幸せなハッピーエンド
「貴様……! 俺の愛娘から、何を受け取ろうとしている……!」
地を這うような低い声が後方から聞こえた瞬間。
彼女の父親がロルティを抱き上げ、引き離したからだ。
「あっ。パパ!」
「閣下。これには大きな誤解が……」
「あのね! カイブルに、喜んでほしかったの!」
「そうか。ロルティは異性に、口づける意味を知らないからな……」
「むぅ? わたし、なんか変なことした?」
不思議そうに首を傾げる愛娘を顔が見えるように抱きかかえ直した父親は、真剣な眼差しをしたまま彼女に告げた。
「いいか。ロルティが顔に口づけていい相手は、俺とジュロドだけだ」
「どうして?」
「君を深く愛しているからだ」
「わたしだって、カイブルが好きだよ!」
「な……っ。す、すすすす、好き、だと……?」
愛娘の口からカイブルを好きだと語られたのを耳にした父親は、彼らしくもなく顔を真っ赤にして狼狽えた。
ロルティの好きは人間としてであり、まさか恋愛感情的な意味での好きだと思っていなかったからだろう。
「おのれ、カイブル・アカイム……! 我が娘が幼子であるのをいいことに、洗脳するとは……!」
「閣下、誤解です。お気を確かに」
「ええい! 冷静でなどいられるものか!」
怒り狂ったジェナロは、護衛騎士に怒声を浴びせる。
だが、冷静なカイブルはさしてダメージを受けることなく無表情で主を見つめていた。
「ハリスドロア家はジュロドに継がせる! ロルティは生涯独身のまま、男を知ることなく我々家族とともに暮らすのだ!」
「ロルティ様は公爵令嬢です。嫁がないと言う選択肢など、ないのでは……」
「俺の決定に文句でもあるのか!?」
「……いえ、なんでもありません」
表情こそ普段と変わらないが、内心ではまんざらでもないのだろう。
彼は機会があればロルティの相手に立候補できないものかと匂わせる発言をしたが、当然それを父親が許すはずもない。
一方的に怒り狂うジェナロに、話半分に聞き流すカイブル。
ロルティが2人の様子をぽかんと目を丸くして見つめていれば、不思議そうな少年の声が聞こえて来た。
「あれ? こんなところでみんな集まって……。どうしたの?」
「おにいしゃま!」
ロルティが父親に抱きしめられたまま姿を見せた兄を呼べば、よく似た笑顔を浮かべた彼がひらひらと手を振った。
ジェナロから理由を聞いたジュロドは、眉を顰めながら言葉を紡ぐ。
「そんなの、今さら驚くようなことかな? ずっと前から、気づいていたけど」
「な、なんだと?」
「まぁ、父さんの考えていることは、手に取るようにわかるよ。僕も同じ気持ちだからね」
「ジュロド……!」
剣の稽古を終えたばかりの兄の手には、使い古された模造剣が握られていた。
彼は剣呑な表情を浮かべながら剣の切っ先をカイブルへ向けると、父親譲りの低い声とともに挑発的な笑みを浮かべた。
「ロルティの夫になるつもりなら、僕と父さんを倒してからにしてくれる?」
「はぁ……」
「あれ? 好きじゃないの?」
「いえ。そのようなことは……」
まさか主を争い、決闘になるなど思いもしなかったのだろう。
明らかに気乗りしていないカイブルを挑発したジュロドから視線を逸らした護衛騎士は、怒り狂うジェナロに呆れた声で諭した。
「父親の前で愛娘を侮辱するとは、いい度胸だな……!」
「閣下。落ち着いてください。ロルティ様と結婚したいと真剣に言う方が、些か問題が……」
「その根性、叩き直してやる! ジュロド!」
「そうだね、父さん。袋叩きにしてやろう」
ジェナロはロルティを下ろすと、息子と手を取り合う。
タッグを組んだ親子は、模造剣を手にカイブルへ襲いかかる。
突如始まった男性陣達の乱闘姿を見学しながら目を白黒させていれば、彼女の元に2匹の獣達が現れた。
「わふ!」
「むきゅう」
「わんちゃん! うさぎしゃん!」
犬の背に乗ったアンゴラウサギは手持ち無沙汰なロルティを見かねた様子で、小さな身体に身を寄せる。
(みんな仲良しになれて、本当によかった!)
彼女は大好きな動物達のもふもふとした毛並みに顔を埋めて癒やされながら、ワイワイガヤガヤと騒がしく剣を交える男3人の姿を眺めた。
(これからもずっと、みんなで楽しい日々を過ごせますように!)
ロルティはそんな願いを込め、アンゴラウサギを抱きかかえ――犬と一緒に、勢いよく彼らの元へと走り出す。
「パパ、おにいしゃま。カイブル! 喧嘩したら、めっ!」
「ロルティ!」
愛娘に叱られた父親は、すぐさま剣を土の上に投げ捨て彼女を抱き止め。
「喧嘩じゃない。決闘だよ」
屁理屈を並べ立てる兄はジェナロが捨てた剣を回収してから優しく微笑み。
「ロルティ様の言葉だけは、素直に聞くのですね……」
2人へ呆れたようにぼそりと呟いたカイブルは、持っていた剣を鞘に納めてロルティのそばに立つ。
全員が動きを止めて自分を見つめていると気づき、口元を緩めて彼女が告げる。
「みーんな、大好きだよ!」
ロルティの告白に、その場にいる誰もが笑顔になった。
(五月雨瑠衣として命を落としたのは……。凄く悲しかったけど……。そのお陰でロルティになれたんだから、悪くないよね!)
彼女はロルティ・ハリスドロアとして生まれ、公爵家の娘として過ごし続けられるのに喜びを感じながら。
幼子はこれからも、大切な人と家族達からたくさんの愛を注がれながら。
幸せに満ち溢れた人生を、生きていく――。




