叫ぶ男
ある日の昼下がりに、事件は起こる。
「神聖なる聖獣の毛糸を、独り占めするなー!」
兄とともにベッドの上に座っていたロルティが、羊皮紙とペンを使ってお絵描きを楽しんでいる時――。
幼子は外から男性の叫び声が、何度も聞こえてくるのに気づく。
「きゅう……」
それに怯えたアンゴラウサギが全身を震わせ、か細い声を上げて彼女に縋る。
「なんだか、外が騒がしいね」
兄の言葉に頷いた妹は、不安そうに窓の外を見た。
「男の人、毛糸って言ってた……」
「お茶会の時、みんなでお揃いのリボンを見せびらかしたから……。その噂が回ったのかな……」
「みんなに自慢するとああやって、大騒ぎする人が出てくるの?」
「多分この子の毛が、とっても特別だからじゃないかな……?」
「特別って、凄い?」
「そんな感じだね」
「だからうさぎしゃんは、こんなに怯えているの……?」
「むきゅう……」
兄の言葉を耳にしたロルティは、一気に不安がる。
「うさぎしゃんの毛……。悪いことに使いたい人が、いるのかなぁ……?」
「きゅう……!」
獣は「ロルティと引き離されるなんて、そんなの嫌だ」と鳴いている。
彼女は安心させるようにすっかりフサフサに戻った毛を優しく撫でながら、今にも泣き出しそうな顔をした。
「ロルティ。大丈夫だよ」
「でも……」
「父さんが、なんとかしてくれるはずだ」
「パパ……?」
「そうだよ。あんまり騒がしいようなら、耳栓をもらおう」
「みみせー?」
「音を、聞こえなくするんだ」
「おにいしゃまの、声も……?」
「そうだね。僕は魔法が使えないから……」
都合よく周りの音を遮断し、ジュロドの声だけが聞こえるようにするのは魔法を使わぬ限り難しい。
兄の申し訳無さそうな声を耳にしたロルティは、さらに不安が増幅する。
(何が起きてるんだろう……?)
彼女は泣きじゃくりながらも、瞳に浮かんだ涙が溢れぬようにぐっと唇を噛み締めて堪えた。
「泣かないで……」
「でも、うさぎしゃんが……!」
「――ロルティ」
ジュロドに慰められながらも、不安でどうしようもない気持ちを爆発させかけた時だった。
兄妹の部屋に、父親が顔を出したのは。
「パパ……」
「妹を泣かせるなど、兄の風上にも置けないな」
「まさか。ロルティは、父さんのせいで不安になっているんだ」
「俺に罪をなすりつけるな」
2人は視線を合わせた瞬間、バチバチと火花を散らし始めた。
一度こうなってしまえば、どちらかが満足するまで父親と兄の罵り合いは止まらない。
(パパとおにいしゃまったら……。わたしのことになると、すぐに喧嘩ばっかり……)
ロルティはぷっくりと頬を膨らませ不貞腐れながら、2人の冷戦状態をアンゴラウサギとともにじっと見守った。
――5分ほど誰も口を開かぬ、気まずい空気が流れる中。
ため息を溢したジュロドは父親から視線を逸らすと、妹が涙を瞳に浮かべていた理由を知った。
「大声で、騒いでる奴がいるだろ。そいつの声を聞いて、不安がってる……」
「そうか。その件で、ロルティに相談があって来た」
「わたしに?」
「ああ。外で騒ぎを起こしている奴らは、胸元につけているリボンに目をつけた。高値で毛糸を卸してほしいそうだ」
「おろ?」
「売って欲しい。これなら、理解できるか」
「うん!」
つまり捨てる予定だった毛が商品となって売買されてお金に変わると知ったロルティは、先程まで悲しんでいたのが嘘のように。
瞳をキラキラと輝かせると、父親を見つめた。
(うさぎしゃんの毛が、お金になるんだ……!)
ロルティは自分の力でお金を稼いだ経験がない。
それは正式な聖女になるまでは難しいと、養父から何度も言い聞かせられてきたからだ。
(手元にお金があれば、わたしは1人前の大人の仲間入り……!)
