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「もう一度、ディアスの館に行ってみたいの」
イルの身体がほぼ完治するのを見計らって、或る日、ルフィがそう提案する。
「今なら以前よりも落ち着いて見て回れると思うし、もしかしたらディアスが帰ってきているかもしれない」
「ふむ……」
まだディアスと関わるつもりか、とも思ったが、敵討ちに関しては他人がとやかく言えるものでもないか、と口に出すのは控える。
「大丈夫なの?」
前回のルフィの様子を思い出し、レオンが心配そうにそう尋ねる。
「大丈夫よ、私もいつまでもイルに甘えているわけにもいかないし、正直な話、やっぱりこのままディアスの事を有耶無耶にはしたくないし」
思いつめた表情のルフィに、イルは面白くなさそうに眉を寄せる。
「ただ単に、ディアスを捕らえたい、倒したい、ってんなら俺が何とかしてやるから、ルフィはレオンと一緒に王都で待ってろ」
差し出がましいかと思いつつそう提案するが、ルフィは考える迄もなく、駄目、と却下する。
「私一人じゃ何も出来ないってわかってるけど、でも、これだけは人任せにしちゃいけない気がするの」
「ルフィ……」
「本当は、村に帰ろうかな、とか、もう暫くイルやレオンとこの街で暮らすのも良いかな、とか色々考えていたんだけど・・・」
その結論を先延ばしにするため……ではないつもりだが、何かやり残したことがあるような気がして、どうしても思い切れない。
ディアスのことに決着をつけなければ先に進めない気がする。
「だから……私、ディアスの館に行きたいの」
今度は前みたいに取り乱したりしないから、とルフィは請合うが、イルは渋い表情で考え込む。
イルとしては、このまま、ディアスの事を忘れて普通の生活に戻ってほしい。
村に帰るならそれが一番だと思うが、自分たちと一緒に居たいと言ってくれるのなら、レオンと一緒に故郷に連れて帰っても良いかとも思う。
だが子供の頃に、目の前で生まれた村を焼き払われ、両親を殺され、もしかしたら兄が捕らわれているかもしれないルフィの気持ちを考えると、無下に否定することも出来ない。
「……わかった」
気が進まないのを隠す素振りさえ見せず、明らかに仕方なさそうな声を搾り出すイル。
「ありがとう。我侭言ってごめんね」
「我侭はレオンで慣れてる」
真顔でそう言ったイルに、レオンが不満そうに唇を尖らせた。
覚悟は決めたつもりだったが、いざ館の前まで来ると少なからず抵抗を感じてしまい、立ち止まってその外観を見上げる。
十中八九、ディアスは居ないとわかっているが、それでなくとも自分の何かしらがわかるかも知れないと思うと緊張する。
「開けるぞ」
玄関の大扉に手を掛けてそう尋ねてくるイルに、ルフィは大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせて、無言で頷く。
重々しい音を響かせて開いた扉の向こうに、石像の破片が転がったままの大広間が見える。
以前来たときと変わった様子はない。
「何か思い出せそう?」
意を決して広間に踏み込むルフィに、後を追って入ったレオンが声を掛ける。
ルフィの記憶の大きな空白。
この大広間で悪魔の石像に倒されてから、イルたちに助けられるまでの二年間。
「……わかんない」
「ルフィを助けた部屋に行ってみるか」
館内を探索し、最後に助けた部屋にも行ってみるが、ルフィに大きな反応はない。
「後は地下室くらいか……」
最初に討伐隊としてこの館に来たときに地下への階段だけは見つけていたのだが、一階でディアスを発見したので降りる機会がなく、逃げられた後も石像との戦闘で少なくない怪我人が出ていた事もあり、同行した魔術師が探知魔法で地下には生命反応がない事を確認したので、そのまま探索せずに引き上げたのだ。
隠し階段と言うわけでもないのだが、魔術師の館の地下、というだけで警戒する価値は十二分にある。
剣を抜き、慎重に降りていくイルの前に、案の定、やたらと頑丈そうな鉄の扉が立ちはだかる。
携帯用ランプに火を灯してレオンに持たせたイルは、その明かりを頼りに扉を調べる。
「鍵がかかっているな」
