わんちゃんと一緒
「はい、出来た!」
「むきゅ……」
アンゴラウサギのブラッシングを終えたロルティは、ニコニコと笑顔を浮かべて抱きかかえていた獣をパッと離した。
か弱い鳴き声を上げた動物は床の上に放置された大量の毛を回収する際、邪魔にならないように配慮したのだろう。
小さな足を動かし、壁際で身体を休めた。
「うさぎしゃんは、隅っこが大好きだね~」
「きゅぅ……」
アンゴラウサギは滅多に鳴かないはずなのだが、ロルティのそばにいる獣はよくか細く甲高い甘えた声を出す。
動物は疲れたのか、ゆっくりと目を閉じ静かに眠り始めた。
「よーし! やるぞ~!」
クローゼットの中から箒とチリトリを取り出したロルティは、元気よく大きな声を出すとそう宣言した。
それにビクリと肩を震わせたのは、壁際で気配を殺して控えていたメイド達だ。
彼女達の仕事は、公爵令嬢のロルティをお世話すること。
雑用係と言い換えてもいい。
床に散らばった真っ白な毛を回収するのだって、使用人の仕事だ。
「お、お嬢様! 我々にお任せください……!」
「これくらいなら、1人でできるよ!」
「旦那様に見つかりでもしたら! 我々が叱られてしまいます……!」
「パパにはわたしから、説明するもーん! だから、大丈夫だよ!」
「し、しかし……!」
メイド達はガクガクブルブルと全身を震わせ、真っ青な顔しながらロルティを止めようとする。
だが、彼女はけして行動を止めなかった。
黙って手を動かせば、数分で終わる作業だからだ。
パタパタと箒を左右に動かし、チリトリの上に抜け毛を乗せるだけの簡単なお仕事。
この程度であれば、6歳児も簡単にできる。
(あとはこれを、箱の中に入れて……)
ロルティはチリトリの上へ山盛りになった抜け毛を四角い木製の箱へバサバサバサッと音を立てて投げ入れ、箒とチリトリをクローゼットの中へと収納する。
本来であればすぐにでもお湯や水を使って毛を洗いたいところだが、もしも水を張ったたらいの中へ頭を突っ込んでしまったら。
息もできずに溺死する危険性があった。
『危険なことは、絶対に俺のいる前だけにしろ。いいな?』
そうジェナロに約束させられた彼女は言いつけを忠実に守り、今すぐに作業の続きをしようと行動するのは諦めた。
「わふ!」
最近ロルティの新たなペットとして仲間入りを果たした犬は、ブンブンと尻尾を振ってロルティに存在をアピールする。
「わんちゃん、どうしたの?」
「わふーん!」
「もしかして、ブラッシングをしてほしいとか……?」
「わん!」
「いいよ! おいで!」
「わふっ!」
ロルティが鳴き声だけで犬の言いたい言葉を察知して両手を広げれば、獣が勢いよく彼女の胸に飛び込んでいく。
図体の大きな犬はミサイルのようなもので、彼女はあっと言う間に床の上へ背中を打ちつけてしまった。
「お嬢様……!」
これに血相を変えて悲鳴を上げたのは、先程ロルティと揉めていたメイド達だ。
犬に押し倒された彼女が怪我をすれば、父親から何を言われるかなどわかったものではない。
監督不行き届きだと非難され、首が飛ぶのではないかと心配していた使用人達は、ブルブルと震えながらヒソヒソと囁き合う。
「私達だけでは、手に終えません……!」
「誰か! 早くお坊ちゃまかアカイム卿を連れて来て……!」
「は、はい!」
彼女達は完全に、匙を投げたようだ。
メイドの1人が、大慌てでロルティの自室をあとにする。
(わたしってそんなに、聞き分けの悪い子どもかなぁ……?)
