前世の姉と護衛騎士
公爵家の敷地へ歩みを進めるためには、ロルティの背丈で計算すると数10倍も高い鉄格子を乗り越えなくてはならない。
その門の前で騒いでいた男は、幼子を抱きかかえた当主の登場に目を丸くした。
「ハリスドロア公爵! やっと姿を見せたか……!」
男はやっと話のできる人間がやってきたと瞳を輝かせたが、ジェナロは彼と会話をするためにやってきたわけではない。
愛娘の意志を直接伝えるために彼女を連れてきた付き添いだ。
「パパー。あの人ー?」
「ああ。そうだ」
「な、子ども……?」
「わたし、話しかけてもいーい?」
「もちろん」
「やったー!」
ロルティはニコニコと笑顔を浮かべると、彼女がハリスドロア家の娘であると知らない男に話しかけた。
「おじしゃん」
「お、俺はまだ20代だ!」
「あのね。うさぎしゃんの毛は、売らないよ!」
「一体なんの権限があって――!」
「貴様は俺の娘よりも、身分が高いのか?」
「は?」
先程まで大騒ぎしていたはずの男は、あり得ない単語を耳にして固まった。
(ここが、勝負どきだよ!)
幼いながらにそう悟った彼女は、元気よく男性に告げた。
「はじめまして! わたし、ロルティ!」
「ロルティ・ハリスドロア。俺の娘だ」
すっかり名前だけを名乗ることが板についているロルティに、ジェナロが補足するように家名を付け加える。
生意気な小娘とばかり思っていた世間知らずな男性の顔は、見る見るうちに青ざめていく。
(ここが公爵家だって、知らなかったのかなぁ?)
広大な土地に大きなお屋敷。
どこからどう見ても貴族が住んでいるとしか思えない場所にやってきて騒いでおきながら、公爵だと知らなかったなど無理があるはずだが……。
幼子は細かい話を、いちいち大人のように気にしない。
(自分の伝えたい内容だけをさっさと宣言して、おにいしゃまとうさぎしゃんの元へ帰るんだ……!)
そう決意したロルテは、それを最優先にしようと決めた。
「どうしても、うさぎしゃんの毛がほしいなら。私達の作った商品を、仕入れること!」
「聖女見習いロルティって、あんたのことか……!」
「はれ?」
ビシッと指を立て宣言をした彼女に向かって声を震わせた男に、ロルティはこてりと首を傾げて不思議がる。
(なんでこの人、わたしが聖女見習いだったって、知っているんだろう……?)
ロルティがじぃっと男性の姿を見つめていれば、彼は懐に手を入れ何かを上空に投げ捨てた。
「聖獣の毛糸なんて必要ない! 教会から指名手配犯を見つけた報奨金を受け取れば、あっと言う間に億万長者だ!」
「ロルティ!」
男の叫び声とともに、空に浮かび上がった謎の球体が眩い光を発した。
「パパ……!」
パァンっと耳を劈くような破裂音が響く中。
愛娘を庇うために父親が身を丸め、ロルティは危機を悟りジェナロの胸元を握り締めて目を閉じる。
(何が起きたの……?)
もしも瞳を見開いた際、父親が倒れていたらと思うと恐ろしくて仕方ない。
だが、このままずっと目を閉じているわけにはいかないだろう。
ロルティは勇気を振り絞り、ゆっくりと瞳を開き――。
そして状況を把握した。
「わっ。ほんとにいる!」
「おねえしゃん……?」
「やっほー」
突如現れたのは、笑顔を浮かべてひらひらと手を振る雲母だった。
彼女の隣には、聖騎士のカイブルがいる。
感情の読み取れない瞳で、じっとロルティを抱きかかえるジェナロを見つめていた。
「あたしはあなたを、始末するわ!」
「わたしを、殺すの……?」
「一瞬で、やっつけてあげる! 大人しく、やられなさい……!」
先程まで騒いでいた男と入れ替わるようにして姿を見せた雲母は幼子の命を奪うことに、罪悪感の欠片も抱いていないようだ。
勢いよく両手を空に掲げ、光の球体を生み出した。
(また、わたしを……)
一度ならず二度までも命を奪おうと試みるなど、最低以外の何者でもない。
ロルティはかつての姉に軽蔑の眼差しを向けたが――。
すぐさま怯えの色にかき消されてしまう。
「くそ……っ!」
雲母の発動した球体が攻撃魔法だと気づいた父親は、対策を講じようとするが……。成す術もない。
ロルティを抱きかかえたままでは聖女とカイブルを同時に相手するのは難しいからだ。
(わたしが、聖なる力を発動すれば……。お姉ちゃんを、やっつけられる……!)
