11
イルがその妙な感覚に気付いたのは、王都に入り、いつもの宿へと帰る途中、商店街に差し掛かった頃だった。
殺気でもなければ敵意でもない、奇妙な居心地の悪さ。
何気なく辺りを見回してみるが、王都の商店街なだけあって人通りが多く、雑踏に紛れてしまってその感覚の原因を探る事はできない。
ただ居心地が悪いと言うだけで、特別何らかの気配を感じ取れるわけではない。レオンはともかくとして、ルフィも何も気付いていない様子で、商店街の軒先に並べられている商品を冷やかしている。
「ねぇルフィ、ルフィの小剣買ったのってあそこのお店?」
「えぇ、そうよ」
「魔法剣も置いてあるんだよね、あのお店」
「売れてなかったらね」
まぁ、あんな金額を払える人が、そうそう居るとは思えないけど。
「僕も振ってみたいな~、イルの剣は全然触らしてくれないんだもんな~」
「イルと行けば振らせてもらえるかも知れないわよ。あそこの店員さんに気に入られてたから」
「ほんとっ?!」
目を輝かせて擦り寄ってくるレオンと、楽しそうにそれを眺めながらついてくるルフィ。
自分がどれだけ魔法剣を必要としているのかを熱く語りながら、連れて行ってよぉ、とねだるレオンを無視して商店街を抜けたイルは、つい先程まで感じていた居心地の悪さが消えたのに気付いた。
「気のせいか……?」
「気のせいじゃないよっ、魔法剣が僕を呼んでるんだよ、連れてってよっ、ねぇってばぁ」
少し、イラッとした。
「あら、どうしたの? レオン」
朝食を終え、することもなく暇を持て余していたルフィが宿の自室を出ると、今からお邪魔しようかと思っていた隣室の前で、レオンが所在無げに立っていた。
「また、何か追い出されるようなことでもしたの?」
どこかに行こうとしているわけでもないのに部屋に入ろうともしないレオンにルフィが呆れたように声をかける。
「う~ん、それだったら、謝ったら済むんだけどね」
追い出されたのではなく、ただ単に居心地が悪いから部屋を出てきただけなのだ、と話すレオン。
三度目のディアスの館から帰ってきてから、イルは何事かを考え込む事が多くなり、話しかけても殆ど返事をしない。
今までは暇な時にはレオンの剣の稽古をつけてくれたりしていたのだが、ここ数日は剣を持つ素振りさえ見せない。
金銭的にまだ余裕があるせいか、仕事を探しさえしていないのだ。
「また考えすぎて、余計な心配をしてるんでしょうけど……」
ルフィ自身はイルに愚痴を聞いてもらった事もあり、気にならないとは言わないが、なるべく気にしないようにしているのだが、聞かされたイルが代わりに悩んでちゃ意味ないじゃないの、と溜息をつく。
「そうね……気晴らしにどこか遊びに行こうかしら」
落ち込んでいた私が、励ましてくれたイルの気晴らしに気を使うのも変な話よね。と思いながら、そうと決まれば早速準備しよう、とルフィはレオンの手を引いて階段を降りていった。
扉の前から遠ざかっていく軽快な足音を聞きながら、イルが寝台に仰向けに寝て天井を見上げる。
部屋を出たレオンが扉の前で立っていたのも、ルフィと二人で何事か話していたのも、そしてその話の内容が自分の事である事も気付いていたが、敢えて知らない振りを押し通した。
ディアスを追うにしても手掛かりがない。
ルフィはまだ諦めていないようだが、イルとしてはこれ以上危険な事に首を突っ込んでほしくない。
自分の研究の為に、村を滅ぼし人体を弄る魔術師。館の地下室の惨状を見る限り、もはや正常な神経は持ち合わせていないだろう。
「不老不死……か。魔術師なんてただでさえ人の何倍も長生きできるのにな」
魔法による延命か、生命に直結していると言われている魔力の制御に長じているせいか、魔術師の寿命は総じて長い。
宮廷魔術師ともなると百歳二百歳は当たり前で、市井の術者でも四十、五十はまだ若造の部類に入る。この世界のどこかに、千年以上前に滅んだ古代魔法王国時代の魔術師が生きている。とする伝説すら残っている。
下手に長命であるが故に、そして、不老不死を夢物語ではなく現実の可能性として測れるからこそ、手を伸ばしたくなるのだろうか。
魔術的な知識のないイルには理論上の可能性については全く見当もつかない。
古の時代に、何千人もの生贄を捧げて不死者の王となった魔術師の伝説をなぞろうとでも言うのだろうか。
現在よりも遥かに高度な魔法技術を誇り、古竜王さえ従えたと言われる古代魔法王国時代、その時代にあって最強と謳われた魔術師が、数千人の犠牲の上に人間としての身体を捨てて、ようやく得ることが出来た『不死』の命。しかも、この話はただの伝説であってその真偽の程すら定かではない。