ロルティは内心疑問を感じながらも、犬のもふもふとした毛並みを堪能しつつブラッシングを行った。
「わんちゃん、気持ちいい?」
「わふーん!」
「よかった!」
ニコニコと笑顔を浮かべた彼女がブラシを床に置けば、テンションの上がった犬鳴き声を上げる。
『外に出て遊ぼうよ!』
そんな風に急かされたロルティは、慌てて止まった。
「待って! わんちゃん! お外は、おにいしゃまとカイブルが戻ってくるまで、駄目だよ!」
彼女は図体の大きい獣を両手で抱きかかえる。
兄は剣術の稽古中。
護衛騎士は、父親呼ばれ不在だったからだ。
(おにいしゃまが言ってたもん! 1人でお部屋の外に出たら、危険がいっぱいなんだって!)
2人がいなくなってから、数時間が経つ。
普段通りであれば、そろそろどちらかが姿を見せる頃だろう。
ロルティはそれを待つつもりだったが、どうも獣達の様子がおかしい。
「わんちゃん……?」
「わふ……!」
「むきゅっ」
2匹がほぼ同時に、出入り口の扉の方へ勢いよく視線を向けたかと思えば鳴き声を上げたのだ。
犬は唸るように。
アンゴラウサギは、ブルブルと全身を震わせ怯えている。
「うさぎしゃんも。どうしたの?」
「むきゅ、むきゅう……!」
長い耳で赤い瞳を隠したアンゴラウサギは、ヨロヨロと右往左往しながらロルティの姿を探していた。
彼女は慌てて犬から手を離し、小さな獣の元へと向かって抱きしめた。
「怖くないよ。大丈夫。わたしがいるから……」
「もきゅ……きゅう……。きゅーう……!」
ロルティが優しくブラッシングしたばかりの美しい純白の毛並みを撫でても、アンゴラウサギは落ち着く様子を見せなかった。
(うさぎしゃん、どうしてこんなに、怯えているんだろう……?)
2匹同時に扉を見つめて、鳴き声を上げたのも気がかりだ。
ロルティは何かに怖がるアンゴラウサギを慰めながら、どうにか理由を探ろうと犬へと話しかける。
「わんちゃん。扉の外に、何かいるの?」
「わふ!」
獣は彼女の問いかけに対して、自信満々に鳴き声を上げた。
まるで「そうだよ」と言うような元気のいい返事を受け取ったロルティは、思い切って犬にあるお願いをする。
「案内してくれる?」
「わふーん!」
元気よく頷いた獣を先頭に、ロルティは出入り口に向かって歩き出す。
当然これにメイド達は慌てふためき彼女を止めるべきかと視線を彷徨わせているが、使用人達は原則として主の意志には逆らえない。
彼女達は結局顔を見合わせるだけに留め、幼子が動物達とともに外出する姿を黙って見送った。
「わふ!」
まるで「こっちだよ!」と言うかのように元気よく手足を動かし歩く犬の後ろに、アンゴラウサギを抱きかかえた不安そうな顔のロルティが続く。
(おにいしゃまやカイブルが戻ってくる前に、お部屋へ戻らなきゃ……)
ロルティにも、これがいけないことだと言う認識くらいはあった。
悪いことをすれば、酷い罰を受けると。
(パパは、おとうしゃまとは違うもん……)
彼女が教会で暮らしていた際、養父を自称する男はロルティに修行と称してさまざまな暴行を加えてきた。
(あんな恐ろしい経験は、もう二度としたくない……)
彼女は脳裏に忌々しい男と同時に、父親の顔を思い浮かべる。
(わたしに酷いことなんて、しないよね……?)
ロルティは無表情で険しい表情をしているジェナロが、自分にだけには怖がらないように優しく微笑みかけてくれる姿を想起しながら、前を歩く犬を追いかけた。
「わ、わたしにお嬢様を、毒殺しろと言うのですか!?」
「声が大きい!」
「す、すみません……」
ロルティを導いていた獣は、通路へ飛び出す前に止まった。




