第7話:商会での新生活ともふもふの真実
アルバート商会は、街の商業地区にある立派な三階建ての建物だった。一階が店舗と倉庫、二階が事務所、三階がアルバート一家の居住スペースという構造になっている。
「ここが君たちの新しい住処だ」
アルバートが案内したのは、建物の裏にある使用人用の宿舎だった。決して豪華ではないが、清潔で最低限の設備は整っている。
「奴隷だからといって、動物のような扱いはしない。人間らしい生活をしてもらう」
アルバートの方針に、ユウトは安堵した。これなら、力を蓄えながら這い上がる準備ができそうだ。
「フィア、大丈夫?」
ユウトが心配そうに声をかけると、フィアは小さく頷いた。
「はい……ユウト様のおかげで、ずいぶん楽になりました」
まだ完全に回復したわけではないが、歩けるまでには回復している。《もふもふ治癒》の効果は確実だった。
「君たちには、それぞれ役割を与える」
アルバートが説明を始めた。
「ユウトは治癒担当だ。商会で働く人々の怪我や病気を治してもらう」
「わかりました」
「フィアは……」
アルバートがフィアを見つめた。
「君はなにができるかね?」
「あの……料理と裁縫が少し……」
フィアが遠慮がちに答えると、アルバートは頷いた。
「では家事全般を手伝ってもらおう。無理はしなくていい」
「ありがとうございます」
こうして、二人の商会での新生活が始まった。
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翌朝、ユウトは早速仕事を開始した。
最初の患者は、荷物運びで腰を痛めた中年の男性従業員だった。
「本当に治せるのか?」
疑い深そうな表情の男性に、ユウトは微笑みかけた。
「試してみませんか?」
男性の背中に手を当てると、《もふもふ治癒》が発動した。だが、相手は人間で毛がない。効果はあるのだろうか?
温かい光が発せられたが、昨日のような強力な効果は感じられなかった。
「あ……少し楽になったかな」
男性が驚いたような声を出したが、完全に治ったわけではなさそうだった。
「人間だと効果が薄いのか……」
ユウトは《もふもふ治癒》の特性を理解し始めていた。毛のある生物により強く作用するようだ。
次の患者は、調理場で火傷を負った女性だった。こちらも人間で、効果は限定的だった。
「やはり……」
昼休みになると、ユウトはフィアと二人きりになった。
「フィア、ちょっと頼みがあるんだ」
「なんでしょうか?」
「俺の能力を試させてもらえないか?」
ユウトの申し出に、フィアは首を傾げた。
「でも、私はもう治りました」
「いや、そうじゃなくて……俺の能力がどういうものなのか、もっと詳しく知りたいんだ」
フィアは少し考えてから頷いた。
「わかりました。ユウト様のお役に立てるなら」
ユウトはフィアの手を握った。すると、即座に《もふもふ治癒》が発動した。
人間相手の時とは比べ物にならない強力な光と温もりが流れる。
「あ……」
フィアが小さく声を漏らした。
「なにか感じる?」
「温かくて……安心します……」
フィアの表情が穏やかになっていく。そして、ユウト自身も不思議な感覚に包まれていた。
フィアの疲労や不安が自分に流れ込み、代わりに自分の生命力や安らぎが彼女に流れていく。まさに相互作用だった。
「これは……」
ユウトは能力の本質を理解し始めていた。これは単純な治癒魔法ではない。生命力と精神力の相互交流による、深いレベルでの癒しなのだ。
「ユウト様?」
フィアが心配そうに見つめる。
「いや、すごくよくわかった。ありがとう、フィア」
「お役に立ててよかったです」
フィアの笑顔を見て、ユウトは胸が温かくなった。前世では決して見ることのできなかった、純粋な好意の表情だった。
そのとき、フィアの狐の耳がピクリと動いた。
「あ……」
ユウトは思わずその耳に手を伸ばした。
「触っても……いい?」
フィアは顔を赤らめたが、小さく頷いた。
ユウトがそっと狐の耳を撫でると、フィアの表情がとろんとなった。
「気持ちいい……」
そして、ユウト自身も不思議な充実感に包まれた。《もふもふ治癒》が継続的に発動しているのだ。
「これが……もふもふの本当の力……」
毛のある部位に直接触れることで、より強力で継続的な効果が得られる。そして、それは治癒だけでなく、精神的な安らぎをもたらす。
「フィアの耳……すごく柔らかい」
「あ……あまり触らないでください……恥ずかしいです……」
フィアが顔を真っ赤にして俯いた。だが、嫌がっているわけではなさそうだ。
「ごめん。でも、すごく落ち着く」
「私も……ユウト様に触れていると安心します」
二人は自然と距離が縮まっていった。
そのとき、足音が近づいてきた。
「ユウト君、フィア嬢」
アルバートが現れた。
「あ、アルバートさん」
ユウトは慌てて手を離した。
「昼休み中にすまないが、急患だ」
アルバートの後ろから、血まみれの男性が運び込まれてきた。
「荷車の事故で大怪我だ。すぐに治療してくれ」
