異世界転移と聖女としての使命(五月雨雲母)
(ようやく邪魔な妹がいなくなって、清々したと思ったのに……!)
五月雨雲母の人生が順風満帆だったのは、妹の瑠衣が生まれるまで。
そこから先は坂の上から転がり落ちるように、不幸な出来事ばかりが起きた。
(なんで両親は、いっつもあの子のことばっかり考えているのよ!?)
妹さえいなくなれば、両親の愛は自分だけのものになる――。
そんな雲母の企みは、成功しなかった。
瑠衣が命を落としても、二人の心は妹に囚われたまま。
姉をいないものとして扱い始めたのだ。
(何よ……! あたしのほうがいなくなればよかったのになんて言いたそうな、その顔は……!)
誰からも愛される存在でなくては気がすまない雲母は、五月雨家にはいられなくなった。
苛立ちを隠せぬまま自宅を飛び出した彼女は、勢いよく走り出し……。
(え……?)
前方で水道管の工事をしているのに気づかず、そのまま穴が空いたコンクリートの中へ、すっぽりと落ちていった。
(いやぁあああ!)
まるでアリスが穴から落下し、不思議の国へと誘われるように。
こうして彼女は、異世界へとやってきた。
日本で命を落としたはずの妹。
五月雨瑠衣が転生している世界だと、知りもせずに……。
*
「教会もなかなか、エグいことやってるよねー」
この世界で聖女として暮らすようになった雲母には、気に食わない男性が一人だけいた。
その名は、カイブル・アカイム。
彼女のお目つけ役兼護衛としてそばにいる、聖騎士だ。
(日本と違ってここではみーんなあたしをチヤホヤしてくれて、超ハッピーだけど……。こいつだけは、無関心なのよね……)
彼は左右どこから見ても、顔立ちの整ったイケメンだった。
喉から手が出るほどカイブルを欲しがった雲母は、あの手この手で籠絡しようと試みているが――どうにも、芳しくない。
(こんなにかわいいあたしに惚れないなんて、どうかしてんじゃないの?)
彼女は彼の正気を疑ったが、どれほど非難の眼差しを向けたところでカイブルの心が手に入るわけではないのだ。
雲母は護衛騎士から返事が聞こえてこなくとも、永遠に独り言を紡ぎ続ける。
「あんなチビを追い出したかと思えば、偉いところで保護されているのを見て大慌て、なんてさー!」
雲母が異世界へやってくる前。
聖女見習いと呼ばれる幼い少女がここで暮らしていたらしい。
ロルティと呼ばれた幼子は、彼女がやってきたためお役御免。
迷いの森に着の身着のままで追放された。
「やっぱさー。あのまま、死んじゃえばよかったって思われてんのかな? かわいそー」
聖女見習いとして長年教会で暮らしていた少女は強運の持ち主だったようで、ロルティはハリスドロア公爵に見初められ――彼の娘として暮らすようになったらしい。
これに司祭は激昂し、雲母とカイブルに命令を下した。
『教会の秘密を知る幼子など、生かしてはおけぬ! この国の平和を脅かす者を、なんとしてでも秘密裏に始末するのだ!』
仰々しい命令をくだされた雲母は、それを実行する気などまったくない。
「なんであたしが、人殺しにならなきゃいけないわけ? 人生、超ハードモードすぎなんだけど」
妹を見殺しにした姉とは思えぬ発言とともに、彼女は少しでもカイブルによく思われようと善人ぶる。
(聖女見習いだって言うチビの名前を出すと、カイブルが反応するんだよね……)
雲母が彼の眉をじっと見つめていれば、やはりカイブルの表情が一瞬だけ変化した。それは何かを堪える時に、人間がする仕草だと知る彼女は――。
「ねぇ。カイブルってさー。あたしが来るまでは、聖女見習いと仲がよかったんだって?」
あえて護衛騎士を、揺さぶった。
彼は無表情のままではあったが、目敏い雲母は見逃さない。
カイブルピクリと、指先を動かしたのを。
(ほらね。やっぱり……)
彼女は内心ほくそ笑むと、新しいおもちゃを見つけたと言わんばかりに口元へ三日月を描いた。
「隠さなくていいよー。あたし、全部知ってるんだから。この間もさー」
「聖女様」
護衛騎士はどれほど雲母が呼びかけても、二人きりの時は返事すらもしなかったからだ。
(すごい。超快挙じゃん!)
