おにいしゃまと出会う
「父さん」
ロルティはジェナロのことを父と呼んだ少年を、じっと見つめた。
(どうして、パパを呼ぶの……?)
年齢はロルティよりも数歳年上だろうか。
金色の髪に赤い瞳は、ジェナロと瓜二つだ。
「彼女が、僕の妹ですか」
「そうだ」
彼女に訝しげな視線を向ける少年に、父親が声をかける。
彼は抱きかかえていたロルティを地面に下ろすと、彼女の腕の中にいたアンゴラウサギを奪い取り、背中を押した。
つまり、きちんと面と向かってこの少年に挨拶をしろと言いたいのだろう。
「わ、わたし……。ロルティ……」
スカートの裾を握り締めた指先と、声が震える。
目の前にいる少年の声には、明らかな敵意があった。
もしも不敬を働けば、一生見下し蔑まれ続けるだろう。
『泣いてばかりの小さな子どもが、立派な聖女として育つはずがない』
『強い力を発現させるには、命の危機を抱かせるのがいいらしいぞ!』
『もっと痛めつけろ!』
彼女が真っ先に思い出すのは、教会で寄って集ってロルティを虐げる神官達の姿。
『愚図なあんたに、これは必要ないわよね!』
そして、前世の姉が彼女から何もかもを奪い取る様子で──。
「うん。知ってるよ。父さんから、聞いたからね」
「え……?」
彼女はぽかんと口を開けて、少年を見上げた。
先程までの剣呑な雰囲気が嘘のように、優しい声音で話しかけられたからだ。
「はじめまして、ロルティ。僕はジュロド・ハリスドロア。君の兄だよ」
ロルティには何がなんだか、さっぱり理解できなかった。
ある日突然父親が自分を迎えに来て、公爵家に連れて来られたかと思えば、兄と名乗る少年と引き合わされたからだ。
「お兄、ちゃん……?」
「そうだよ。父さん。説明してないの?」
「ああ……。顔合わせを済ませてからの方が、信憑性が増すだろう」
「父さんはどれだけロルティに、信用されていないんだ……?」
初めて声を聞いた時とは打って変わり、彼は優しげな声音で思案する。
その視線には、ロルティに向けた敵意は感じ取れない。
(見間違い、かな……? それとも、演技……?)
どちらなのかは、経験の乏しい幼子には判断できず……。
彼女は不安そうに父親へと振り返り、彼を見上げた。
「紹介しよう。母親の異なる君の兄、ジュロドだ。年齢は、ロルティの四つ年上」
「僕のことは、お兄様って読んでくれると嬉しいな」
「お兄しゃま?」
「そうだよ。父さんに似なくて、本当によかった」
ジュロドは慈愛に満ちた笑みを浮かべると、ロルティを抱きしめた。
(お兄しゃまは……悪い人じゃ、ない……?)
彼女に危害を加えるつもりであれば。
今頃腹部をぐさりと一発。鋭利な刃物で、突き刺されているだろう。
そうした流血沙汰が起きていないところを見る限り、彼が心の底から長年離れて暮らしていた妹を歓迎する気があるのだと読み取るべきだった。
「こんなにかわいい妹と、6年間も触れ合えなかったなんて……。人生の損失にも、程がある」
「同感だ」
「父さん。これからは、ロルティとずっと一緒なんだよね」
「もちろん」
「朝目覚めて、食事から散歩。勉強の時間。入浴を済ませて、一緒のベッドで眠る時も?」
「ドサクサに紛れて、聞き捨てならない言葉を混ぜるな」
「なんのことだか、さっぱりわからないよ」
「ジュロド……」
父親と兄は互いに目を合わせると、バチバチと火花を散らした。
どうやら息子だけに、ロルティを独占させるつもりはないらしい。
(二人は、仲が悪いのかな……?)
まさかロルティを巡って争っているなど知りもしない彼女は見当違いな不安に襲われ、声を張り上げた。
「パパ!お兄しゃま! 喧嘩しちゃ、めっ!」
二人の仲裁に入った娘が叱りつければ、そのかわいらしさにやられた兄が口元を抑え……。
恍惚とした表情を浮かべた。
「ロルティ……。ほんと、かわいい……」
「おい、ジュロド。ロルティをペット扱いするな」
「父さんだって、心の中ではそう思っているくせに」
「な……」
「素直に言葉に出せない大人は、嫌われるよ?」
「ジュロド……!」
どうやら父親よりも、兄のほうが1枚上手のようだ。
娘に頼りがいのある親だと思われたかったジェナロが、彼女を猫かわいがりしたい気持ちをぐっと堪えているのが仇になった瞬間だった。
父親に怒鳴りつけられたジュロドは満面の笑顔を浮かべると、妹に明るい声で告げる。
「あはは! 行こう、ロルティ! 今日からは、兄妹一緒の部屋で暮らすんだよ!」
ジュロドはロルティが警戒しているなど露知らず、右手を引っ張った。
(パパのこと、置いて行ってもよかったのかなぁ……?)
彼女はチラチラと後ろを振り返って父親に止めなくていいのかと目線で訴えかける。
「旦那様」
「ああ……」
使用人らしき男性に話しかけられていた父親はロルティが自身を見つめているのに気づき、ひらひらと手を振った。
どうやら、問題ないらしい。
彼女は屋敷の内部を物珍しそうに眺めながら、これから暮らす部屋へ向かった。