★父の過ち(ジェナロ)
※母親が亡くなるシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
(子ども達は、打ち解けるのが早いな)
執務室の窓から中庭で遊ぶ子ども達の姿を確認したジェナロは、昔を懐かしむように目を閉じる。
――愛のない政略結婚でジュロドの母親と結婚した。
それがジェナロ・ハリスドロアにとって、悲劇の始まりだった。
跡取りさえ産めば、妻になど用はない。
彼は徹底的に彼女を避け、必要以上にかかわろうとしなかった。
『どうして奥様に、冷たくするんですか!?』
そんな妻の姿を目にしたメイドがジェナロに直談判した結果、ロルティの母親との関係は始まった。
『私は奥様が、かわいそうでなりません』
彼女が妻を思いやるたびに、その優しさにジュロドは惹かれていった。
(このままではいけない)
妻と関係を続けている限り、彼女はけして振り向いてなどくれないだろう。
そう考えたジェナロは、妻に離縁状を叩きつけた。
『ジュロドを置いて、1人で出て行け』
『あなたはいつもそう! 他人を都合よく扱い、用が済んだらすぐに捨てる! あの子だって、きっとそうなるわ!』
『貴様と彼女を、同列に扱うな……!』
彼は間違いを正すため、大金と引き換えに妻との離縁を成立させた。
ジュロドはしばらくの間大泣きしていたが、乳母にあやされたらすぐに大人しくなる。
(すぐさま彼女との距離を縮めれば、不倫を疑われる……)
それからジェナロは、虎視眈々と彼女と距離を縮める機会を窺った。
ロルティの母親は表面上、何事もなかったかのように働いていたが――ジェナロと視線がかち合うたびに目元を釣り上げ、不機嫌そうに視線を逸らす。
その反応は誰に対しても元気で明るい彼女らしくない。
だが彼女は、元妻に同情するほど心優しい女性だ。
きっとジェナロが彼女を愛するあまり、元妻を追い出した件やらなんやらにいろいろと思うところがあるのだろう。
そう考えた彼は、大して気にも止めなかった。
それが二度目の過ちだと気づいたのは、随分とあとになってからだ。
ジェナロは自身の罪を、元妻を追い出すことで精算したつもりになっていた。
その直後に再び間違いを犯し、愛する人とその娘の人生をめちゃくちゃにするなど想像もしていなかった彼は――そうして、元妻と離縁してから3年後に彼女へ好意を伝えたのだ。
『君を愛している』
その時彼女が浮かべた不安や絶望がごちゃまぜになった表情を、見て見ぬ振りなどしなければ。
気持ちを確かめることなく、同じだけの愛を返すのが当然だと自分勝手な欲望をぶつけなければ。
彼女はまだジェナロの隣で、笑顔を浮かべていたかもしれないのに――。
彼の身勝手な気持ちを直前で受け止めきれないと悟った彼女は、結婚式の直前で姿を消した。
『なぜだ……!』
公爵の仕事など、手につくわけがない。
深い悲しみに包まれたジェナロは、死にもの狂いで彼女の行方を探した。
やっと幸せな日々が訪れると、信じて疑っていなかった。
今度こそ大切に慈しみ、離れていかないように溺愛しようと決めた。
その矢先だったからだろうか。
『彼女はここにはいない』
彼は僅かな手がかりを頼りに訪れた場所でそう見知らぬ男女に宣言されるたびに、心をすり減らしていった。
『酷い顔ですね。まるで死人みたいです。公爵家の当主なんですから! 笑顔を心がけましょう!』
ジェナロは必死に彼女と過ごした楽しかった思い出を脳裏に思い浮かべ、必死に耐える。
『やっと彼女の、引き取り手が来たか……』
愛する人と再会できたのは、彼女と別れてから3年後。
物言わぬ躯となった彼女が土の中へ埋められ、骨になってからだった。
『どうして、こんなことに……!』
――何度謝罪を繰り返したところで、彼女は戻ってこない。
強い喪失感に駆られた彼に同情したのか。
愛する人の死を告げた女性はジェナロに、ある情報を伝えた。
『あんたが赤子の父親かい?』
『子ども……?』
『そうだよ。あの子はここに来た時、妊娠していた。あたしが取り上げたんだけど、肥立ちが悪くてねぇ……』
彼女が亡くなった理由を知ったジェナロは、女性に詰め寄り大声で叫ぶ。
『赤子は!?』
『あたしは産婦人科医だけど、得体のしれない赤の他人を育てるほど暇じゃない。教会に預けたよ』
『あんな評判の悪いところに捨てたのか!?』
『人聞きの悪いことを言うんじゃないよ。あの子がね、言ったんだよ。血筋は確かだから、いつか父親が迎えに来るその日まで。神の元で育てるのがいいと……』
『そんなわけあるか!』
怒りでいっぱいの彼にとって、産婦人科医の言葉は火に油を注ぐようなものでしかない。
彼が居ても立っても居られないとばかりに踵を返せば、女性はジェナロの後ろ姿に叫ぶ。
『あんた! 子どもの名前と性別! 聞きたくないのかい?』
その声を耳にした彼はその場に留まりこそしたが、この場で振り返り女性と視線を合わせるなどできそうになかった。
(なんでこんな奴が彼女の最期を看取れて、俺は……)
悔しくて、苦しくて。
一番つらい想いをしていたのは彼女であるはずなのに、瞳からはみっともなく涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
(俺はいつだって自分勝手で、愛する人を傷つけてばかりだ……)
後悔したって、失われたものはもう二度と戻らないとわかっているのに。
彼は、記憶の中で自身に笑いかける愛しい人の姿に手を伸ばしてしまうのだ。
『旦那様!』
ひまわりの花が咲くような笑顔が好きだった。
この国でたった1人しかいない。
貴重な翡翠の瞳を持つ美しい彼女を、独り占めしたかった。
ただ、それだけだったのに。
『愛しています』
――優しく微笑んだ彼女が自身に愛を囁く姿を、一目でいいから見てみたい。
その願いはもう二度と、叶えられなくなってしまった。
『――ロルティだよ。翡翠の目をした、女の子さ』
だが――彼女がこの世に残した幼子は、まだ生きている。
特徴的な翡翠の目を母から譲り受けたロルティと名づけられた娘を大金と引き換えに渡せと命じれば、教会は喜んで彼女をこちらへ差し出すだろう。
『今度はあの子と一緒に、墓参りに来な!』
ジェナロはその足で教会に向かい、愛する女性の娘を保護しに向かった。