アンゴラウサギの正体(ジェナロ)
『できません』
――そのはずだったのだが……。
どれほど多額の金銭を支払うと告げても、神官達はロルティの引き渡しを拒否した。
彼女が聖なる力を使える聖女見習いとして特別な教育を受けているため、今さら父親が現れた所で引き取れないと言うのだ。
『無理です』
何度も交渉を重ねたが、教会側は拒否の一点張り。
正当法で彼女の忘れ形見を引き取るのは無理があると知った彼は、奥の手を使ってロルティを奪い取ると決めた。
『父さん! 辞めたって、どうして?』
そのためには、信頼のおける男性の協力が必要不可欠だ。
ジェナロは熟考の末、息子の護衛騎士兼友人として雇っていた少年を教会に送り込む。
その結果ジュロドからはその騎士を雇い直してくれと懇願されたが、今は愛のない政略結婚の末に生まれた息子の願いよりも、愛する人から生まれた娘を助けることが最優先だ。
ジェナロは自身に縋るジュロドに冷たい言葉を投げかけ、遠ざけた。
『ジュロドには、関係のないことだ』
彼はいつものように肝心な話を告げず、何もかもを自分自身で片づけようとした。
『旦那様の悪い癖ですよ!』
――だが。
それから4年後。愛娘を教会から助け出す手筈が整った際に見た夢で、久しぶりに愛する人の姿を思い浮かべた彼は――。
(このままではいけない……)
今のままではまた悲劇を繰り返すだけど気づき、息子にずっと隠していた秘密を打ち明けると決意した。
『僕に、妹がいるの……?』
『そうだ。これからともに、ここで暮らすことになるだろう』
『一緒に……』
『兄として、妹を守れるような男になれ』
『うん……。わかった……』
ジェナロは急に妹がいると言われても、実感が沸かないのだろう。
随分と戸惑っている様子だが、気にも止めなかった。
彼にとって息子は、跡取りとして必要な存在。
それ以上でもそれ以下でもないと考えていたからだ。
(たった数週間で、ここまで考え方が変化するとはな……)
ジェナロは自分でも不思議なくらいに、ロルティが公爵家で暮らすようになってから息子にも愛情を注げるようになった。
『パパ! おにいしゃまにもわたしと同じくらい、好きって言わなきゃ! めっ!』
生まれてから今に至るまで、顔も合わせたことすらない。
愛する人の娘を引き取った所で、本当に愛情を注いでやれるのかと不安に思っていたのが嘘のように。
ジェナロとジュロドは、あっと言う間にロルティの虜だ。
(このまま穏やかな日々が、ずっと続けばいいが……)
じっと窓の外を眺めていた彼は、視線を室内の床に移して難しい顔をする。
ジェナロの目の前には、ブルブルと全身を震わせるアンゴラウサギの姿があったからだ。
「んきゅう……」
この獣は彼と2人きりになってから、ずっとこうして怯えている。
子ども達をそれほど怖がっていないあたり、がっしりとした身体つきや不機嫌そうなきつい瞳が悪いのだろう。
「安心しろ。何もしない」
「ぴきゅ……!」
警戒心の強いアンゴラウサギはブルンブルンと勢いよく左右に首を振り、小さな足をちょこちょこと動かす。
その後壁の隅に挟まり、身を縮こまらせた。
(この状態でよく、研究員達は精密検査を終えられたな……)
ジェナロは優秀な部下達を内心褒めながら、机の上に置いてあった報告書を手に取り読み進める。
『被検体番号GH6658 神獣と断定』
精密検査の結果、ロルティのペットとして飼育されているアンゴラウサギは、この世界で生息している姿をほとんど目撃できぬ、珍しい神獣だと発覚した。
(アンゴラウサギのようなもの、が正しいのだな……)
この獣は大人しく、活動的なロルティが外に連れ出そうとしても絶対にその場から動かなかった。
それを不審に思ったジェナロが調べを進めた結果、こうした事実が明らかになったのであれば――この獣自身が特別な存在なのだと自覚があると考えるべきだろう。
(ロルティのそばにいるのは、聖なる力が使えるからだろう)
ロルティは聖女見習いとして厳しい訓練に耐えた結果、聖なる力を使って人々の傷を癒やせるそうだ。
(この力をどうにかして失わせるのは、難しい)
ならば、公爵家の兵力を高めて来たるべき戦いに備えておくのが、唯一彼が愛娘にできることだろう。
(俺は愛する人を、守れなかった)
ジェナロは拳を握り締めながら、再び窓の外を見る。
いつの間にか、子ども達の姿は消えていた。
(せめて、ロルティだけは……)
彼女の代わりに娘を守りたいと考えることすら、烏滸がましい。
その自覚くらいはあるが……。
それがジェナロのできる唯一の罪滅ぼしであれば、やるしかないのだ。
「パパー!」
彼が人知れず心の中で愛娘を守ると決意を秘めれば――勢いよく廊下に繋がる扉が開き、ロルティがジェナロに向かって飛んでくる。
「あっ。こら! ロルティ! ノックもなしに、駄目だろ?」
「むきゅう!」
「あっ。うさぎしゃん!」
後方から顔を出した兄に怒られた妹が父親の足元へダイブする前に歩みを止めれば、小さな足を動かして壁の隅っこから真っ白なもふもふとした獣がロルティの胸元へと飛び込んでいく。
彼女はしっかりとアンゴラウサギを抱きしめると、嬉しそうにはにかんだ。
「んむきゅ!」
「元気いっぱいだね!」
「きゅむ~!」
先程までこちらが気の毒になるくらい怯えていたとは思えぬアンゴラウサギの姿を目にしたジェナロは、口元を綻ばせた。
(俺達はロルティがいなければ、駄目になってしまったようだな……)
彼女はハリスドロア公爵家を照らす、太陽だ。
最愛の娘が神獣をかわいがる姿を見つめていれば、気まずそうに視線を逸しながらジュロドが声をかけてくる。
「ごめん、父さん。ロルティが、会いたいって……」
「……いや」
ジェナロは執務室にジュロドがやってくるのを、極端に嫌っていた。
それは元妻がかつて許可なく押しかけては喚き倒していた際の、トラウマからくるものなのだが――。
「たまには、悪くはないだろう」
ジュロドの頭を優しく撫でた彼は書類を再び机の上に置くと、ロルティをアンゴラウサギごと抱きかかえた。
「わー! パパ! 高ーい!」
「ああ。部屋まで送る」
「いいの!?」
「せっかく来てくれた愛娘を息子と2人きりで黙って帰すほど、俺も忙しくはない」
ロルティが来る前はそうやって何度も追い返していたのにと、批難の視線がジュロドから飛んできた。
「ありがとう! パパ! 大好き!」
それを無視した彼は、かわいい愛娘のぬくもりを堪能しながら。
2人と1匹を自室へ送り届けた。