馬車の中で
(カイブルはパパが迷いの森で待ってるって、知っていたんだね)
ロルティを置き去りにしても、身の安全が保証されていると。
彼が確信していた理由を知った彼女は、父親の腕の中で初めて乗る馬車に揺られ、ジェナロの顔立ちをじっと見つめた。
(パパの瞳は、真っ赤……)
幼子の瞳の色は、エメラルドだった。
彼の血を引いているとは思えぬほど外見的特徴が似ていないのに気づいたロルティは、本当に彼が父親なのだと疑う気持ちを隠しきれなかった。
(金髪の人は、神官にだって何人もいた……)
この世界において金髪の人間は、そう珍しいものではない。
どこにでもありふれている髪色だ。だが、翡翠の瞳はそうもいかなかった。
(パパがエメラルドの瞳だったら、すぐに確信が持てたのに……)
ロルティは一度、カイブルに問いかけた経験があった。
『どうして教会には、エメラルドの目をした人間がいないの?』
『翡翠の瞳を持つ人間は、この世界でたった二人しかおりません』
『それって、だぁれ?』
『いずれ、わかりますよ』
彼はロルティの他に、誰が翡翠の目を持っているのかまでは教えてくれなかった。
まだ幼い子どもに伝えても、無意味でしかないと考えたのかもしれない。
それか一生教会から出られない少女に希望を無責任に抱かせるのは、あまりよくないことだと考えたのか……。
今となっては、彼女には知る由もない。
(やっぱりカイブルも、わたしと一緒にいてほしかったなぁ……)
ロルティにとってジェナロは、自称血の繋がった父親でしかないが──カイブルは自らの身を危険に晒してまでも、彼女を助けてくれた。信頼できる人だ。
(そしたらわたしが、こんなに悩む必要はなかったのに)
彼が太鼓判を押してくれたら、ロルティは目の前で自分を抱きしめてくれる父親が本物か偽物かを決めかね、頭を悩ませる必要はなかった。
(むむぅ……)
唇を噛み締め不機嫌そうに眉間へ皺を寄せたロルティは、父親の真意を探るためだろう。
再びジェナロの瞳を、じっと見つめた。
(パパは、いい人? それとも、悪い人……?)
教会で聖なる力を高めるための訓練と称して、様々な虐待に限りなく近い暴行を受けてきたのだ。
神官達の私利私欲に揉まれた特徴的な視線は、何度も目にして記憶している。
──ロルティは同年代の子どもより、かなり警戒心が強かった。
表向きはジェナロを父親だと認めたような態度を見せているが、心の奥底ではまだ信じきれていない。
(おとうしゃまとは、違う目をしているような……?)
彼がロルティを見つめる視線は、教会で彼女を虐げてきた養父とは比べ物にならないほど優しい。
慈愛に満ち溢れていると称するべきだろう。
それは、カイブルが彼女に向けるものと酷似していた。
(初めてわたしのパパだって、名乗り出てきた人……)
カイブルを基準に物事を考えるロルティは、自身を逃してくれた聖騎士と同じ視線でこちらを見つめる自称父親が、きっと悪い人ではないのだろうと。
今度こそ、迷いなく結論づける。
(疑いたくないし、信じてみたい)
着の身着のまま教会を追放されたロルティにとって、庇護してくれる大人は貴重な存在なのだから……。
「どうした。俺の顔に、何かついているか」
百面相をしながら自身の顔をじっと見つめている娘が、ずっと気になって仕方なかったのだろう。
ジェナロが声をかけてきたのは、彼女にとって好都合だった。
「どうしてパパとわたしの瞳は、色が違うの?」
ロルティは疑問を解消するために、ある質問を投げかけた。
それを耳にした父親は、難しい顔で彼女に告げる。
「ロルティは、妻の遺伝子を受け継いだんだ」
「つま?」
「君の母親は、エメラルドの瞳をしていた」
「わたし、ママと同じなの!?」
「ああ。そうだ」
ロルティはようやく、カイブルが言葉を濁した理由を理解した。
