作戦通り
「ロルティ」
「パパ? どうしたの……?」
兄とともにキングサイズのベッドに横たわって昼寝をしていた幼子は、寝ぼけ眼を擦りながらベッドサイドに怖い顔をして佇む父を見つめた。
(なんかあったのかな……?)
彼はロルティを怯えさせないように、いつだって優しく微笑むか無表情を貫いている。
そんなジェナロがこれほど恐ろしい顔をしているのであれば、愛娘に危機が及ぶような出来事が近辺で起きたと考えるべきだろう。
(眠い、けど……。ちゃんと、聞かなくちゃ)
瞼が閉じないようにゴシゴシと何度も小さな手で目元を擦っていれば。
左横から手が伸びてきて、彼女の手首を掴んでそれを止めるものが現れた。
彼女は思わず父親から視線を外し、その手の主を見上げる。
「おにいしゃま?」
「駄目だよ、ロルティ。強く目を擦ったら。傷ついてしまう」
「んんぅ……。でも、眠くて……」
「無理して起きていなくたって、いいんだよ。父さんには、出直してもらおう」
「パパ、忙しいのに……」
「ロルティの意志は、どんな出来事よりも最優先しなきゃいけないんだ。そうだろ? 父さん」
「しかし、だな……」
ジュロドから問いかけられた父親は、珍しく視線を逸して気まずそうにした。
普段であれば息子の言葉に同意をしていたが、それができないほど重要な何かが起きていると悟るべきだ。
「寝る子はよく育つって言うだろ。ロルティの成長を、妨げるの?」
「ジュロド……。俺だって、そんなことはしたくない」
「だったら……」
「お、おにいしゃま! わたし、元気!」
兄が父親へ厳しい言葉を投げかけるのに耐えられなかったのだろう。
引き攣った笑みを浮かべた彼女は、すっかり眠気など吹き飛んだとアピールするようにジュロドへと声を張り上げた。
「ロルティ、無理してない?」
「してないよ!」
「そっか……。なら、いいけど……」
妹の言葉に思うところがあるのだろう。
不満そうな声を出した彼は、父親がわざわざ昼寝をしていた兄妹の部屋に押し入ってまで伝えたい重要な内容を告げるように、視線で促した。
「俺がいいと言うまで、外に出るな」
息子の許可を得たジェナロは、重苦しい声で愛娘に厳命する。
「どうして、お外に出ちゃいけないの?」
父親から外出を禁じられたロルティは、納得できるはずもない。
理由を説明してもらおうと瞳を潤ませジェナロに問いかけたが、彼はいつまでも言葉を紡ごうとしなかった。
(そんなに、言いづらいことなのかなぁ……?)
ロルティに語りたくないのであれば、無理に聞き出すのは酷だろう。
彼女はベッドを降りてそばに控えていたカイブルの元へと向かうと、彼に向けて両手を伸ばした。
「カイブル。抱っこー!」
「ロルティ様……。いかがなさいましたか」
「あのね! お耳借して!」
カイブルは小さな主が耳元で話しやすいように抱き上げた。
ロルティは唇を両手で覆うと、小声で彼に告げる。
「パパから理由、引き出せる?」
目の前にジェナロがいるからだろう。
カイブルの耳元から唇を離したロルティと目線を合わせた彼は、しっかりと頷いた。
(これで安心!)