「どうするの?」
幾ら魔法剣でも、分厚そうな鉄の扉を叩っ斬れるとも思えず、三人の中で鍵開けの技能を持っている者もいない。
暫く考えた後、イルがレオンとルフィに、下がってろ、と声を掛けて抜き身の剣を振りかぶる。
「それは無理でしょ・・・」
と呟くレオンを無視して、イルが扉そのものではなくその蝶番に剣を叩きつける。
斬った、と言うより、割った、と言った方が正しい。魔法剣でなければ刃毀れの一つくらいしたかもしれない。
三つある蝶番の上二つを叩き割ったイルは、鉄の扉を何度か足で蹴りつけ傾かせたところで、後ろで見学している二人に、気をつけろよ、と声を掛ける。
「この扉は、外からの侵入と言うより、中からの逃亡を防ぐための物かも知れない」
外敵は大広間で撃退する前提だったのか、館内には殆ど罠らしい罠はなかったのだが、この扉だけ不自然なくらい頑丈に出来ている。ルフィを助けた実験用の部屋ですら普通の扉だったのだ。
「いくぞ」
ルフィが買ったばかりの小剣を構え、レオンがランプを高めに掲げながら数歩後ろに下がったのを確認し、全力で扉を蹴りつける。
最後の蝶番が扉の重みに耐え切れずにへし折れ、扉が倒れる。
鉄の扉が石造りの床に倒れる音が、軽い振動と共に地下に響く。
「……何もない?」
イルの肩越しに背伸びをして、奥を覗き込むレオン。
倒れた扉の向こう側には、真っ直ぐな廊下が伸びており、左右に幾つかずつ扉が並んでいる。
暗くてよく見えないが、突き当たりにも扉があり、少なくとも廊下には何も居ないようである。
「この扉も鍵がかかっているわね」
手近な扉に近づいて、ルフィがノブに手を掛けて開けようとするが、鍵が掛かっているのか微動だにしない。
先程のような鉄の扉でこそないが、これまた頑丈そうな木の扉だ。
イルは数秒、何事か考え込み、ルフィに下がるように指示して、手頃な高さに剣を突き立てて覗き穴を作る。
暗くて中の様子は見えないが、中に何か居ればこの覗き穴から入るランプの明かりに何らかの反応があるのではないかと思ったのである。
「特に気配はないな……」
更に数瞬考えて、鉄扉の時と同じように蝶番を叩き割って扉を蹴り倒す。
レオンにランプを借りて、用心深く警戒して部屋の中を覗き込む。
「何か居る?」
「見るな」
覗きこもうと横から身を乗り出してくるレオンを、イルが身体で阻止する。
「何でぇ?」
不満げに抗議するレオンに、イルが不快そうに顔を顰めて振り向く。
「腐った死体が転がっているだけだ」
「うげっ」
イルの言葉にレオンはあっさり引き下がり、むしろ部屋から極力遠ざかろうと壁際に下がる。
「死体って?」
ルフィが険しい表情でイルに声をかける。
「この部屋にあるのは5、6体くらいだ。多分、二年前の討伐隊の連中だ」
部屋の中にある幾つかの台座に縛りつけられている。何かの実験の経過かもしくは結果だろう。
漂ってくる腐臭に扉を壊してしまった事を後悔しつつ、ランプをレオンに返して、廊下に並ぶ他の扉を眺めるイル。
この様子では、他の部屋も同じような惨状だろう。
「突き当たりの扉は木じゃないみたいだよ」
ランプをかざして廊下の奥を照らすレオン。
確かに突き当たりの扉は地下への入り口と同じ鉄の扉である。
「怪しいね」
言わずもがなの事を口にするレオン。
「開けるぞ」
「……うん」
イルの宣言にルフィが声に出して頷く。
イルは扉の前に立ち、剣で蝶番を叩き壊して三枚目の扉を蹴り破った。
「何……これ?」
その部屋に入ったレオンは、全身に鳥肌が立つのを感じながら息を呑む。
三人の前には、整然と並べられた十数個の蓋のない棺。
その『棺』には薄い色の付いた水が満たされており、その中に裸の人間が横たわっていた。
レオンが傍の棺を覗き込む。
水の中に沈んでいるのは、二十代前半の男性、表情には全く生気が感じられないものの、その目は開かれており、逆に全く瞬きをせずに、レオンの持つランプの明かりを追って視線を彷徨わせている。
「生きてるの?」
ルフィが恐る恐る棺を覗き込むと、その『中身』がルフィの方へと視線を向ける。
目が合ってしまったルフィは、その何の感情も浮かばない人形のような瞳を見て全身が総毛立つ。
「わからん……が、多分、少なくとも人間ではなくなっているだろう」
