前世の記憶を思い出して
「おお! お待ちしておりました! 聖女様!」
──異世界から、真の聖女が召喚されてきた。
(わたしはもう、必要ないみたい……)
六歳の見習い聖女ロルティは、その様子を落胆した様子で見つめていたが――。
(あれ……? わたし、この人……知ってる……)
自分よりもずっと年上の黒髪少女の姿を目にした瞬間。
幼子はその女性に、見覚えがあると気づいた。
「ここ、どこ? あなた達は……誰?」
「聖女様! どうか我々を、お救いください!」
「そんな仰々しい呼び方なんて、マジ勘弁だよ! あたしには、五月雨雲母って名前があるんだけど……!」
「サミダレ様!」
「ち、違う! 雲母が名前だってば!」
彼女の名前を耳にした直後。
ロルティの頭の中で、ぱちんと何かが弾ける音とともに――。
幼子は前世を思い出した。
(わたしの名前は、五月雨瑠衣……。あの人は、わたしのお姉ちゃんだった人……)
小さな瞳を大きく見開いたロルティは全身をガタガタと震わせながら、怯えの色を隠せぬ様子で雲母を見上げる。
――五月雨瑠衣にとって、姉の存在は恐怖でしかなかったからだ。
『瑠衣ばっかりずるい!』
雲母は妹のものをなんでも欲しがった。
彼女のために両親が買ってくれた物は、すべて大人の知らない所で奪い取られてしまう。
『雲母? それ……』
『あのね! 瑠衣があたしにくれたの!』
姉は息をするように嘘をつき、両親を懐柔した。
(どれほどわたしが違うと訴えかけても、無駄だった……)
雲母のほうが、話術に長けていたからだ。
瑠衣は成すすべもなく、彼女に搾取される生活を送っていたが――ある日突然、彼女の人生は終わりを告げた。
ぱちくりと大きな瞳を見開いた瑠衣は、いつの間にかこの世界でロルティとしての人生を初めていたからだ。
(どうして今まで……。こんな大事なこと。忘れていたんだろう……?)
五月雨瑠衣としてどのような最期を迎えたのかも、わからぬまま。
今日に至るまで、彼女はどこにでもいる幼子として生き続けてしまった。
(まさかこんなところで、お姉ちゃんと出会うなんて……)
一体なんの因果なのかと冷静に考えを巡らせる時間は、彼女に残されていない。
「では、キララ様! これより、我々の元で聖女として、ご活躍頂けますね?」
雲母が頷けば、その瞬間からロルティは用無しとなるからだ。
(これから、どうしよう……)
彼らに追い出される前に自ら必要なものを持って逃げ出すか、着の身着のままの状態で放り出されるか。
彼女は今すぐここで、決断する必要があった。
(何が正解かなんて、わからないけど……)
神官達は突如この地に降臨した、前世の姉。
聖女キララに夢中だ。
(お姉ちゃんと一緒にいたら、わたしは……。また、何もかもを奪われてしまう……。それだけは、絶対に嫌だ……!)
抜き足、差し脚、忍び足。
ロルティはこっそり教会の大広間から、抜け出そうとしたのだが――。
「うん! あたし、聖女になる!」
「ありがとうございます。そういうことですので、聖女見習いロルティは、現時点を持ってその地位を剥奪し――教会から、追放処分といたします」
それを阻む、無情な決定が神官によって下された。
(追放って、何?)
幼いロルティにはその言葉が何を意味するか、よくわからない。
だが――神官達が怖い顔でこちらを見ている以上、彼女にとってよくない単語なのは間違えようのない事実であった。
「聖騎士達よ。幼子を捕らえなさい!」
「あ、あ……」
神官の命令と共に聖騎士達が腰元の剣を引き抜き、彼女に迫る。
恐怖心を煽られたロルティは絶望に染まった表情で、大人達を見つめた。
(逃げなきゃ……!)
