おにいしゃまと毛刈り・2
「ロルティが来てから、父さんは変わったよね……」
「そうなの?」
「うん。すごく表情豊かになって、情けなくなった」
「自分のことを棚に上げ、俺の好感度を下げようとするなど……我が息子ながらいい度胸だな……」
ジュロドが呆れたように父親に告げれば、親子は視線を合わせるとバチバチと火花を散らした。
大好きな妹と娘には、彼女がいなかった時の姿は知られたくなかったようだ。
(わたしがいなかった頃のパパとおにいしゃまって、どんな感じだったんだろ……?)
ロルティは少しだけ興味があったが、今この場で2人に問いかける勇気はない。
どうせ喧嘩を始めるに決まっているからだ。
(わたしも教会で暮らしてた時の出来事は、あんまりお話したくないもん……。悲しい過去よりも楽しい今だけを見つめるべきだよね)
彼女は父親に話しかけたくても声をかけられない空気を醸し出しているせいで、困惑しているメイドに視線を移した。
「メイドしゃん? どうしたの?」
「お、お嬢様……。ウサギの毛で糸を紡ぐと聞き、下準備のご用意をしてきたのですが……」
「うさぎしゃんと、お揃い!」
「それは一体、どう言う……」
話を聞きつけ急遽呼ばれたメイドには、ロルティがなぜこれほどテンションが上がっているのか理解できないのだろう。
お湯を張ったたらいを手に持ったまま、気まずそうにしている。
――幼子と使用人。
2人の会話が始まっているのを知ったジェナロは、露骨に眉を顰めて不機嫌になりながらメイドに告げた。
「君は俺とロルティに、指示を出すだけでいい」
「しょ、承知いたしました」
それは「貴様如きが気安く俺の愛娘に声をかけるな」と言っているようなものだ。
旦那様の機嫌を損ねたと怯えるメイドは、顔を真っ青にすると不思議そうに首を傾げるロルティから距離を取り、たらいを床の上に置いた。
「この工程は、2日間に分けて行います」
「はーい!」
「まずは刈り取った毛を、この中に浸してください」
「したす?」
「こうやって、入れるんだよ」
「おおー!」
単語の意味がわからず首を傾げたロルティへ手本を見せるかのように、ジュロドがふわふわの刈り取ったアンゴラウサギの毛をたらいの中に張ったお湯の中へ浸す。
「わたしも! うさぎしゃんの毛、お風呂に入れる!」
「うん。やってみて」
「はーい! ぶくぶくぶく~」
兄から促された妹は、両手いっぱいに毛を抱え込むと、勢いよくたらいの中にそれらを沈めた。
ぷくぷくと泡が水面に浮かぶのが楽しくて仕方がないのか、ロルティは大はしゃぎして喜んでいる。
そんな姿を見つめる父親の瞳もまた、先程までの剣呑な表情が嘘のように優しく穏やかな時間が流れた。
「上空にゴミが浮かび上がっているのが、わかりますでしょうか」
「どれ?」
「これ、かな……」
彼女は見つけられなかったが、ジュロドはすぐに小さな埃や草、土などの不純物が混ざっていると気づく。
どうやらメイドの話によれば、これらを根気よく取り除いていく必要があるのだとか。
「おにいしゃま! 見つけるの、すっごく上手!」
「まぁね。1人前の剣士は、目もよくないといけないから……」
「はれ?」
兄の言葉を疑問に感じた彼女は、素っ頓狂な声を口にする。
ジュロドが剣士を目指しているなど、初めて耳にしたからだ。
(おにいしゃまは、カイブルみたいになりたいのかな……?)
