内緒話
どうやらこの先の廊下で、メイドと男性が話し込んでいるらしい。
(わんちゃんは2人の会話を、わたしに聞かせたかったのかなぁ……?)
腕の中で抱きかかえているアンゴラウサギは、こちらが気の毒になるほど怯えている。
ロルティは安心させるように獣の毛並みを撫でながら、曲がり角の先で会話中の男女の声に耳を傾けた。
「あんな小さな子どもを、わ、わたしが……」
「病気の妹を、助けたいのだろう?」
「そう、ですが……」
「言うことを聞けないのであれば、妹を殺す」
「や、やめてください! それだけは……!」
「だったらもっと、静かにしろ! 誰かに聞かれたらどうするつもりだ!」
メイドに騒ぐなと告げている男が、一番声が大きい。
穏やかではない単語を耳にしたロルティは、口元をぎゅっと引き結んで思考する。
(あのメイドしゃん……。脅されてるの……?)
公爵邸は安全な場所だと勝手に思い込んでいた彼女にとって、この会話を耳にしたのは果たして僥倖なのか。
(どうしよう……。パパに相談したら、助けてくれるかな……?)
身の危険を感じたロルティはすぐさまこの場を立ち去らなければと思うのに、うまく脚が動かなかった。
(でも……。子どもの言うことだからって、信じてくれないかもしれない……)
この現場を一緒に目撃してくれる大人がいれば、話は早かったのだが――何事もすべてがロルティの思い通りに進むわけではない。
(ないものねだりをしたって、仕方ないよね)
彼女が獣達とともに盗み聞きをしていると露呈したなら、この場で命を刈り取られてしまう危険性が高いのだ。
(こんなところで命を落とすなんて、絶対に嫌だもん……!)
脚が動かないならば、彼女は彼らがこの場を立ち去るのを待つしかなかった。
「これを紅茶に混ぜて使え」
「は、はい……」
「あの女の死が確認できるまで、妹の身柄はこちらで預かっておく。失敗したら、貴様と妹の命はない」
「わ、わかりました! やります! 必ず、やり遂げて見せますから……!」
「私はつねに、貴様の行動を見ているぞ」
「う、うぅ……。ううう……!」
メイドのものらしき押し殺した啜り泣く声と、男が去り行く足音が同時に聞こえてくる。
「むきゅ……」
腕の中に抱きかかえていたアンゴラウサギの震えが、か弱い鳴き声を上げると同時にピタリと止まった。
ロルティはそうっと壁から顔を出し、この先に続く廊下を覗き見るが――そこには誰もいない。
「あれ……?」
足音は1人分しか聞こえなかったのに、なぜメイドまで姿を消しているのだろうか。
ロルティは不思議な気持ちでいっぱいだった。
(男の人がメイドしゃんを、誘拐したとか……?)
もしもそうなら、啜り泣く声が足音とともに遠のいていかなければおかしいはずだ。
彼女は首を傾げながら、落ち着きを取り戻した胸元のアンゴラウサギに話しかける。
「うさぎしゃんが怖がってたのは、あの男?」
「もきゅ……」
獣は肯定するように、再び全身を震わせた。
どうやら話題に出すのすらも恐ろしいと感じるほど、あの男を嫌っているらしい。
「そっか……」
ロルティの命を狙っている男だ。
アンゴラウサギが怯えるのも無理はないだろう。
(わたしを心配して怯えているようには、見えないけどな……)
もしもそうであれば、犬だって黙っていないはずだ。
だがもう1匹の方は大人しくしており、男女の会話を盗み聞きできる場所まで主人を連れてきたのを褒めてほしいとばかりにロルティを見上げていた。
「わんちゃん、偉い! ありがとう!」
「わふっ」
犬は当然だと言うかのように嬉しそうな鳴き声を上げると、ロルティの腕の中で怯えている小さな獣を心配そうに見つめた。
(そう言えば――)
彼女はこの獣と出会った当初、酷い怪我をしていたのを思い出す。
これだけ全身を震わせている姿を目撃すれば、それと関連づけるのは簡単だ。
ロルティはアンゴラウサギを抱きかかえ直すと、獣に問いかける。
「うさぎしゃん。もしかして、さっきの男……」
「ロルティ様?」
ロルティの問いかけは、最後まで言葉にならなかった。
後方からカイブルに声をかけられたからだ。
ぱっと胸元から視線を上げた彼女は、高身長の彼と目線を合わせるために首を上に向けた。
「カイブル! お帰りなさい!」
「ただいま戻りました。どうなされましたか」
「えっと……」
護衛騎士は獣達とともに廊下で佇んでいるロルティを、不審に思っているようだ。
(カイブルは信頼できる人だもん。今見聞きしたことを伝えても、嘘だと疑ったりはしないよね……?)
アンゴラウサギを床の上に下ろした彼女はカイブルに手招きすると、しゃがみ込んで目線を合わせるように命じる。
彼は不思議そうな表情をしながらも、黙って主の要望に従った。
「パパとおにいしゃまには、内緒だよ?」
「ええ。わかりました」
「あのね……」
ロルティはカイブルの耳元に唇を寄せると、先程目にした光景を打ち明けた。
「メイドしゃん、脅されてるの。病気の妹しゃんを、人質に取られてるんだって」
「そうですか」
「それでね? わたしをどくしゃつしろって、命令されてるみたい」
「な……」
「わたし、逃げた方がいいのかな……?」
主から相談を受けた護衛騎士は毒殺なる単語が出た瞬間に顔色を変えたが、すぐに元の無表情に戻って彼女へ問いかけた。
「ロルティ様は、公爵家がお嫌いですか」
「うんん。わたし、ここが大好き!」
「でしたらロルティ様ではなく邪魔者に、お帰り頂きましょう」
「それって、脅されてるメイドしゃん?」
「使用人を誑かしている男の素性を暴き、人質を救い出す必要がありそうですね」
「すじぃー?」
「私に隠し事をすることなく、素直に打ち明けてくださりありがとうございます」
ロルティが聞き取れなかった単語を繰り返せば、主に優しく微笑んだ彼は礼を告げる。
「どういたしまして!」
「わふっ」
彼女もまた笑顔を浮かべると、擦り寄って来た犬の身体に指を這わせて優しく撫でた。
「お部屋、戻る?」
「むきゅ……」
「そうですね」
アンゴラウサギが小さな足を動かして、もそもそと廊下を進む。
カイブルの同意を得たロルティは、元気の有り余っている犬とじゃれ合いながら、自室へ戻った。