カイブルはできない約束はしない。
父親の言いつけをきちんと守り兄とともに自室で待っていれば、護衛騎士が情報を持ってきてくれるはずだ。
機嫌をよくしたロルティはカイブルから床の上に下ろしてもらうと、今度は父親の太ももへとしがみつく。
「パパの言うこと聞いたら、ご褒美くれる?」
「ああ。なんでも好きなことを願うといい」
「うーん。わかった! じゃあ、わたし、おにいしゃまと大人しくしてる!」
ロルティは満面の笑みを浮かべると、ひらひらと手を振って父親の太ももから両手を離した。
ジェナロは愛娘の頭を撫でようと右手を伸ばしたが、彼女はその指先を避けるように父親へ背を向ける。
「お願い事、何にしようかな?」
「時間はたっぷりあるからね。これからゆっくり、僕と考えていこう」
妹の独り言に頷いた兄が、ベッドの上で両手を広げる。
ロルティはのそのそと小さな手足を動かして再び寝台に上がると、ジュロドの胸元に飛び込んだ。
「ジュロド。ロルティを頼む」
「任せて」
「パパ、ばいばーい!」
自分だけがロルティを抱きしめられなかったと不満そうなジェナロは、露骨に肩を落としながらトボトボと兄妹の部屋をあとにした。
「ジュロド様」
「どうしたの」
「少々席を外します。部屋から出ないように、お願いいたします」
「カイブル。それは護衛騎士として、無責任じゃ……」
「いってらっしゃーい!」
ロルティの願いを聞き届けたカイブルは、ジュロドへ一声かけてから外へ出ようとした。
兄は職務放棄だと異を唱えたが、被せ気味に護衛騎士を送り出し、ロルティは2人の喧嘩を未然に防ぐ。
(ここまでは、作戦通り!)
彼女はご機嫌な様子で内心ほくそ笑むと、ベッドの上でバタバタと両足を動かしながら暇を潰す。
「ロルティ。行儀が悪いよ」
「えへへ。ごめんなさーい」
妹の置かれている状況を知らない兄は、奇天烈なロルティの行動に苦言を呈した。
彼女はすぐさま謝罪をすると、心の中で思案する。
(パパが部屋を出ないように命じたなら、1人になる機会は絶対にないってことだもん。毒殺しようとするなら、このタイミングしかないよね?)
信頼のおける大人達はいなくなってしまったが、この部屋には兄と獣達が2匹いる。
(わたしは絶対、負けないんだから!)
ロルティは気合を入れ直すと、メラメラと瞳の奥に闘志を燃やしながらその時を待った。
「父さんも酷いよね。理由を説明せず、部屋で大人しくしていろと命じるなんて……」
「パパはわたしのためを思って、おにいしゃまと一緒にいるようにって、言ってくれたんでしょ?」
「ロルティ……」
「だからわたしは、大丈夫だよ!」
「なんていい子なんだ……!」
今の会話のどこに、感動するポイントがあったのだろうか。
ジュロドは瞳を潤ませながら、妹を抱きしめた。
「おにいしゃま? 泣いてるの?」
「ぐす……っ。これは嬉し涙だよ。父さんからもういいって、言われたとしても。ずっと僕と、一緒にいようね」
「うん!」
ロルティがよくわからぬままに頷けば、ついに重たい扉を押しのけティートローリーとともに待ち人がやってきた。
「失礼いたします」
顔を青ざめさせたメイドの声には、聞き覚えがある。
最初は気の所為かと首を傾げていたロルティも、その使用人が姿を見せた瞬間に部屋の隅で小さくなっていたアンゴラウサギの身体がブルブルと震えている姿を目にすれば、それが謎の男に脅されていた女性だと確信する。
「むきゅぅ……」
「わふん……」
アンゴラウサギが怯える姿を気の毒に思ったのだろう。
犬がつかさず小さな身体に寄り添い、安心させるように身を寄せた。
「お嬢様。お坊ちゃま。お茶菓子を、お持ち、いたしました……」
「こんな朝早くに、ティータイムだって? 僕達はそんなこと、命令してないけど」
「こ、公爵閣下の、ご配慮でして……」
「父さんはそんなこと、一言も……」
「わぁ! メイドしゃん! ありがとう!」
不審がるジェナロとメイドの会話に無理やり言葉を被せたロルティは、ベッドから降りてティートローリーの上に載せられたティーカップを見つめる。
家族みんなでお揃いの食器は、色でそれが誰のものかを区別しているのだ。
ジェナロは赤、ジュロドは金。そしてロルティは、緑。
毒が入っているのであれば、緑色のティーカップには絶対手をつけてはいけない。
「うーっ。わふ! わふん! わふーん!」
ロルティが自身の食器をじっと見つめていたからだろうか。
『それを口に含んではいけない』
そう警告するかのように、遠くから犬の鳴き声が聞こえる。
獣から教えてもらわなくても、彼女は最初からそれを飲み干すつもりなどなかったのだが……。




