14
「少年?」
魔術師の言葉に、私は、あんた馬鹿じゃないの。と思わず口走った。
魔術師は、死にかけていた私を蘇生させた。私が死にかけてから、もう二年が経っているらしい。
仮死状態にしたままの保存方法やら、蘇生の困難さやら、それを容易に成し遂げる自分の優秀さやらを自慢げに話す魔術師。
もっとも、話の十分の一も理解できなかったが、私にはもっと理解できなかった事があった。
「今更、私があんたの言う事なんか聞くわけないでしょ?」
魔術師は、二年前に私たちの所為で逃がしてしまった実験体の少年を探せ、と言う。
するわけないじゃないの、と即座に却下した。
何が楽しくて、村を滅ぼし、両親を殺し、私自身も殺されかけた仇の手伝いをするのか。
例え、やらなきゃ殺すと脅されても、絶対に言うことを聞かない自信があった。
むしろ、その少年には逃げ切って欲しいとさえ思う。
「探したければ自分で探しなさいよ」
「ふむ、もっともな意見だが、私は王都で指名手配されている身なのでね。つい先日、私が王都に探しに行ったところを知り合いに見られてしまって、またぞろ面倒くさい奴らがやってくる羽目になってしまったのだよ」
この館は気に入っているのだが、そろそろ引き払わなくてはいけないな。と本当に面倒くさそうに呟く魔術師。
「知ったことじゃないわ」
「これまた、ごもっともな意見だ」
吐き捨てる私の言葉に、面白そうに低く笑う魔術師。
「ただとは言わんよ。もしその少年を見つけられれば、報酬を払おう」
「はっ、幾らお金を積まれたってあんたの手伝……」
「兄に会わせてやろう」
「……?」
何気なく言った魔術師の言葉を、私は一瞬理解することが出来なかった。
魔術師は今、何と言ったのか。
兄? 会う? 生きてる? 何故?
感情が溢れて思考が纏まらない。
「私が焼き払った村で生き別れた兄に会わしてやろう……と言っているのだ」
二年間眠っている間に、私の記憶を調べたと嘯く魔術師がそう言って笑う。
「……本当に?」
思わずそう尋ね返した時、その時私は悪魔に良心を売り渡してしまったのかもしれない。
馬車でディアスの屋敷まで連れてこられた翌日、その一室に軟禁されていたルフィは、家具一つない殺風景な部屋の隅に座り込んで、部屋の中央で得意げに笑っているディアスを睨みつける。
ディアスの姿を見たとき、ディアスとの契約を思い出した。
記憶喪失だったのではなく、ディアスによって記憶を封印されていたらしい。
冒険者ですらない、ただの狩人でしかないルフィが人を騙せる筈もなく、新たに来る討伐隊に紛れ込ませるために、ディアスが記憶を封じたのだ。
討伐隊が来る直前の急ぎの施術であったために術が不十分で、事あるたびに少しずつ思い出してしまったが、肝心のルフィとディアスの『契約』は、ディアス本人と会うまで思い出せないように暗示をかけていたらしい。
まぁ、流石の私もその討伐隊に目当ての少年が居るとは思ってもみなかったがね。と愉快そうに笑うその顔を呪い殺しそうな目で睨みつけたが、ディアスは全く気にすることなく、むしろ、憎まれている事を楽しむように、朗々と言葉を続けていく。
「おまえの居場所は常に把握していた、何を見て何を感じているかも手に取るようにわかっていた」
後は、あの戦士を抑えるだけの戦力を用意して、邪魔の入らない人気のない場所で少年を奪い返せば良いだけの話だ。準備が間に合わなくて、前の屋敷の『人形』を壊されてしまったのは痛かったが、何、『人形』程度はそこらの村を襲えば幾らでも造ることができる。
お前とあの戦士の甘ったるい恋愛劇も中々面白かった。と嫌らしく笑うディアスに、さっと顔を紅潮させるルフィ。
「覗きなんて、えらくご立派な趣味ね。それなら今私がどう思っているかもわかっているでしょう?」
「そう言うな、私とて好き好んで人の秘め事を覗く趣味はない。既にお前との感応は切ってある」
それでも、お前が私を殺したいと思っている事は良くわかるがな。と笑うディアス。
「……約束でしょう。兄に合わせて頂戴」
それだけで睨み殺せそうな物騒な眼光をディアスに叩きつけて、ルフィが拳を力いっぱい握り締めながら、約束の履行を要求する。
「よかろう、だが、お前にはもう一つやってもらうことがある」
「私の役目はレオンを探すことだけのはずでしょうっ!」
「探すまでもなく見つかったではないか、お前はただ私に少年の居場所を教え続けていただけだ」
本来なら報酬を払う必要すらないのに、もう一つ仕事をするだけで払ってやろうと言うのだ。と嘯くディアスに、ルフィが忌々しげに、死んでしまえ、と毒づく。
切り札をディアスが握っている以上、どれだけ理不尽な要求であろうとルフィは従うしかない。
「何、難しいことではないよ。今、この屋敷に君の想い人が訪ねてきてるんだが、中々乱暴な人でね。私のかわいい『人形』がどんどん壊されてるんだ。ちょっと行って始末してきてくれないか?」
「……ここにイルが?」
どくん、と胸が高鳴るのを自覚する。
ディアスとの感応が切れている事に心底感謝する。
「そう、お前のイルがお前を助けにやってきてしまったんだ。こんな事なら、少々手間取っても、王都の衛兵ごと彼を殺しておくべきだった」
そうすれば、お前にこんな事をお願いしなくても済んだのにねぇ。とディアスは残念そうに呟く。
「イルを殺すなんて……私に出来るわけないでしょっ!」
例え弓を使ったところで、私がイルに敵うわけがない。
そう叫ぶルフィに、ディアスは事も無げに、お前なら簡単に出来る筈だ。と保証する。
「お姫様を助けに命がけで敵地に乗り込んできた勇者。幾多の困難を乗り越え、迫り来る敵を切り抜け、ようやくお姫様の下に辿り着く。感動的な光景だとは思わないか? 儚げに駆け寄れば彼は優しく抱きとめてくれるだろう?」
芝居がかった調子で、大袈裟に身振り手振りを交えて語るディアス。
ずっと押し黙っているルフィに、ディアスは底意地の悪い表情を浮かべて、睨みつけてくる相手に新たな条件を示す。
「始末できれば、お前と兄の命は保障してやろう。用が済めば手放してやる」
ギリッと音が聞こえそうなほど強く歯を食いしばったルフィは、立ち上がりながら呻くような声を発する。
「レオンは?」
そのルフィの問い返しを承諾と受け取ったディアスは、低く抑えた笑い声で安く請け合う。
「用が済めば、な」
「ごめん……イル」
力なく崩れ落ちるイルの身体を抱きとめて、何度目かの謝罪を口にする。
ゆっくりと労わるようにイルの身体を床に寝かせ、その傍に膝まづいて、その腹に突き立った……自分が突き立てた小剣を、ゆっくりと引き抜く。
イルの血で濡れているその刃を、放心した表情で見つめる。
自分を助けに来てくれた人を、自分の為に、自分の手で殺してしまった。
思わず、自分の胸にその小剣を突きさしたくなる衝動を必死で堪え、歯を食いしばって立ち上がる。
イルを犠牲にしてまで守ろうとした『兄』を、そしてレオンを助けるまでは死ぬわけにはいかない。
助けることが出来たら、ディアスを殺して自分も死のう。
全身を濡らしたイルの血を拭おうともせず、悲壮な決意を胸に、ルフィはディアスのいる部屋へと歩き出した。