルドに突き出してやる。
ふんだくれるだけふんだくったら、王都をでよう。
一人で?
ふと気になった自問に、自答することができなかった。
「そうか、レオンが……」
レオンを助けた後、屋敷の一室を勝手に借りて傷の手当てをしながら、ルフィから大体の事情を聞いたイルが、その部屋の寝台の上で場違いなくらい安らかな寝顔で寝息を立てているレオンを見て、深い溜息をついた。
「多分、レオンも記憶が消されてるんだと思う」
もしかしたら、不老不死の実験の副作用なのかもしれない。ルフィのように封じられているだけではなく、下手をすれば文字通り『消えて』しまっている可能性もある。
「レオンにこの事は……」
レオンの寝顔を見つめて呟くルフィの台詞をイルが遮る。
「言う必要はないだろう」
今更、十も年上のルフィが実の妹だと言われたところで、レオンも困るだろう。
何かの拍子に思い出した時は仕方がないが、教えても何の益もない事をわざわざ知らせる必要はない。
「そうね……」
それよりも、とルフィが巻きつけた包帯から血が滲んできたイルの腹の傷にそっと触れながら、聞き辛そうに、どうして生きているの? と尋ねる。
奇妙な質問だ、と苦笑しながら、イルは泣きそうな表情で自分を見上げるルフィの頭をそっと撫で付ける。
「ルフィが、急所を外して刺してくれたおかげだよ」
まぁ、意識してそうしたわけではなく、人を殺した経験のない狩人が、何もわからずに刺した場所がたまたま急所ではなかった。と言うだけの話ではあるが。
「そう……」
イルを殺さずに済んだ。と安堵したものの、自分がイルを殺そうとした事実には変わりがない。と表情を曇らせるルフィ。
「あまり気にするな。結果的にみんな無事だったんだから、それでいいだろう?」
励まそうと、わざと軽い口調でそう言うが、ルフィはあからさまに落ち込んだ様子で肩を落とす。
「みんな無事……全部イルのおかげだね」
もっとも、イル自身は無事とは言いがたい姿ではあるが。
私の所為で、と嘆くルフィ。
その頭を軽くはたいて、イルが、困った様な、照れた様な、怒った様な、複雑な表情で、怪訝な顔で見つめてくるルフィから目を逸らして呟く。
「お前の『所為』じゃない。お前の、それからついでにレオンの『為』にやったんだ、感謝される覚えはあるが、謝罪される謂れはない」
言ってから、自分がどれだけ恥ずかしい台詞を口走ったのか改めて自覚して、イルは耳まで真っ赤に染める。『らしく』ないことこの上ない。
「あぁっ、もうこの話は終わりだ。屋敷のどこかにルフィたちが乗せられていた馬車がある筈だから、それを拝借してさっさと帰るぞ」
誤魔化すように大声で叫んで、傷に響いたのか顔を歪めてうずくまるイルに、ルフィは、小さく、うん、と頷いて、そっと耳元で囁いた。
「ありがとう、イル」