「人間じゃないって?」
「普通の人間は水の中で息ができない」
単純かつ至極尤もなイルの言葉に、ルフィがなるほどね、と納得する。
「じゃっじゃあ、この人たち何なの?」
気持ち悪くて腰が引けてしまっているレオンの問いに、イルは、俺が知るか、と毒づきながらも口元に手を当てて思案気に呟く。
「動く死体とは違うようだし……雰囲気はむしろ悪魔の石像や人造人形に近いか……?」
周囲の変化にのみ反応するその『人形』に、生理的な嫌悪感を覚えたイルは、苦々しい表情でそれを睨み付ける。
「不老不死の研究……ってやつか」
イルはレオンにランプを借り、二人に部屋の外に出ているようにと指示する。
「え? イルは?」
「……わかったわ」
イルの意図を汲んだルフィは、不思議そうに首をかしげているレオンの手を引いて、部屋の外へと出る。
イルの持つランプの明かりが廊下まで漏れており、階段まで戻るのにそれ程の不自由はない。
二人が部屋を出て行ったのを確認したイルは、剣を握る手に力を込め、『人形』に声を掛ける。
「もう意識もないだろうが……このままお前たちの遺体を辱めさせ続けるのも忍びないし、何より俺が気持ち悪い」
自分の生理的な嫌悪感、ディアスへの義憤、実験材料にされた『人形』たちへの同情。
様々な思いを抱き、イルは手に持った剣を振りかぶった。
外の空気を吸ってようやく一息ついたイルは、大広間で待っていた二人に、行くぞ、と身振りで示して、そのまま館の外へと出る。
とにかく、一秒でも早く、一歩でも遠くへ、この館から離れたかった。
館を振り返りもせず、一言も喋らずに黙々と歩き続ける三人。
森を抜け、更に数刻歩き続け太陽が西の空に半分ほど隠れた頃に、イルが、今日はここで野営しよう。と二人に伝える。
「アレは一体なんだったんだろうね」
焚き火を熾し、携帯用の干し肉を軽く火で焙りながら、レオンがイルに尋ねる。
「……俺の知っている範囲の怪物に当てはめるなら、一番近いのは肉塊人形だな」
「何それ?」
耳慣れない単語にレオンが首を傾げる。
「簡単に言えば、人なり獣なりの死体で造った人造人形だ」
「ゴーレムって泥や石のやつくらいしか知らなかったけど……」
それにしたって、実際に見たことがあるわけでもない。
「まぁ、普通はゴーレムに会う機会なんてないからな」
ゴーレムとは自然に存在する魔物ではなく、魔術師やそれに類する者が人為的に作り出す人造人形である。造るということは当然材料が必要であり、購入するにしろ、探すにしろ、奪うにしろ、それなりの手間が必要になり、材料が貴重であればあるほど手に入れるのは困難になる。
「つまり、泥や石が一番お手軽に作れるって事?」
「そう言う事だ。伝説では、真銀で出来たゴーレムなんかもあったらしいがな」
「ふぅん……でもそれと不老不死の研究はどういう関係があるの?」
死体で人形を造っても、魔術師自身が不老不死になるわけじゃないでしょ?
「仮説なら立てられない事もないが、実際のところはディアス本人に聞いてみないとわからんな」
イルにしても専門的に魔術を修めたわけではない。恐らくはイルが生まれるよりも前から魔術を研究しているディアスが、何をしようとしているのか推し量る事はきわめて困難である。
「でも、イルって本当に物知りよね」
話が一段落したところで、ルフィが感心したようにイルに話しかける。
「まぁ、十年以上も旅をしていればな」
魔術師と一緒に仕事をしたことも一度や二度ではないし、神官の話を聞く機会も少なくない。
元々、神話や伝説、伝承の類が好きな事もあって、『そっち』方面の知識は学者の足元くらいに及んでいる。
「イルって昔の伝説とか無茶苦茶詳しいもんね。僕とかルフィの名前も昔の人の名前だし」
「そういえば、私その話よく知らないのよね。どんな話なのかちょっと教えてよ」
気の重い話に疲れた二人は、気を取り直すように干し肉に齧り付き、館での事を少しでも早く忘れようと、他愛もない話に興じる。
「そうだな……」
これ以上、実入りのない気の滅入る話を続けても仕方ないか。と、呟いたイルは、改めて座りなおし、かつて自分が大好きだった『戦士レオンと魔術師ルフィの物語』を二人に語りはじめた。