ロルティは教会で別れた聖騎士の姿を思い浮かべながら、ジャバジャバとお湯と毛をかき分けゴミを浮かそうと必死になる。
そんな妹の姿を目にした兄は、どこか寂しそうに微笑みながら浮かび上がってきた不純物をひたすら取り除いた。
「僕の将来なんて、どうでもいいんだよ。ロルティの未来のほうが、ずっと大事だから」
ポツリと呟いたジュロドの言葉には、一体どんな意味が隠されているのだろうか。
(聞いてみたいけど、触れちゃいけないような気がする……)
ロルティは結局、その話を兄に聞けなかった。
「ある程度ゴミを取り除いたら、こちらにご用意したザルへご移動ください」
「ジャバジャバー!」
「こら。もっと水気を切らないと……。ドレスが濡れちゃうよ」
「着替えるから、いいんだもーん!」
「いいの?」
ジュロドはそう言う問題ではないのではと父親を見上げたが、頷いて肯定するのならば彼がどれほど騒いだところで意味はないと悟ったのだろう。
妹の好きにさせようと決めた彼はロルティのサポートをしながら、水気を吸って重くなった毛をザルの中へ一緒に移動させた。
「以上で、本日の作業は終了となります」
「えー? もう、終わりー?」
「はい。これを天日干しし、水分がなくなったあと。糸にする作業を行いますので……」
「毛を乾かすなら、庭を使うといい」
「よろしいのですか?」
「ああ。誰にも触らせるな。少しでも量が減るようなことがあれば……」
「しょ、承知いたしました」
ジェナロがメイドにクビを匂わせれば、たらいと籠を手にした侍女はそそくさと兄妹の部屋から退出する。
「ロルティ。濡れたままはよくない。着替えて来い」
「お出かけはー?」
「ああ。パパと一緒に、街へ行こう!」
「やったー!」
ロルティは壁際に控えていたメイド達とともに勢いよく別室へ移動すると、初めて袖を通すドレスに身を包み、再び父と兄の元へ姿を見せた。
「パパ! おにいしゃま! 見てー!」
「な、なんて愛らしいんだ……!」
童話に出てくるお姫様のようなプリンセスラインのドレスは、ジェナロの心に大駄目ージを与えたようだ。
心臓を押さえて蹲る父親を目にしたロルティは、不思議そうに彼を見上げる。
「パパ? どこか悪いの?」
「違うよ、ロルティ。父さんは娘がかわいすぎて、言葉も出ないんだって」
「わたし、かわいい?」
「うん。とってもよく、似合ってるよ」
「えへへ! よかったぁ~!」
「むきゅ……」
彼女が嬉しそうにニコニコと満面の笑みを浮かべれば、自分の存在を忘れてもらっては困るとすっかり毛刈りを終えてさっぱりとしたアンゴラウサギがか細い声を上げた。
ロルティはキョロキョロとあたりを見渡し、いつの間にか隅っこでちょこりんと目を瞑る獣の元へと向かう。
「うさぎしゃん! お買い物、ほんとに行かないの?」
「むきゅう……」
ロルティに問いかけられたアンゴラウサギは、いやいやと左右に小さな身体を振って外へ出ることを拒否した。
(うさぎしゃんだけを残していくのは、不安だよ……)
飼い主は何がなんでも獣と一緒に外出したかったが、本人が乗り気じゃないのならばどうにもならない。
ロルティの瞳には、じんわりと涙が滲んだ。
「泣かないで、ロルティ」
「おにいしゃま……?」
かわいい妹が先程までの元気いっぱいな様子から一転して、悲しみに明け暮れていると知ったからだろう。
ジュロドは彼女に駆け寄ると、その小さな身体を優しく抱きしめた。
潤んだ瞳で兄を見つめれば、優しく微笑んだあとにロルティに救いの手を差し伸べてくれる。
「僕がこの子と一緒に、お留守番をしてあげる」
「いいの……?」
「うん。父さんはロルティの保護者として、そばに出ないと駄目だろ?」
「おにいしゃま……」
「その代わり。父さんと相談して、僕とお揃いの物をお土産として買ってくること!」
ジュロドは妹に、笑顔で薬指を差し出した。
それが指切りの約束をするためだと気づいたロルティは、口元を緩めて自らの指先を絡める。
お決まりのフレーズを歌って小指を離せば、彼女の小さな身体は父親によって抱き上げられた。
「わわ……っ。パパ!」
「ジュロド。俺とロルティが不在の間、悪さをしようなどとは考えるなよ」
「もちろん。大人しく待ってる」
「きゅぅ……」
不安そうな鳴き声をあげるアンゴラウサギと兄にひらひらと手を振ったロルティは公爵邸をあとにすると、馬車に乗って街を目指した。