ジェナロから話すべきだと、遠慮した結果なのだろう。
パッと笑顔を浮かべた彼女は、すぐにキョロキョロと辺りを見渡し――母親の姿を探しながら、疑問を口にした。
「ママは……? パパのお家で、わたしを待っててくれる……?」
「いや……」
ジェナロがロルティを抱きしめる力を強めた瞬間、彼女は母親が公爵家にいないのだと悟った。
言いづらそうにしている辺り、このあとに続く内容はあまりよくない話なのだろう。
察しのいいロルティは自ら父親に向かって、彼が口にするのを嫌がっている単語を伝えた。
「ママ、死んじゃったの……?」
「すまない。ロルティ。俺が身重の彼女を、もっと気にかけてやれば……」
ジェナロがいつまで経っても事実を明らかにしなかったのは、幼いロルティに伝えても意味が理解できないと考えているわけではなく……。
彼女の母親が亡くなったのを、酷く悔いているからのようだ。
全身を震わせる程の怒りと後悔に苛まれている父親の姿を目にした娘は、自然と彼の頭部に手を伸ばしていた。
「いい子、いい子。パパは、何も悪くないよ」
「ロルティ……」
「わたしを迎えに来てくれて、本当にありがとう!」
満面の笑みを浮かべて礼を告げれば。
ジェナロは瞳を潤ませ、彼女を強く抱きしめた。
時折押し殺した嗚咽が聞こえてくる辺り、感動で泣いているところを見られたくなかったのかもしれない。
「もう。パパってば。泣き虫さんなんだから……」
これではどちらが大人なんだか、わかったものではないだろう。
ロルティが呆れたように呟きながら何度も頭を撫でつけていれば、やがてガタンと大きな音がして馬車が止まった。
「閣下。到着いたしました」
出入り口の扉を外から何度かノックされたかと思えば、よく通る声が公爵家への到着を告げる。
「ああ。今行く」
ジェナロは先程まで涙を流していたのが嘘のようにキリリとした硬く低い声で告げると、ゴシゴシと腕で目元を拭ってからロルティを抱き上げ馬車を降りた。
「むきゅ……」
「わぁ……! うさちゃん、見て!大きなお家……!」
公爵邸の前に降り立ったロルティは、胸元に抱きかかえるアンゴラウサギによく見えるように身体を持ち上げながら、上空を見つめた。
教会も数百人規模の人間達が暮らしているためかなり大きいが、公爵邸はその3倍以上はありそうな大きなお屋敷に、よく手入れされた広大な土地を所有しているようだ。
「ねぇ、パパ! わたし、これからここで暮らすの?」
「ああ。ここが今日から、ロルティの家だ」
「パパって、偉い人なの?」
「そうだな。俺に文句を言える奴は、家族と皇帝くらいだ」
「すごーい!」
ロルティはキラキラと瞳を輝かせ、羨望の眼差しで父親を見つめた。
ジェナロも愛娘からそうした視線を向けられるのに誇りを抱いているのか、どことなく機嫌がよさそうだった。
「いつまでも外で、立ち話もよくないだろう。中に入ろう」
「はーい!」
「紹介したい人も、いるからな……」
含みのある父親の言葉に疑問を抱きながらも。
ロルティはわくわくと心躍る気持ちを隠しきれずに、ニコニコと花が綻ぶような笑みを浮かべて公爵家の中へと運び込まれる。
(パパはこれから、わたしに誰を紹介してくれるんだろう……?)
父親にとって公爵家は自身の暮らす自宅だ。
娘のロルティに紹介をするのであれば、使用人だろうか?
(優しい人だと、いいなぁ……)
ロルティの聖なる力は傷を癒やすくらいしか使えない。
悪者を懲らしめるなんて芸当はできないため、悪人とは相性が悪いのだ。
(痛くてつらいのは、もう……。いや、だから……)
教会での暮らしを思い出した彼女の、表情が曇る。
強い不安を感じたロルティがアンゴラウサギを抱きしめる力を強めれば、ジェナロの行く手を阻む――ある人物が現れた。