テンションの上がった彼女は微笑みを深め、彼を妖艶に誘う。
「やっとあたしに、呼びかけてくれた。その調子で、もっと交流を深めない?」
「これから我々は、見習い聖女を始末するのが使命となります。親睦を深めている場合ではないかと」
「えー、ケチー。ほんと、カイブルってド真面目だよね。もっと羽目を外したっていいじゃん」
だが――カイブルと交流を深めるのは、やはり一筋縄ではいかないようだ。
彼は釣れない態度を見せた。
(やっぱり駄目かぁ……)
不機嫌そうに口元を窄めた雲母は、押しても駄目なら引いてみよう作戦を決行しようと試みて――すぐさま取り止める。
「では、一度だけ」
「えっ? 何々!?」
カイブルが思わせぶりな態度を取ったからだ。
嬉々として彼の姿を見上げた雲母は、瞳を爛々と輝かせて護衛騎士の言葉を待つ。
「ルイと言う名前に、聞き覚えはございますか」
――カイブルの口からその名が紡がれた瞬間。
彼女は頭から冷水をぶっかけられた時のような気分を味わう羽目になった。
(なんで、こいつの口からあの子の名前が出てくるわけ……?)
開いた口が塞がらないとは、まさしくこのことだ。
雲母が二の句を紡げぬまま呆然としている間に、彼はどうやらそれが答えだと悟ったらしい。
「ご協力、感謝いたします」
そう口にすると、彼女に背を向けてここから去ろうと試みる。
「ちょっと、待ってよ! なんであんたが、あの女を知ってるの!?」
勢いよく彼の背中に飛びついた雲母は、護衛騎士の迷惑も顧みず大声で叫んだ。
(忌々しい妹の話なんか、した覚えはないけど!?)
カイブルはしばらく、されるがままになっていたが――。
やがて自らの腰元に回った彼女の両腕を掴むと、強引に引き剥がして距離を取る。
「護衛騎士に気安く触れるのは、おやめください」
「なんでよ!? いいじゃん! 減るもんじゃないし! それに、護衛騎士と聖女が結ばれるのだってそう珍しくないはずでしょ!? ずっと一つ屋根の部屋で、生活するんだから……!」
「聖女はつねに、清らかでいるべきです。異性に現を抜かし、聖なる力を弱める行いは慎むべきかと」
男漁りをやめろと遠回しに言われた彼女は、カッと頭に血が登る。
「なんでよ!? いいじゃない! ここはあたしにとって、楽園みたいな場所なんだから!」
「そう思えているうちが、花ですよ。あなたもすぐに、気づくでしょう。真逆の印象を持つもののほうが、多いと……」
彼は思わせぶりな言葉を耳にすると、今度こそこの場を立ち去った。
「どいつもこいつも! 本当、思い通りにならないわね……!」
抑えていた怒りを爆発させた彼女は、その場で地団駄を踏んで怒鳴り散らす。
交代でやってきた護衛騎士など、気にしている余裕はない。
(それもこれも、全部あの女のせいよ……! 死してなおも、あたしを苦しめるなんて! 許さないんだから!)
雲母は命を落としたはずの妹を脳裏に思い浮かべ、何度も暴行を加える。
幻想の中にその身を置かなければ、壊れてしまいそうだったのだ。
「あたしは、聖女……。この国で一番、愛されるべき存在……。見習い聖女を始末すれば、たった一人の選ばれしものになれる……!」
雲母は自分が容姿くらいしか取り柄のない、何者にもなれなかった人間であるのに強いコンプレックスを抱いていた。
(聖女としての特別な地位。これだけは絶対に譲れないわ……!)
それを独占したいと躍起になった彼女は、幼子に憎悪を募らせる。
(あたしは年下の女に、何かと縁があるようね……)
瞳の奥底に燃え盛る炎を宿した雲母は、決意した。
(今度こそ、完膚なきまでに叩きのめしてあげる……!)
その選択が、彼女を再び絶望へと引きずり落とすのだと気づきもせずに。