「まったく、魔術師って奴らは……」
考えすぎて痛くなってきた頭を抑える。
所詮、一介の冒険者でしかないイルが、幾ら考えたところで答えのでる話ではないのだ。
「イィルッ」
前触れもなく、勢い良く扉を開けて部屋に飛び込んできたレオン。
えらく上機嫌な様子で、寝台に寝ていたイルを無理やり起こす。
「ねぇ、ピクニックに行こっ」
「はぁ?」
余りにも唐突なレオンの提案に、イルは間の抜けた表情で、嬉しそうに笑っている少年を見る。
レオンの後に続いて部屋に入ってきたルフィ、下の食堂で用意してもらったらしい弁当を持っている。
「今から行く気か?」
「そう、早く用意して」
非難気な質問にあっさりと頷いたルフィは、呆然としているイルの様子には頓着せずに、レオンと二人で三人分の用意を済ませ、最後に寝台脇に立てかけてあった魔法剣をイルの手に握らせ、行くわよ、と有無を言わせずに部屋の外へと引っ張り出す。
「いや、おい、お前ら……」
「何?部屋の中でうだうだと考えてばっかりじゃあ、頭がゆだっちゃうわよ、たまには外で遊ばなきゃ」
「うだうだと考えてばっかりって……」
まぁ、否定できないが。
「早く行かないと向こうで遊べなくなっちゃうでしょっ、駄々こねてないでさっさと歩くっ」
「駄々こねるって……」
ルフィの物言いに不満そうにもごもごと口の中で文句を言うが、強気な態度とは裏腹に、拒否されないかと少し不安そうに見つめてくるルフィと目があってしまい、軽く肩を落として降参する。
「わかったから、手を離せ」
掴まれたままだった手を振り解いたのが、せめてもの抵抗だった。
「ん~いい気持ち」
王都を出てすぐ、街の外壁沿いの川原に寝転び、本当に気持ち良さそうに深呼吸するルフィ。
レオンは川に入って、川魚を手で掴もうとしきりに水を跳ね上げている。
ルフィの隣に座っている……正確には、ルフィに隣に寝転ばれた……イルは不機嫌な振りをするのも飽きたのか、それなりに楽しそうな様子で、川の中で転倒して咳き込んでいるレオンを見ている。
「少しは気晴らしになった?」
「あぁ」
愛想のない返事ではあったが、さっきまで険のあった表情が穏やかになっているのを見たルフィが、満足げに笑う。
「あんまり悩んでると禿げちゃうわよ」
寝転んだままイルの背中を軽く叩くルフィ。
悩みの元凶である自分が言うのもなんだけど、と苦笑するルフィの頭をイルが無言で撫でる。
子ども扱いされた様で面映いが悪い気分ではないので、ルフィはされるがままに髪の毛を撫でさせる。
お互いに見つめ合う。
ゆっくりとした心地よい時間が流れていく。
魚が獲れた。と、ずぶ濡れになったレオンが遠くで大喜びしていた。
「随分遅くなっちゃたわね」
すっかりと暗くなってしまった空を見上げて、ルフィが苦笑いを浮かべる。
王都の門は当然のように閉まっている。
門の傍には、門限に間に合わなかった旅人が夜露を凌ぐための休憩所があるので、今夜野宿する必要はないのだが、もっと早く帰る予定だったのに、とルフィが非難気な目でレオンを見る。
「ルフィだって一緒になって遊んでたくせに」
川で水を掛け合ったり、油断しているイルに二人で水をかけたり、獲った魚を焼いて食べたり、川原で石を積んだり崩したり。
その証拠に、ルフィの服もレオンのそれと同じくらい濡れて、水が滴っている。
「早く服を乾かさないと、風邪をひいてしまうな」
巻き添えを喰らって、二人以上に濡れてしまったイルが、まだ湿っている髪を手櫛で掻き揚げる。
年甲斐もなく楽しんでしまった自分に苦笑いを浮かべる。
今まで自分がどれだけ余裕なく緊張していたのかがよくわかった。
「イルとレオンは脱げばいいけど、私は流石に外で服を脱ぐのは遠慮したいところねぇ」
早く休憩所に行って、火に当たりたい。
「そうだね……って先に誰かいるみたいだよ?」
ズチャズチャと水浸しの靴で先頭を歩いていたレオンが、木造平屋の休憩所の前に馬車が駐まっているのを見て、二人を振り返る。
着いたばかりなのか、御者台にはまだ人が乗っているのが見えた。
「馬車を使ってるって事は結構お金持ちの人なのかな?」
どんな人たちだろう、と楽しそうに笑って、休憩所に向かって走り出すレオン。
「こら、一人で行くな」
イルがたしなめるが、レオンは、大丈夫だよ、と何が大丈夫なのか良くわからない返事をしながら、そのまま休憩所の中に飛び込んでいく。
「まったく……」
仕方なさそうに笑って、歩いて後を追うイルとルフィ。
馬車の前を横切り、レオンが乱暴に開けっ放した扉をくぐろうとして
イルの背筋に悪寒が走った。