パパと出会う
「ロルティ……?」
聞き覚えのない男性の声で名前を呼ばれた彼女は、アンゴラウサギを引き剥がそうとするのをやめてぱっと顔を上げる。
(カイブルが言ってた人、やっと来たのかな……?)
そこにいたのは、見慣れた純白の修道服に身を包んだ神官や青いラインが印象的な軍服を身に着けた聖騎士ではなく……。
軍服をさらにきらびやかにしたような、身なりの整った服装を身に纏った人物であった。
左手の薬指にはロルティの瞳と同じ、エメラルドの宝石がつけられた指輪が嵌っている。
一般的には中年と呼ぶにはまだ早そうな外見の、目つきが鋭い金髪の男性だったが──6歳のロルティにとっては、5倍程の差がありそうなのだ。
お兄さんと呼ぶような年齢でないのは、間違えようのない事実で……。
「おじしゃん、だあれ……?」
彼女はこてりと首を傾げて、高身長の男性に問いかけた。
「俺の名は、ジェナロ。ハリスドロア公爵家の当主だ」
「とーしゅー?」
「ああ。この時をどれほど、待ち望んでいたことか……!」
ジェナロと名乗った男性は、驚愕に見開かれた瞳からポロポロと大粒の涙を流し始める。
足元のアンゴラウサギを蹴りつけてしまわぬように抱き上げた彼女は、慌てて彼に駆け寄った。
「おじしゃん、どっか痛いの!?」
「いや、これは……。嬉し涙だ」
「どうして喜んで、泣いちゃったの……?」
ジェナロは手を伸ばせば触れ合える距離に、アンゴラウサギを抱きかかえてやってきたロルティの不安そうな瞳と視線を合わせると――その場にしゃがみ、彼女の腰元へと両手を這わせた。
「それは君が、俺の娘だからだよ」
「ふぇ……?」
想像もしていない言葉が彼の口から飛び出てきたのに驚いたロルティが、気の抜けた声を出せば。
ジェナロは彼女を勢いよく抱き上げた。
「わ、きゃあ!」
「ずっと会いたかった。俺の愛する娘……」
アンゴラウサギを抱きかかえたまま突如初めて感じた浮遊感に戸惑っていれば、彼はロルティの額へ当然のように口づけた。
(ど、どういうこと……?)
彼女は頭の中で大量のはてなマークを飛ばしながら、小さな獣を抱きしめて固まる。
ジェナロの言葉を理解するまで、長い時間が必要だったからだ。
「おじしゃんじゃなくて、パパなの……?」
「ああ。そうだ。迎えに来るのが遅くなって、本当にすまなかった……」
ロルティの父親と名乗った男性は今にも泣き出しそうなほど瞳に涙を浮かべると、低い声で宣言した。
「もう二度とロルティを、教会に奪わせはしない」
彼女は彼の瞳を見上げて、その言葉に嘘偽りがないと確信する。
(この人が、カイブルの言ってた……。わたしを、幸せにしてくれる人なんだ……!)
ジェナロが信頼の置ける大人だと気づいた彼女は、すぐさま彼に懇願した。
「教会には、カイブルがいるの!おじしゃん!助けて……!」
ロルティは再びカイブルと巡り合いたい一心で、彼に助けを求めたのだが……。
彼女の父親は、首を左右に振ってその必要はないと呟いた。
「カイブル・アカイムのことなら、気にするな」
「パパ、カイブルを知ってるの?」
「ああ。あいつは今、特殊な任務の最中だ」
「にんにん……?」
「仕事なら、わかるか?」
「うん!」
ロルティが満面の笑みを浮かべて頷けば、彼女の頭部を撫でたジェナロもまた優しい瞳で愛娘を見つめる。
しばらく二人は、見つめ合っていたが――。
「役目を終えれば、いずれあちらの方からやってくるだろう」
「わたしはパパといい子で、待ってればいいの?」
「ああ。そうだ。俺と公爵家へ帰ろう」
このまま永遠にそうしているわけにもいかないと考えたのだろう。
口を開いた父親にそう誘われた彼女は、二つ返事で頷きたい気持ちをぐっと堪える。
胸元に抱きかかえている獣の存在が、気がかりだったからだ。
ロルティは潤んだ瞳でジェナロを見つめ、不思議そうに問いかけた。
「それって、うさちゃんも一緒でいい?」
「モキュ……」
「そのウサギは、ロルティのペットか」
「うんん。さっきね、森で出会ったの!うさちゃんの怪我、治したんだ!」
彼女は元気いっぱいに、父親へ告げた。
ジェナロはじっと鬱蒼と覆い茂るきぎの隙間を眺めて何やら思案しながら、黙ってしまう。
このままこの子を公爵家へ連れて行き、後々アンゴラウサギがただの獣ではなく……。
モンスターだと発覚すれば面倒だと危惧しているのかもしれない。
「ロルティに仇するのであれば、斬り伏せればいいか……」
「むきゅ!?」
アンゴラウサギは父親の呟く声に、身の危険を感じたようだ。
ぎくりと両耳をピンと伸ばしたかと思えば、ブルブルと全身を震わせてロルティに助けを求めた。
「もう、ぱぱ! うさちゃんは、悪い子じゃないよ!」
「きゅぅ……!」
胸元に縋る獣が可哀想になったのだろう。
彼女がぷっくりと頬を膨らませて怒りを露わにすれば。
『助かった……!』
そう言わんばかりに、アンゴラウサギが甘えた声を出す。
ジェナロはそんな娘と一匹の様子を目にして苛立ちを隠しきれない様子を見せるかに思われたが──優しい微笑みを浮かべてロルティを獣ごと胸元に両手で抱きかかえると、彼女に告げた。
「ああ。わかっている。疑って、悪かったな」
「パパ……!」
普段のジェナロを知る人物が、この場にいれば。
『あれは本当にハリスドロア公爵なのか?』
そう、疑問を抱かれていたに違いない。
彼は泣く子も黙る恐ろしき公爵と、有名であったからだ。
だが……。
彼の悪評を知らず、出会って3秒で顔を合わせて。
鼻の下が伸びるのを隠しきれない父親の様子など一切気にする様子を見せぬロルティは、ごきげんな様子で叫ぶ。
「それじゃあ、パパのお家へレッツゴー!」
こうして彼女は、ハリスドロア公爵家へ向かった。