男性は意識を失っており、足から大量の出血をしている。明らかに重傷だった。
「わかりました」
ユウトは即座に男性のそばに駆け寄った。
だが、患者は人間だった。《もふもふ治癒》の効果は限定的になる。
「これは……」
手を当てて治癒を試みるが、出血は止まらない。
「どうした? 治せないのか?」
アルバートが心配そうに見つめる。
「人間だと……効果が薄いんです」
ユウトが困り果てていると、フィアが前に出た。
「私にも……触らせてください」
「フィア?」
「ユウト様一人では足りないなら……私も一緒に」
フィアがユウトの隣に膝をついた。
「でも、君は治癒能力がないだろう?」
アルバートが疑問を呈すると、ユウトがひらめいた。
「いや……もしかしたら」
ユウトはフィアの手を握り、もう片方の手で患者に触れた。
すると、驚くべきことが起こった。
フィアを経由することで、《もふもふ治癒》の効果が増幅されたのだ。ユウト→フィア→患者という流れで、より強力な治癒力が発動した。
「おお……」
患者の出血が止まり、傷が塞がっていく。
「すげえ……」
アルバートが感嘆の声を上げた。
「フィア嬢が増幅器の役割を果たしているのか」
治療が完了すると、患者の意識も戻った。
「あ……ありがとうございます……」
命を救われた男性が涙を流して礼を言った。
「いえ……フィアのおかげです」
ユウトがフィアを見ると、彼女は嬉しそうに微笑んでいた。
「ユウト様のお役に立てました」
「ああ、本当にありがとう」
二人の連携治療は大成功だった。
「素晴らしい!」
アルバートが手を叩いた。
「君たちはチームとして最高の組み合わせだ」
その夜、宿舎で二人だけになった時、ユウトは改めてフィアに礼を言った。
「今日は本当にありがとう。君がいなかったら、あの人を救えなかった」
「いえ……私はなにもしていません。ユウト様の力があったから」
フィアは謙遜したが、彼女の役割は重要だった。
「そんなことない。君は俺の能力を増幅してくれる。すごく大切な存在だ」
ユウトの言葉に、フィアの目に涙が浮かんだ。
「本当に……そう思ってくださるんですか?」
「もちろんだ」
「私……今まで誰にも必要とされたことがなくて……」
フィアが自分の過去を語り始めた。
「両親を亡くしてから、ずっと一人ぼっちでした。奴隷になってからも、だれも私を大切にしてくれませんでした」
彼女の境遇は、前世のユウトと重なる部分があった。
「でも、ユウト様は違います。私を……必要だと言ってくださる」
「ああ、君は俺にとって大切な人だ」
ユウトが素直に気持ちを伝えると、フィアは嬉し涙を流した。
「私も……ユウト様が大切です」
二人は自然と抱き合った。フィアの狐の耳と尻尾がユウトに触れて、《もふもふ治癒》が穏やかに発動する。
「温かい……」
「ああ……すごく安らぐ」
お互いの心の傷が癒されていく感覚があった。孤独だった過去、辛い記憶、不安な未来……すべてが和らいでいく。
「フィア……」
「はい……ユウト様……」
二人は言葉よりも深いレベルで繋がっていた。《もふもふ治癒》は、単なる治療技術ではなく、心と心を結ぶ絆でもあったのだ。
「これからも……一緒にいてくれる?」
ユウトの問いかけに、フィアは迷わず答えた。
「はい。どこまでも、ユウト様と一緒に」
その夜、二人は寄り添うようにして眠った。フィアの尻尾がユウトの腕に巻きつき、穏やかな《もふもふ治癒》が一晩中続いた。
翌朝、ユウトは これまでにない爽快感で目覚めた。
「すげえ……こんなに体調がいいのは初めてだ」
一晩中続いた相互治癒の効果で、身体能力が向上している感覚があった。
フィアも同じようで、肌に艶があり、表情も明るい。
「おはようございます、ユウト様」
「おはよう、フィア」
朝の挨拶を交わしながら、ユウトは《もふもふ治癒》の可能性を確信した。
これは単なる治癒能力ではない。使い方次第で、自分と相手を同時に強化できる。そして、心の絆を深められる。
「この力を使えば……」
ユウトの頭に、壮大な計画が浮かび始めた。
まずはフィアとの絆を深め、お互いを高め合う。そして、他の獣人たちとも繋がりを作っていく。
やがては強大な仲間ネットワークを構築し、この世界で力を持つ。
そして最終的には……
「田中たちに……必ず復讐してやる」
復讐への炎は消えていない。むしろ、《もふもふ治癒》という武器を得て、より現実的な計画に昇華されていた。
「ユウト様?」
フィアが心配そうに見つめる。
「ああ、大丈夫。今日も頑張ろう」
ユウトは笑顔を作った。フィアには、まだ復讐のことは話していない。
まずは彼女との信頼関係を確立し、商会での地位を固める。それが第一歩だ。
「はい! 今日もユウト様と一緒に頑張ります!」
フィアの明るい返事に、ユウトの心も軽やかになった。
アルバート商会での新生活は、順調なスタートを切った。そして、《もふもふ治癒》の真の力も見えてきた。
復讐への道のりは長いが、確実に前進している。
今度こそ、誰にも負けない力を手に入れてみせる。
ユウトの決意は、日に日に強くなっていった。