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糸を紡ぐ


(あれ……? パパ、いない……)


 ――ロルティが目覚めた時、ベッドの上には兄の姿しか見当たらなかった。


(お礼、言いたかったのに……)


 幼子はそれを残念に思いながら、着替えを済ませてジェナロとともに朝食を取り――普段通りの日常に戻る。


「ねぇ、ロルティ」

「なあに? おにいしゃま」

「メイドにお願いして、この間の続きをやろうか」


 ロルティは問いかけられた言葉の意味を理解するまで数分を有したが、すぐにそれが何を意味するか思い当たったのだろう。

 パッと表情を明るくさせた。


 彼女はベッドの上でぴょんぴょんと飛び跳ねながら、喜びを表現する。


「――うさぎしゃんと、お揃い!」

「むきゅ……?」


 自分を呼ばれたと勘違いしたアンゴラウサギが不思議そうに首を傾げる中。

 テンションの上がったロルティは、獣を抱きかかえると兄を急かす。


「おにいしゃま! 早く、行こう!」

「ロルティ。そんなに慌てなくても、毛は逃げないよ」

「だって、待ち切れないだもーん!」


 愛する妹の元気いっぱいな様子を目にした兄は肩を竦めていたが、先程までの憂鬱な気分が吹き飛んだのであればそれに勝るものはないと考えたのだろう。


 彼女の姿に引っ張られるようにして、重たい腰を上げた。


「もう、仕方ないなぁ……」

「うさぎしゃんとお揃いのリボン、楽しみだね!」


 アンゴラウサギを抱きかかえながらるんるん気分でスキップを始めたロルティは、部屋を出てジュロドとともに中庭へと向かった。

 

 兄妹の面倒をよく見てくれる使用人から、アンゴラウサギの毛を洗浄する際に面倒を見てくれたメイドへ連絡が行ったらしい。

 2人が小さな足を使って進み中庭へと顔を出せば、すでに女性がロルティとジュロドを待っていた。


「坊っちゃん、お嬢様……」

「メイドしゃん! 今日も、お世話になりまーす!」

「こ、こちらこそ。よろしくお願い申し上げます……!」


 侍女は恐ろしく緊張しているらしく、ガチガチと肩を揺らしながら頭を下げた。


(そんなに緊張しなくたって、いいのにね?)


 ロルティはそんなメイドの姿を不思議に思いながら、使用人に問いかける。


「わたし、これから何をすればいいの?」

「これよりお嬢様には、カーディングを行って頂きます」

「かぐ?」

「糸を紡ぐ前に不純物を取り除き、繊維を一定にするのです」

「むむ?」


 幼子には難しい言葉が多く、理解できずに首を傾げてしまったが、隣にいる兄もまた妹に解説できるほどの知識は持っていないようだ。


 不思議そうなロルティに微笑みかけたジュロドは、彼女に促す。


「とりあえず、やってみようか」

「はーい!」

「それでは、こちらの器具をお使いください」


 使用人がガサゴソと手に持っていた麻袋の中から、取手のついた平べったい櫛のような物を6本取り出す。

 カーダーと呼ばれているらしく、これがないと糸紡ぎがしにくいのだとか。


「面の部分は先端が尖っておりますので、触ると怪我をしてしまいます。お気をつけください」

「ロルティ。取っ手をしっかり持つんだよ」

「うん!」


 兄に命じられた通り、ロルティは小さな手で2本のローダーを片手で別々にしっかりと持ち、手の部分を掴んだ。

 大人ならなんてことのない重さでも、幼子の小さな手ではずっとそれを持ち続けるのはつらいものがあるらしい。


「うぅ……。お、重い……」


 彼女は先程までの明るい表情が嘘のように顔を顰めると、ぷるぷるとローラーを握りしめた指先を震わせた。


「1人で作業させるのは、難しそうだね……」

「では、1本ずつお持ちください」

「わかった」

「おにいしゃま、あげるー!」

「うん。ありがとう、ロルティ」


 メイドから許可を得たロルティは、再び笑顔を浮かべて左手に持っていた器具を兄に渡した。

 片手が空になった彼女はだいぶ楽になって、再びわくわくと瞳を輝かせながら使用人の指示を待つ。


「面の部分に天日干しした綿を千切り、置いてください」

「ロルティ。できる?」

「もちろん! うさぎしゃんの毛、ふわふわー!」


 中庭に放置しておくことで水気を含んでいた毛から水分が消えたことに気づいたロルティは、その手触りに大喜びしながらローラーの面部分へ小さな手で掴んで乗せた。

 