鋭利な刃物で身体を傷つけられたら、一溜まりもない。
彼女はどうにか、ここから逃げ出そうと試みるが……。
ロルティの意思に反して、小さな脚はピクリとも動かなかった。
「すべては教会の秘密を、守るために」
「い……っ。いやぁ……!」
――こうして大人達に捕らえられた彼女は、教会から追放された。
*
(ど、どうしよう……)
神官達に捕らわれたロルティは、四肢を抑えつけられた状態で馬車に揺られ――鬱蒼と覆い茂る森へと連れて来られた。
彼女は虎視眈々と、逃げる機会を窺っていたが――。
結局、行動に移すよりも早く目的地へ到着してしまった。
「カイブル。あとは、貴様に任せる」
「はっ」
神官達はロルティを抱きかかえた男性聖騎士一人と馬車一台を残して、来た道を引き返していく。
(今、カイブルって……)
彼女が信じられない気持ちでいっぱいになりながら、大きく瞳を見開いたのには理由がある。
『聖女見習い様。自らの身に危機が及んだ際には、必ず私をお頼りください』
ロルティは立派な聖女になるために必要だと称して自身を痛めつける神官のことが嫌いだった。
全員彼女に害を成す、敵だと思っていたが……。
たったそんな幼子にも一人だけ、信頼のおける聖騎士に心当たりがあった。
『私が必ず、あなたをこの牢獄から救い出して見せます』
それが、幼子を抱きしめ森の奥深くへと歩みを進める――カイブル・アカイムだ。
ロルティとの年齢差は、10歳くらいだろうか。
見習いの聖騎士から昇格したばかりの、教会で働く大人とは思えぬほど――心優しい青年だ。
彼は見習い聖女として虐げられる彼女の姿に心を痛め、命の危機に瀕した際には必ずここから出してやると約束してくれた。
(今もまだ、その約束が有効なのかは……。わからない、けど……)
ロルティは今すぐに死にたくないと泣き叫び、彼の胸元に縋りつきたい気持ちでいっぱいになりながら――。
瞳を潤ませ、カイブルの顔色を窺った。
「見習い聖女様。もう少しの、辛抱です」
「カイブル……!」
「ここであのお方が来るまで、お待ち下さい」
彼はやはり、教会ではなく彼女の味方だ。
幼子は不安な気持ちを洗い流すように、瞳から大粒の涙を溢した。
「数分程度、お一人になる時間が出来てしまいますが……。心配は、いりません。あなた様の人生は、幸福を約束されているのですから」
カイブルは悲しそうに目を伏せると、彼女を土の上に立たせよう試みる。
だが、ロルティはそれを嫌がった。
幼子は彼の胸元を握りしめると、涙声で問いかける。
「カイブルは?一緒にいてくれないの?」
「申し訳ございません。私には、別の役目があるものですから……」
「わたし、一人は嫌だよ……」
いくら前世の記憶を思い出した、六歳児の幼子であったとしても。
周りを見渡す限り木々が覆い茂り、右も左もわからぬ場所に取り残されるのは、不安で仕方がないのだろう。
(カイブルと、ずっと一緒がいい……。どうして、その願いは叶わないんだろう……?)
ロルティを安心させるためにその場にしゃがみ込んで目線を合わせた彼は、優しく諭すように言い聞かせた。
「見習い聖女様は、一人ではありません」
「でも……」
「これからあなた様は、たくさんの愛をその身へ注がれるでしょう」
「そんなの、いらないよ!」
彼の胸元から手を離したロルティは何度も首を振って、地団駄を踏みながら駄々をこねると、ワンピースの裾を握りしめながら叫ぶ。
「カイブルが一緒じゃなきゃ、絶対! やだ……!」
涙でグシャグシャになった彼女の姿に心を痛めた彼は、首元にぶら下げていたネックレスの留め金を外し、ロルティの首にかけてくれる。
「ふえ……?」
「再会した際に、お返しください」
涙を流していた彼女が不思議そうにカイブルを見上げれば、彼は優しく微笑みながらロルティと約束をした。
「わかった! また会おうね! 絶対だよ!」
「はい。見習い聖女様。どうか、お元気で……」
彼女は先程まで涙を流していたのが嘘のように笑顔を浮かべると、カイブルの去りゆく後ろ姿をブンブンと手を振って見送った。
(今度会った時は、絶対に名前を呼んで貰うんだから……!)
唯一信頼のおける彼にだけは、ロルティと名前で呼んでほしかったのに。
彼は頑なに彼女を聖女見習い様と呼び、幼子から距離を置いた。
(わたしはカイブルの言葉を、信じてる……)
それを残念に思いながら。
鬱蒼と茂る森の中で一人取り残されたロルティはスカートの裾を握りしめ、あのお方と呼ばれる謎の人物がやってくるのを待ち続けた。