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公式企画参加作品集

愛しの水族館

作者: ミント

 その水族館には、世界中のありとあらゆる海洋生物が展示されている。




 簡単に言ってのけるが、これが実はなかなかすごいことなのだ。

 例えば巨大な体でお馴染みのマンボウはストレスに弱く、水槽内でぶつかって死亡するケースが多いため水族館での飼育が難しい。他にも強い毒で同じ水槽の魚たちを全滅させることもあるミナミハコフグ、回遊魚のため生け捕りが難しいカツオやサンマ、人間にとっては未知の領域が多い深海魚など。いずれも「生きている状態」を人の手で維持し、管理することが困難なため展示している水族館は決して多くない。




 だが、この水族館ではそんな生き物たちが平然と展示されている。




 海水魚、淡水魚、熱帯魚、深海魚。魚だけではない、貝やイソギンチャク、ウミガメといった他の海洋生物も種類豊富だ。その多種多様ぶりは子どもたちはもちろん大人にも大人気、専門分野の研究家からも高い評価をされており連日たくさんの来館者で賑わっている。


 この水族館の開設者であり、自らも海洋生物調査員として何度も地元の海に足を運んでいるという海原大吾氏は「この水族館の秘密は『水』にある」と話している。


「この水族館では『人と海洋生物の共存』をテーマにしています。全ての生き物は母なる海からやってきて、水に支えられながら生きていく。だからこの水族館にある『水』にも、徹底的にこだわっているんです」


 海洋生物を愛してやまないという彼は少年のようにキラキラした目で、マスコミの取材に対し熱くそう語っていた。




 ◇




「いくら、『水』にこだわっていても、この水族館の種類の多さは異常だ。絶対、何か秘密がある」


 そう呟きながら、私はすっかり人のいなくなった館内の死角に身を隠す。


 水族館という場所は生き物がいるだけあって、閉館してもいくらか職員が残っているものだ。その監視の目を掻い潜り、暗い水槽の近くで様子を窺っていれば……他の飼育員がいなくなった後、海原氏が一人で悠然と水族館の中を歩くところを見かける。時々、水槽の中にいる生き物たちに愛おし気な目を向けるその姿はインタビューで見た通りの「海洋生物を愛してやまない男」だった。こうして水族館を作るぐらいなのだから当たり前ではあるが、本当に海やそれに関わるものが好きなのだろう。そんなことを考えていたら、海原氏がスタッフ専用の隠し扉を開いた。私はその後ろを慌てて追いかける。


 バックヤードがあること、それ自体は水族館なら普通だ。水族館にいるのは人目を浴びる生き物だけではない。展示スペースの問題や水槽に空きができた時の補充、感染症にかかった個体の隔離のためこうして人目につかないところで飼われている生物もいる。


 だが、生物たちの体調管理や餌やりは既に飼育員があらかた終わらせていたはずだ。水に紛れ、様子をじっと窺っていた私にはわかる。仮にあったとして、それは館長がわざわざ一人で行わなければならないようなことなのか?


 戸惑いと好奇心を抱えながら、進んでいけば海原氏は一際、大きな水槽の前で立ち止まる。


「姫、調子はどうだい?」

 言いながら海原氏が、そっとカーテンを開ける。


 甘ったるい声に、芝居がかった口調。その上、「姫」という呼びかけ方……いい歳した大人が何に喋りかけてるんだ? と一瞬げんなりとしたが、海原氏の視線の先を見てはっと息を飲む。

 カーテンの向こう側にあったのは、水槽だった。


 大きさは小学生が入るぐらいだろうか、控えめのライトに照らされたそれは静かで泡も見られない。暗い水はガラスとなって、水槽を覗き込む海原氏の顔を映しているが――その中に、干からびた人間の手のようなものが見える。


「っ誰だ!?」


 思わず身を乗り出した私に気づいたのか、海原氏がこちらを振り返る。その拍子に、水槽の中に入っているものの正体がはっきり見えた。


 海草のように、水中を蠢くそれの正体は髪の毛だった。その隙間からサンゴのような腕がにゅっと出てきたかと思うと、かっと見開かれた黒目に睨まれる。どうやら人間に近い姿をしているようだが、そいつとはっきりと目が合ってしまった……思わず悲鳴が漏れ出そうになるのを、両手で抑え込む。そんな私の様子を見て、海原氏が水槽の「それ」を庇うように背に隠しながら私の方へと近づいてくる。


「……なんだ、君は。こんな所で何をしている」


 冷静に、しかしどこか非難がましい口調でそう問いかける海原氏。彼からしてみたら私は侵入者で、おそらくこの水族館のトップシークレットを見てしまったのだ。警戒するのが当然だが、私は水槽の中を見てしまった衝撃の方が大きくて、黙ることしかできず――しばらく沈黙が続いた後、海原氏が諦めたように溜め息をつく。


「何のつもりか知らないが、私と『姫』との時間を邪魔しないでいただきたい。……言っておくが、このことを誰かに話すのはやめておいた方がいいぞ。不法侵入を咎められた上に、君がおかしいと思われるだけだからな」


 それだけ言うと海原氏が水槽の方に向き直り、「それ」に再び愛おし気な目を向ける。




 あれが「姫」……?