「はい! できたよー!」

「これは……」

「どうしたの?」

「量が足りません。お嬢様の小さな手であれば、あと2回ほど必要と……」

「わかった。ロルティ。同じ作業を繰り返そうか?」

「はーい! にーい! さん!」


 彼女はメイドの指示に従い、明るい声で宣言をしながら同じ作業を言われた通りに繰り返した。

 その姿を目にした使用人は満足そうに頷き、自身の手元にも同じ状況を作り出すと、次にやるべき内容を口にする。


「お坊ちゃまはそのまま、ロルティ様は上から下へとカーラーの面を擦り合わせてください」

「する?」

「このように、勢いよく音を立てます」


 言葉だけでは理解しづらいからだろう。

 メイドはその場で、幼い兄妹に実演してくれた。


「わぁ! 魔法みたい!」


 左手に乗せた毛へカーラーを上から下へと擦り合わせれば、シャッと勢いよく音がして右手に移し替わる。

 その様子を目にしたロルティは、嬉しそうな声をあげて大喜びした。


「ロルティにも、できるかな……?」

「やるー!」


 彼女はキラキラと瞳を輝かせると両手を使って重みを増した器具をしっかり持ち、くるりと回転させると兄が持つ面に上から下へと毛を擦り合わせた。

 

「むむむむ……!」


 メイドが実践したように小気味のいい音を響かせるのは、難しかったようだが……。

 ズシャシャシャと何かを引き摺るように、どうにかこうにか兄が持つ器具の上に毛を移し替える。


 唸り声を上げていたロルティがうまくできたと確信してパッと使用人へ視線を移せば、彼女は真顔で淡々と幼子に告げた。


「これをあと二度、繰り返しましょう」

「はぁい……」


 まだ終わりではないと知りしょぼくれたロルティは兄と協力して時折小気味のいい音を響かせながら。

 時折面の部分に浮かび上がる邪魔な不純物を取り除きつつ、作業を終えた。


「できたー!」

「カーディングを終えたら、次は紡ぎましょう」

「つむ?」

「細長い1本の糸にします」

「はーい!」


 メイドはカーダーの面の上に浮かび上がってきた毛を小さな籠の中に収納すると、それを手に持って幼い兄妹達をある場所へと移動させた。

 

 こじんまりとした小さな部屋には、1台の紡ぎ車が置かれている。

 足でペダルを踏むとカラカラと滑車が周り、糸が紡がれるらしい。


 メイドは慣れた手付きでセッティングを行うと籠の中から毛を一玉分鷲掴み、ロルティへ手渡した。


「細長く丸めてください」

「むぅ……。こう、かな?」


 彼女は指示通りにニギニギと粘土を捏ねるように、くるくると毛を形作る。

 無事に形成を終えたそれの先端に触れたメイドは、滑車の上に備え付けられたフライヤーから伸びる導き糸へ結びつけた。


「お嬢様。これより足を使って、糸を紡ぎます」

「うん!」

「まずはここに、お座りください」

「はーい!」


 ロルティは元気よく返事をしてから椅子の前に座ろうとしたが、座面が高すぎて彼女はどうやっても1人ではそこに腰を下ろせない。


「僕が乗せてあげるよ」

「わーい! ありがとう、おにいしゃま!」

「どういたしまして」


 見かねた兄が妹を抱きかかえ無事にそこへ座れば、紡ぎ車のペダルへ足が届く状態になった。

 

「丸めた毛を膝のあたりまで持ってきて、ピンと糸を張ってください」

「こう……?」

「お上手です。足でゆっくりとペダルを踏み、毛を後方に引きましょうか」

「手と足で、違うことするの?」

「はい」

「わたしに、できるかなぁ……?」

「無理だったら、僕がペダルを踏むよ」

「うんっ!」


 まずは1人でやってみたらどうかと促されたロルティは、恐る恐るペダルを踏みながら毛をゆっくりと自身の方向へ引いた。

 すると滑車がくるくると周り、細い糸がフライヤーへ巻きつけられていくではないか。


「わぁ……! すごーい!」


 まるで魔法のような出来事に、彼女は目を丸くしながら大喜びした。

 メイドは先程までの無表情が嘘のように口元を緩めると、根気よく幼子に指導する。


「これを手元の毛がなくなるまで、何度も繰り返します」

「おお……!」

「続きをやってみましょうか」

「うん!」


 ロルティはカラコロと音を響かせながら交互にペダルを踏み、糸を紡ぐ。


「いっちに、いっちに!」


 足踏みをしながら手元は糸が切れないようにしっかりと毛の塊を持って押さえ、自分の方へ引くのはかなり気を張る。

 最初のうちは元気いっぱいだったロルティも、5分と経てばあっと言う間にバテてしまった。

 

 運動不足の幼子に、この体験はあまりにもハードだったようだ。


「むむぅ……。これ、すごく大変……!」

「ロルティ、無理しないで。疲れたなら、あとはメイドに任せよう」

「うさぎしゃんと、お揃いのリボン……!」

「焦らなくても、逃げないよ」

「たくさん、待ったのに……」


 やっとアンゴラウサギとお揃いのリボンを作れると楽しみに待っていたロルティにとって、今日が糸を紡ぐだけで終わるのは我慢ならないのだろう。

 彼女はドレスの裾をギュッと掴んで、必死に涙を堪えた。


「無理をしてロルティに何かあったら、みんなが心配するよ」

「おにいしゃま……」

「父さんも、すごく怒るかもね」

「パパが?」

「そうだよ。糸はちゃんと紡げたし、僕達は部屋に戻ろう」

「むぅ……」


 ロルティは不満な気持ちでいっぱいだったが、有無を言わさぬ兄に抱き上げられてしまえば抵抗のしようもない。

 彼女は強制的に、自室へ連行されてしまった。

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