立派な聖女になれば、痛いことも苦しいことも経験しなくてよくなる。
ロルティにとってはお金を稼ぐのは、身の安全が保証されるのと同義であった。
「うさぎしゃんの毛、売ってもいいかなぁ……?」
「むきゅう……」
彼女が売りたいと思っても、この毛はアンゴラウサギのものだ。
許可を得られなければ、どうしようもならない。
ロルティは不安そうに赤い瞳でこちらを見つめる獣に問いかけたが、長い沈黙の末に小さな生き物が出した答えは――。
「んきゅ……」
いやいやと全身を動かし、すべてを拒絶するように目を瞑った。
(うーん。やっぱり、嫌だよね……)
毛刈りをする時だって、あれほど怯えていたのだ。
定期的に何度も短くカットしなければならないとしても、処分に困った毛を高値で取引されるのは我慢ならないのだろう。
(わたしだって、嫌な気持ちになるもん……)
自分の髪に価値があると知り、売買を繰り返すまではいいが――。
不届き者達が販売者の手を介さずに直接髪を切り刻みに来ようものなら、命にかかわる。
(毛糸を販売したら、どんなものに使われるかわからないし……)
小さな頭をフル回転させて。
どうするのが一番ロルティとアンゴラウサギにとっていいのかと考えていた彼女は、兄と父親の胸元につけられている毛糸のリボンを見つめて閃く。
「そうだ! 毛糸のままじゃなくて、編み物の作品を売るのは、どうかな?」
「むきゅう……?」
「ねぇ、パパ! わたしの飼ってるうさぎしゃんの毛を使って、リボンを作ったとは言ってないもんね?」
「ああ。糸の入手元は、知らぬ存ぜぬを貫いておいた」
「だったらきっと、大丈夫だよ!」
アンゴラウサギの毛は、ロルティの飼っている獣からしか採取できない。
ならばそれを使って作成した作品を限定して販売し、付加価値をつければいいのだ。
もしも金に目が眩んで既製品をバラバラに解いて毛糸を手に入れた人々が新しいものを生み出したとしても、すぐにそれが非正規なものだとわかるようにしておく。
そうすれば問題が起きた時にすぐに犯人を探し出し、販売元を叩けるはずだ。
「うさぎしゃんの毛から作った糸は、悪用させないよ!」
「んきゅう……」
「わたしが絶対に、守るから!」
「むきゅ……」
ロルティの力強い説得を受けたアンゴラウサギは、彼女を信じてみようと言う気になったようだ。
スリスリと頬を使って身を寄せた獣に、ロルティはパッと表情を明るくさせて小さな身体を抱き上げた。
「うさぎしゃん! ありがとう!」
「きゅうん……」
ロルティが喜べば、アンゴラウサギも嬉しくなるのだろう。
全身を震わせていた獣が甘えたような鳴き声を響かせたのを見計らい、静観していた父親が声をかける。
「ロルティ。今なら直接騒いでいる奴に、文句を言えるが……」
「父さん。それは……」
「俺が責任を持って守る。問題はない」
「ならいいけど……」
ロルティは教会から命を狙われている身だ。
できることなら不用心にも外を出歩くのは避けるべきだが、愛娘を悲しませた男に文句の1つくらい言ってやる機会を作らなくてどうするのかと考えているのかもしれない。
「わたし、行きたい!」
父親に提案されたロルティは、元気いっぱいに彼とともに自宅を出ると宣言した。
すると部屋の中でじっとしていたいアンゴラウサギが、彼女の腕の中から小さな足を動かしてジュロドの元へと向かう。
どうやら留守番していると言いたいようだ。
「ジュロド。そいつを頼む」
「むきゅう……」
「はいはい。わかったよ。ロルティを傷つけるのであれば……父さんでも容赦はしないから」
「ああ」
「おにいしゃま! 行ってきまーす!」
兄に笑顔で手を振った彼女は、父親に抱きかかえられ公爵家の外へ出た。