 混乱する私を尻目に、海原氏はゆっくりと水槽の方へ戻っていく。両手を広げ、甘い声で「驚かせてしまったね」などと囁くその姿は恋に溺れた王子様のようだ。一方、その海原氏に言い寄られている「姫」は大したリアクションを見せない。人間というより猿に近い見た目だが、長い髪と胸が見えたので「姫」という性別に間違いはないのだろう。服は着ていないが、それ以上に目を引くのは下半身の鱗――鯉のように大きな鱗が光を反射して、薄暗い中でもキラキラと輝いている。


「この水族館の近くにある海で、生態観察を行っている時に『姫』と出会った。どうやら岩場に打ち上げられていたらしく、研究室で手当てし観察していたんだが……彼女のDNAは人間のそれと海洋生物のそれ、両方の特徴を持っていたんだ」


「……人魚、なのか?」


 二つの生き物の名前をくっつけた、実に単純な種族名を言えば海原氏は頷いてみせる。


「『姫』は水の中でしか生きられないし、言葉も話せない。しかし私たちは魂の対話を繰り返し、互いに愛を育んだ。そうして私は『姫』と共に暮らせるように、彼女が海に近い環境で暮らせる状況を……水族館を、作ったんだ」


 目尻を下げる海原氏と対照的に、問題の「姫」は黒目で呆然と水中を見つめている。そこに人間と意思疎通を交わす思考力が、あるとは思えないのだが……熱っぽく海原氏は話し続ける。


「『姫』と大量の海洋生物たちと暮らしているうちに、驚くべきことに気がついた。『姫』の浸かった水には他の生物を生き永らえさせる力があるんだ。瀕死の魚も、『姫』と同じ水槽に入れればたちまち元気になる。人の手で育成するのは困難とされる種も『姫』の水でなら何の苦労もせずに育つ……淡水、海水や生息環境の違いも関係ない。『姫』の水には全ての生き物を強化し、不死身の肉体とする効力があったんだ」


「……それが、この水族館の秘密、ということか」


 呻くように、私は呟く。




 人魚は生命力が強く、首を落とされるまで死なないとされている。


 その神秘の力が生息する水にまで流れ出している、ということだろう。この水族館の圧倒的な展示数は、それを知った海原氏が人魚の浸かった水を利用したことで生まれのだ……そんなことを考えていたら、海原氏が「誤解しないでほしいが」と切り出す。


「私は『姫』を利用しているわけでも、閉じ込めているわけでもない。私と『姫』は愛し合っている、これは『共存』なんだ。私は『姫』のためにこの水族館を経営し『姫』にとって心地いい空間を作り出すことに尽力している、『姫』は私のためにその人魚の水を生み出し他の多くの海洋生物が生きられる環境を作り出している……だから君には、私たちの邪魔をしないでほしい」


 今だって二人の愛の時間に水を差されて、迷惑しているんだ。


 言い終えた海原氏は私には目もくれず、水槽にいる「姫」に抱き着くように手を回す。ガラスが汚れるだろう、と思ったが私は素直にその場を立ち去ることにした。別に、私は彼を止めに来たわけではない。




「姫」だの「愛し合ってる」だのはともかく、海原氏が人魚を保護し安全な生育環境を整えていることは確かだ。古来種の極めて野性に近いタイプの人魚は、水中以外では生きられず自力で生きるには限界がある。海原氏の言う「共存」を行うのは、自分自身の命を守るために最適な選択肢と言えるかもしれない。


「……まぁ、本人に不平不満がないのなら、仕方ない」


 そう独り言を漏らしながら、私は水族館に隣接する海辺へ向かう。




 短期間での二足歩行と陸上行動、簡単な言語習得。いずれも人間社会で生きるための独自進化を遂げた人魚の特徴だ。習得した個体は少なく、繁殖のためには同胞を探し求めて放浪しなければならない。……残念ながら今回は空振りだ。


「早く、パートナーを見つけたいものだ」


 嘆きながら私は人間への擬態を解き、海の中へと飛び込んだ。


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― 新着の感想 ―
残念! 姫は擬態出来ないのか。 ん? 姫は擬態出来ない…………? 彼女は「私」と別の種なのかな。 流石、海だ! 未知の種も多岐にわたるんだろうなあ。
水族館のコンセプトである「人と海洋生物の共存」と、それを実現させるための「水」へのこだわり。 その裏には、このような秘密が隠されていたのですか。 母なる海には人知を超えた神秘が眠っているのですね。
うへえ~なるほど……。 オチが秀逸でした。 世の中にはこっそり奇妙なことがある…そんな気分になりました。 読ませていただきありがとうございました!
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