焦ったロルティは咄嗟に胸元で両手を組み、祝詞を紡ごうとするが――。
「ロルティ様!」
幼子が行動に移すより、彼女の名をカイブルが叫ぶほうが早かった。
(どうして……?)
彼の主は、雲母のはずだ。
何故名前を呼ばれたのかわからず、ロルティは困惑する。
(カイブルは、お姉ちゃんの護衛騎士……。身も心も全部、捧げているはずなのに……)
――どうやら彼に、そんなつもりはなかったらしい。
聖騎士は聖女の横から勢いよく飛び出すと、小さな身体を抱き上げていたジェナロに背を向け立ち塞がり――勢いよく腰元の剣を引き抜く。
こうして、雲母の攻撃から守ってくれた。
「「カイブル……っ!」」
2人の聖女が、ほぼ同時に彼の名を叫ぶ。
カイブルに庇われたロルティの小さな身体では、うまく状況が飲み込めなかったが――。
(本来受けるべき攻撃を、引き受けてくれた……?)
それだけは、すぐに理解できた。
そして、その受けた傷が……。
ロルティの声に返事がでないほど深いものだと言うのも……。
「や、やだ……!」
親子を背に庇っていた彼が、ゆっくりと地面に膝をつく。
命の灯火が今にも消えていきそうな危険な状態だと悟った彼女は、すぐに目を閉じて聖なる力を使う。
「天に住まう我らが神よ。ロルティに、聖なる力をお授けください……!」
キラキラとカイブルの頭上に光が降り注ぐが、彼は唇からゴボリと苦しそうに血を吐き出すだけで、苦悶の表情を浮かべている。
「助けて……! 神様! カイブルを! わたし、なんでもするから……!」
神はどれほどロルティが祈りを捧げても、彼女の願いには応えなかった。
幼子の瞳には大粒の涙が頬を伝って、土の上にこぼれ落ちる。
「どうして……? いつもなら、みんな元気になるのに……! なんで、駄目なの……?」
幼い聖女の姿を目にしたジェナロは、何もできない自分の無力さを痛感し、心を痛めた。
「こんなところで、死んじゃ駄目!」
ロルティは何度も神に祈りを捧げ、聖なる力を使う。
錯乱状態に陥った彼女を、父親でさえも止められない。
娘を愛する彼は、嫌われるのを恐れていたからだ。
「やだ……っ。ねぇ、起きて……!」
聖なる力が通用しないと知るや否や、ロルティはついに父親の腕から強引に抜け出ると、カイブルの肩を勢いよく掴み、グラグラと揺らす。
相手が重症者であるのをすっかり忘れ、ペチペチと頬を叩いてどうにか意識を覚醒させようとするほどへ執着しているのには理由があった。
「わたし、まだ……! カイブルに、ありがとうって伝えてない……!」
彼がいたからこそ、ロルティはハリスドロア公爵家の娘になれたのだ。
カイブルのアドバイスがなければ。
彼女は迷いの森をさまよい歩き、野垂れ死んでいた。
(お姉ちゃんに聖女の座を奪われるのは、構わない。でも……)
カイブルも一緒となれば、話が違う。
(カイブルはわたしにとって、おにいしゃまみたいな人で、大切な人だから……。奪われたならば、取り返すしかない)
そう決意した彼女の耳には、前世の姉の不機嫌そうな声が飛び込んできた。




