事情徴収
「……わかった」
「ロルティ……?」
「誤解が解けるまで、わたしもカイブルとお話しない!」
ロルティは困惑する兄の小指に自らの指先を絡めると、彼を安心させるように優しく微笑んだ。
「おにいしゃまとお揃いなら、寂しくないでしょ?」
彼女の笑顔は確かに、どうしようもない怒りを胸の奥底に燻らせていた兄の心を癒やした。
「さすがロルティ。僕の自慢の妹だ」
先程まで悔しさが滲んだ表情を浮かべていたジュロドも普段通りの優しい笑みを形作ると、大好きな妹を抱きしめた。
「えへへ。おにいしゃまも、わたしにとって、自慢のお兄ちゃんだよ!」
兄妹の絆を確かめあった2人は、ニコニコと笑い合いながら。
侍女に夕食の準備ができたと呼ばれるまで、ぴったりとくっついて離れなかった。
(どうしたらおにいしゃまとカイブルを、仲直りさせられるんだろう……?)
ジュロドは週に3日、午前中は剣の稽古で忙しい。
その間にロルティは家庭教師から刺繍を教わったり、本を読んだり。
時には兄の稽古風景を観察し、父親と戯れている。
本来であればこの自由時間を使って、彼と交流を深めたかったのだが――。
『いいかい? ロルティ。あいつには、絶対に話しかけてはいけないよ』
兄からそう厳命されてしまえば、秘密裏に行動を開始するわけにもいかず――。
近くにいるのに、話しかけられない。
そんな状況に耐え忍ぶこと一週間。
聖女キララを異世界に送り返した件と、その場にいた神官達を懲らしめた件の後処理を終えた父親が帰宅し自室にやって来たのを見るや、待ってましたとばかりにジェナロへと飛びついた。
「パパー! お帰りなさい!」
「ああ。ただいま、ロルティ」
愛娘と久しぶりに顔を合わせた彼は、口元を綻ばせるとロルティを抱き締めた。
彼女は父親のぬくもりを堪能しながら、ジェナロへ問いかける。
「どうして教えてくれなかったの?」
「なんの話だ」
「カイブルとおにいしゃまが、喧嘩してること!」
父親はまったく心当たりがないようで、目を丸くしていた。
どうやら息子と騎士が険悪なのは、当主の知られざる場所でのみ表へ出てきた関係性であるようだ。
(あれ? わたし、もしかして……パパに密告しちゃった……?)
ロルティはどうやってここから、冗談だと笑って誤魔化そうかと思案したが……。
一度口から飛び出た言葉は元になど戻らない。
「あの2人は、不仲なのか?」
嘘のつけないロルティは、首を左右に振ることなどできず――しょんぼりと肩を落として、か細い声音でポツリと紡ぐ。
「そうみたい……。わたしもよく、わからないんだけど……」
「ジュロドは、カイブルに対して何か言っていたか」
「おにいしゃまの護衛騎士を辞めて、聖騎士になった。裏切り者って……」
ロルティが兄の口から飛び出てきた言葉を父に告げれば、目頭を右手で抑えて深いため息を溢した。
「ロルティに心配をかけるとは……あいつらは一体、何をやっているんだか……」
彼女はジェナロを慰めるように、頭部を優しく撫でつける。
(パパも、困ってるのかな……?)
その感覚に気分をよくした彼は顔を覆っていた手を離すと、ロルティを抱き上げ左肩の上に座らせた。
「きゃー! たかーい!」
「ジュロドの誤解を解くぞ」
「やったー! パパ、大好き!」
「俺もロルティを愛している」
口元を綻ばせた父親は愛娘に優しい声音で愛を囁くと、足早に部屋を出る。
廊下にはロルティを守るために待機していた、カイブルの姿があった。
「カイブル。着いてこい」
「承知いたしました」
ジェナロは騎士に硬い声でそう命じると、彼を伴いロルティとともに廊下を進み――訓練場へと足を運ぶ。
「ジュロド」
――兄の訓練はすでに、終わっていた。
父親から名前を呼ばれたジュロドは、真後ろにカイブルが控えているのを確認すると露骨に表情を歪ませる。
「ロルティを困らせているようだな」
「僕はそんなこと……!」
「事実を伝えなかった俺のせいだ。すまない」
「と、父さん……?」
貴族は自身の非を、簡単には認めない。
ペコペコ頭を下げてしまえば、他の者達に示しがつかないからだ。
領主が舐められると、領民にも危機が迫る。
だからこそ、父親が息子に謝罪をしたのが信じられなかったのだろう。
ジュロドは呆然と、父親を見上げた。
「カイブルに怒りを抱くのは、お門違いだ」
「あいつが裏切ったのは、事実じゃないか……!」
「表向きは、そうだが。彼は自身がどのような立場に置かれていたとしても、公爵家に尽くしている」
「心の中でそう思っているだけでは、なんの意味もない……!」
「表現されているものだけが、全てだと思うな」
冷静さを欠いている息子と、淡々と言い聞かせる父親。
どちらが有利なのかは明白だ。
何を言っても全否定されるジュロドの瞳には、だんだんと涙が滲む。
(このままじゃ、おにいしゃまがかわいそう……)
自分の味方になってくれると思っていたジェナロが、カイブルの肩を持つような雰囲気を醸し出しているせいか。
兄は悔しさを隠しきれないのだろう。
そう勘違いをしたロルティは、自身を抱きしめる父親をか細い声で呼ぶ。
「パパ……」
「ああ。もう少し、待っていろ。すぐに終わる」
父親の肩に乗っていたロルティが彼に駆け寄りたい気持ちでいっぱいになり、地面に下ろしてくれないかと願い出ようとすれば。
ジェナロは愛娘の頭部を優しく撫でると、やっと本題に入った。
「カイブルは我が公爵家を、裏切ったわけではない」
「嘘だ……!」
「ロルティを教会から救い出すためには、どうしても必要なことだった」
「あり得ない……!」
「俺が命じたんだ。父の言葉を、信じられないのか」
冷たい声に反応したジュロドは、悔しそうに唇を噛み締めながら小さな声で告げる。
「僕は……ロルティの言葉しか信じない……」
あれだけカイブルに対して酷い態度を取って来たのだ。
今さら誤解だったと認めるのは、簡単なことではないのだろう。
彼は複雑な自身の気持ちを消化する為、気持ちを吐露した。
「違うよね? あいつは、酷い奴なんだ。さよならも言わずに、ある日突然いなくなって……。ロルティと一緒に、何事もなかったかのように戻ってくるなんて……」
ジュロドは彼なりに、カイブルが大好きで信頼していたのかもしれない。
ロルティだって兄と同じ立場であれば、年月を重ねたせいで悲しみが憎悪に変わっていただろう。
(おにいしゃまの言葉を、否定したくないけど……)
間違いを正さなければ、いつまで経っても2人は仲違いをしたままだ。
ロルティは勇気を出して、兄に優しく語りかけた。




